マイクを握ってスポットライトを浴びると、未だに手に汗が滲んで仕方がない、と名前は思う。基本的に両手がギターで塞がっているのもあるが、スタンドマイクしか使わないのにはこういう理由があった。路上ライブをしていた時は、観客は多くても三、四十人。人通りの多いところではもうちょっと行くかもしれない。名前のライブはストリートミュージシャンとしてはそこそこな人数を動員するが、それは調子のいい時であって酷い時は誰も立ち止まってはくれなかった。そして名前は一度行った場所では二度とライブを行わない。それは未練になるからであり、音楽で生きて行くつもりがないからであり、期待したくなかったからであり、特定のファンができないようにするためだ。自分の歌を聴く人とは一期一会でありたい。その頃の癖が未だ抜けきっていないらしい名前は一度行ったことのあるステージでのライブには嫌に体力を消費した。自分はシンガーソングライター名前だと声を大にして叫ぶことが、こんなに大変だとは知らなかったのだ。なるほど、確かに憧れだけではやっていけない世界だろう。

「今日はありがとう。まだまだスタートしたばかりの自分と一緒に、この世界を駆け抜けて欲しいっ!」

わあっと歓声が上がって、名前の初単独ライブは始まった。名前のファン層の顔ぶれは主に高校生から大学生といった若い世代が大半を占めているが、その殆どは他のアイドルも並行して追っているような、流行り物の好きな者たちが多いだろう。その時、世間が持て囃しているから、それだけできっと彼らには応援する理由になった。名前は歌えるだけで良く、ファンに対する奉仕の心はよくわからなかったが、自分を好きだといってくれる人達の存在が嬉しいということぐらいは理解していた。だからこそ、飽きられない程度に頑張っていこう。そう思ったのだ。

世の中は、というかツクモプロダクションの息がかかったメディアは名前を「雑草の中に埋もれていた花」と呼称した。亥清悠は記事を見て腹を抱えて爆笑していたが、名前はただただ困った。マジで過大評価。以上名前の感想である。どこまでが実力で、どこからが仕立て上げられたハリボテなのか考えながら、それでもやっぱり名前は歌うのだった。だって音楽が好きだから。
ライブはアンコールも入れて約2時間半ほどの工程をすべてつつがなく完遂した。無事に終えられたことにほっとした名前は、今回の企画をしてくれた音楽プロデューサーや関係者に挨拶をし終えその足で本社へ向かう。深夜のRe:valeのラジオ番組に、ゲストとして招かれていたからだ。やりたてほやほやのライブ後情報と、ニューアルバムリリースの宣伝を引っさげて突撃してきたまえ、とは月雲了の言葉である。ついでに言うならば、Re:valeとは仲良くしておくといいとも指示された。仲良くってなんだろう、ラビチャの交換でもすればいいのだろうか。アイドルとの距離感など芸歴半年程度の名前にわかるわけもなかった。結局当たり障りのない3時間のラジオ番組を終えて、名前は今日1日酷使した喉を労わるためスポーツドリンクを一気に飲み干した。気力より体力がついていかないのが目下の悩みである。

「お疲れ様名前ちゃん!今日はいいコメントありがと、オレファンになっちゃった!」
「ありがとうございます。Re:valeさんも深夜までお疲れ様でした」
「まあね。でも百は体力モンスターだから」
「んもう、千は疲れたってサイコーにセクシーだよ!……で、女の子なんだから帰り気をつけてね?ちょうど今くらいになると、過激なファンも増えてくると思うからさ」
「その辺は送り迎えをマネージャーがしてくれているので」
「おっけー。なら安心だね!じゃあまた、今度はRe:valeの番組に出てくれると嬉しいな!」
「そうなれたら光栄です、百さん」

名前はマネージャーに促されるがままぎゅうぎゅうと車に押し込まれ、まだこれから収録が残っているらしいRe:valeに見送られて帰宅した。道中の車内でかちかちとスマートフォンのアルバムを整理していると、ふと懐かしくなった名前はインディーズ時代のRe:valeを撮った何枚かの写真を引っ張り出す。千の名前はその頃から知っていたが、百という人を名前は見たことがなかった。いつの間にかもう1人のメンバーだった人間が消え、その代わりに現れた百と、瞬く間に日本のトップアイドルに上り詰めたのだ。名前はそこまで熱心なファンというわけではなかったが、その名を聞いた時は驚いたものだった。そんなグループと仕事をする立場になるなど、やはり世の中は奇縁に満ちている。
そんな風に考えながら、イヤホンから流れる新曲のデモに耳をすませた。
僕は僕が天才ではないことを知っている