日本の東京、某日。

名字名前は芸能界の二大巨塔の一つ、ツクモプロダクションの専属オーディションを受けるために、巨大な本社ビルへと足を運んでいた。社員に促されがるがままそわそわと自分の順番を待っていた名前に、「次の方、入ってください」と早口の試験官が声をかける。名前は一度もオーディションと呼ばれる場に来たこともなければ、ましてこんな大企業の面接には縁がない。背筋がピキピキと音を立てる感触がして、嫌な汗が流れる。それでも、深呼吸をして声を整えた後、愛用のギターを持ち直し部屋へと足を踏み入れた。受験番号は、11番だった。

誰に、とか、何か、とか。そういうきっかけがあったわけではない。ただ漠然と昔から名前は音楽が好きだった。初めこそ聴くことの方に興味があったものの、それが次第に自己の表現へすり替わっていったのだ。さらに特に他にやりたいことも夢もなく怠惰に大学に通っていた名前は、暇つぶしも兼ねて現在に至るまで細々と音楽活動を続けていた。
そんな名前に声をかけてきた男が、月雲了だった。狐のように目が吊り上がっていて、スーツを着た見るからに金持ちで聡明そうな若い青年。路上ライブでそこそこな人数にぱちぱちと拍手をもらっていた名前に、青年は名刺を差し出してこう言った。

「君、ツクモプロダクションのオーディション受ける気ない?」

ぎょっとした名前はその日逃げるようにその場を去った。詐欺かと思ったし、今までスカウトと呼ばれる人間に話しかけられたことは一度もなかったからだ。当然プロデビュー、なんて考えたこともない。なんだあの男、天下のツクモプロダクションのフリなんてよくできるな。大学近くのアパートに帰った名前はそうやって布団の中で男を毒づいたがそれだけだった。しかし青年は次の日も次の日もやってきて、名前が場所を変えようともどこから聞きつけてくるのかしつこく名刺を渡そうとしてきた。名前は青年を半分ストーカーと疑って、警察に相談しようかと考え出した頃になって漸く、一応確認だけ…………と一度ツクモプロダクションに電話をしたのだ。そこで男がツクモの子息だと知って、名前は次の日青年と話をする気になったのだった。
名前は月雲了に詳しい話を聞き、子息であるこの男は、いつか自分が社長となった時に自分側の優秀なタレントが欲しいのだと知った。現ツクモタレントではなく、自分の意思に賛同する者の方が使い勝手がいいというやつだろう。名前は芸能界の派閥云々はあまりよくわからなかったが、歌手として一流の道を用意するという月雲了の言葉は魅力的に感じられた。問題は名前自身にスーパースターになるだけの才覚があるのかという点だったが、挑戦ぐらいはしてみてもいいかもしれないと思ったのだ。

そうして名前はツクモプロダクションのオーディションを受けることになった。ただし自分の実力で受けてみる、それが名前が月雲了に出した唯一の条件。自分の歌さえ信用できていたら、あとは万事どうとでもなる。名前は試験官に自分の弾き語りを聴かせながらやっぱり場違い感が否めないと感じたものの、最後までやりきった自分を褒めてやりたいと思った。

「やあやあ、はじめてのオーディションはどうだったかな?」
「月雲さん……もう手汗半端ないんですけど。あの人達ずっと真顔で聞いてくるんで怖いのなんの」

ふらふらと試験会場から出て廊下を歩いていた名前に、壁に寄りかかってそれを待っていたらしい月雲了が声をかける。それに力無く手を振った名前が、緊張の解放からかはぁ〜っと深い溜息を吐いた。

「それにしても、芸能人ばっかですね」
「芸能プロダクションだからね」
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
「君なら僕にいつでも、なんでも質問してくれて構わないよ」
「なんで私だったんですか?」
「んん〜それは僕のインスピレーション……っ!こうぐぐっと、ラフレシアのような匂いを君が撒き散らしてたからかな」
「おい、それ腐ってるから。月雲さんはステージの上にゴミを撒き散らかしたいわけで?」
「当たらずも遠からずってところ」
「…………まあ何でもいいか。それじゃあ、お疲れ様でした。受かっていなかったら、このお話もなかったことになるんですよね?もしかしたら会うのは最後かもしれない」
「君は受かってるさ。僕が保障しよう」
「そうだとしても、そわそわしながら待たせていただきますよ。それに月雲さんの予想が外れても、いい経験させてもらいました、ありがとうございました」
「うん、またね」

名前はニコニコしながら足早に去っていく月雲了に頭を下げて、駅に向かうために歩き出す。道中雨が降り出したのでコンビニ傘を買うと、レジ横に置いてあるCD予約の紙に、今をときめくトップアイドル「Re:vale」の文字を見つける。インディーズ時代のRe:valeとは似ていないものの、同じ名前のそのユニットをそこそこ名前は気に入っていた。

「懐かし」

何となく感慨深くなって、それをついでにレジに置いた。外には街頭モニターに映し出された「TRIGGER」の新曲MVが流れている。アイドルブームなのか最近はこういったユニットが多く世に出ているが、多くの一般人がそうであるように、名前にとってはテレビの向こう側にいるだけの存在だった。それがもしかしたら、名前自身が向こう側に行けるかもしれない、怪しげだがあの月雲了の手によって。名前は肩にかけたギターケースの持ち手をキュッと握りしめて、受かってるといいなと思った。
そうして今日も世界を廻そう