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「はぁ〜……、緊張する」
「いつもそういうこと言うけど、名前って実は図太いでしょ」
「亥清君は口調の割に打たれ弱いよね?」
「はあ!?余計なこと言ってないでさっさと行って来なよ。あと数時間で本番のくせに」
「亥清君はズケズケ物を言うな……」
「思ったこと正直に言って悪い?」
「いや、そういうとこ好きよ」
「す……、あのさぁ!」
亥清悠は歯ぎしりしながら名前を睨みつけた。その様子にまいったとばかりに両手を挙げた名前は平謝りをして立ち上がる。ブラホワ本番前に緊張をほぐすため、事務所の中では最も勝手知ったる月雲了の部屋までやってきたのだが、たまたまその場に居合わせた亥清悠の言葉は名前の凝り固まっていた肩を解させた。ただし、基本的に亥清悠の扱いが雑な名前の気持ちは相手に伝わらなかったらしい。これでも感謝しているのだが?と名前は不満に思ったが、時間も差し迫っているためセットされた髪型を撫で付け深呼吸をする。とうとうこの日が来たのだと名前は自らを奮い立たせた。
「いってきます」
「……ま、三流なりに頑張ってくればいいんじゃない?」
「う、嘘だろおい……亥清君が私を応援するなんて!」
「早く行け!」
「あいたっ。いたっ。蹴らないで!まじごめんって!」
名前は足蹴にされしくしくと蹲る。そんなこんなで追い出される形となったが、名前は何だかんだ亥清悠の言葉を噛み締めた。先程現場のリハーサルで名前が出会った月雲了は、当然名前が優勝するものだろうと打ち上げの予定表を渡すだけして爽やかな笑顔で去っていった。それに比べれば、立派な励ましの言葉である。名前としては自分よりマネージャーの方が自信満々なその様子にやれやれで、こんな時くらい応援の一つでもしてほしいものだと思う。年末最大の番組ブラホワとは言いつつも、変わらず歌うだけだと言えばそうなのだが、一応この一年の集大成。流石の名前も大舞台には人並みに緊張していた。手汗が滲むほどでは無いものの、だからこそ落ち着くためにわざわざ月雲了の部屋までやって来たのだ。現場では名前が戦う女性アーティストが嫌でも目について、基本的に争い事は御免な名前にとってはそっちの方が胃がキリキリした。名前には称号よりこの大舞台で歌えることの方が意味があり、それ以外にはとんと興味がない。
女性部門は前半で行われるため、出番はすぐにやって来た。水を飲み干して喉を整えている名前とスタッフが最終調整を話し合う。そしていざステージに向かう直前に、「頑張って」と数多くの声援に混じって聞き慣れた声が聞こえた気がした。
はっと名前が振り返ると、そこには百と千が手を挙げていた。バレないように、端の方で、こっそりと。誰よりも人を強く惹きつける彼らが、この数多くアーティストが集まる中で、間違いなく名前ただ一人のことを応援していたのだ。名前はそんなスーパースターの粋な計らいに「こんな時に何やってんだあの二人」と突っ込んだが、すぐにグッと拳を突き上げてそれに応えた。二人の笑みが深まる。名前はそのまま今度こそ振り返ることなく、スポットライトの中央に歩き出す。
年末のブラックオアホワイト。デビュー一年目。月雲了の思惑。ツクモプロダクションの期待。
ファンの声援。緊張。誰かの励まし。自分へのプレッシャー。
(そういうものを全部振り払って、私は最高の歌を歌うのだ)
おーけー、そういうの、最高だぜ。
世界は美しい、たまにはね