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名前はツクモプロダクションの専属オーディションに無事合格し、地道な広報活動を3ヶ月ほど続けた。その頃になると世間への知名度もそこそこあり、初シングル発表をビッグタイトルに、正式デビューをしたのがつい先日。長寿番組MWで、特集コーナーを設けての正式デビュー。無名歌手としては破格すぎるツクモプロダクション全面バックアップのその待遇に、デビュー番組そのものがちょっとしたニュースとなった。そうなるとシンガーソングライター名前の名前は必然的に売れる。それら全ては月雲了によって仕組まれたものなのだが、それを視聴者が知ることはなく、ただ人気者の名前が刷り込まれていく。改めて月雲了の手腕に脱帽しながら、名前は現状が少し恐ろしくなった。過大評価というか、自分の身の丈に合っていないステージで歌っているのでないかという不安があった。とはいえここまで資産を投じてもらって今更やめますともいえない。それに、懐が学生とは思えないほど潤ったのも、やめ難い理由の一つだった。
名前はヒットチャートランキングの上位に自分の名前が載っていることに未だ信じられない気持ちになる。軒を連ねているのは花巻すみれやRe:vale、今爆発的ヒットのTRIGGER。ポツンと大海に小島が浮いているように、名前の名前は浮いていた。
最近月雲了の事務所に出入りしている亥清悠という少年に名前が悩みを打ち明けると、「馬鹿、阿保、自分勝手な奴」と罵られる。亥清悠は何やら手続きがどうとかでしばらく付近に滞在するらしい。予定では一〜二年後くらいにデビューするとは名前が月雲了から聞いた話だ。そんな亥清悠は名前が地方で買ってきた煎餅が気に入ったのか、月雲了の分など考慮していないスピードでどんどん包装紙を開けて、だらしなくソファに横たわりバリバリ食べている。休日のおっさんとかそういう駄目な考えが名前の頭に浮かんだが、あえて無言でスルーすることにした。これがアイドルを目指している者の姿だとは思いたくなかった。
「喝采を浴びて、CDが売れて、人気者になる。選ばれた者しか立てないその舞台に、なんであんたみたいなのがいるのか理解不能だよ」
「もう少ししたら慣れるさ多分」
「いーや、一般人根性抜けない名前なんて、大人しくアイドルにペンライト振ってるくらいがお似合いだね」
名前は一枚煎餅をかじりながら、おいおいと泣き出す始末。しかしそこは歌手魂なのか、小声なあたり喉に影響はないはずである。亥清悠はそんな名前を慣れたように見ていた。
「もうまぢ無理。亥清君奢ってあげるから帰りスタバ寄ろ……」
「やーだよ。名前愚痴長いじゃん」
「別に不満があるわけじゃないんだけど、ずるをしているようで気がひけるというか本人の努力と事務所の努力が釣り合ってないというか」
「ほら始まったし……。てかさ、今時親の七光りタレント、事務所の露骨な売り出し、なんでもありでしょ。だから本人の実力じゃなくてマネージメント力で売れるか売れないかが決まる。 TRIGGERなんかは代表例じゃん」
「亥清君と話すと必ず集約点がTRIGGERになるような気がする」
「特に!九条天!あいつは……クソ!名前、絶対、あいつと共演しても口聞いちゃ駄目だから、そしたら即、絶交だから」
「無理を言うな。あとどうどう、落ち着いて」
「人を馬扱いすんな!馬鹿!」
ぷんぷん、という効果音がつきそうなほど憤慨している様子の亥清悠は一旦置いておいて、名前は今後の自分の身の振り方について改めて思案する。シンガーソングライターをやめる予定は今のところ一切ないが、3ヶ月ちょい芸能界にいれば、しかもそれがツクモプロダクションともなると、芸能界の縮図も嫌という程見えてくる。ライバル事務所の星影芸能との危うい関係も含めて、月雲了という男が何をしようとしているのか。元々の事務所入りの条件に、月雲了への協力がセットである以上逆らう気は無いが、面倒ごとは御免である。そういう小難しいことは上の人間でやってくれ、というのが正直なところ名前の本音だった。
でもそうはいかないよなぁ〜、ツクモプロダクション入っちゃったんだもんなぁ〜、でも歌うのは楽しいしなぁ〜。
芸能界とは、思ったよりも窮屈で複雑な世界で、決して夢と希望に溢れた場所ではない。知っていたつもりでも、当事者になれば全く感じ方も変わるのだと、改めて名前は自分はとんでもない世界に入ったと実感したのだった。
最下層は居心地がいい