私は陽の光で目を覚まして、
ゆっくりと起き上がりすぐにコーヒーを淹れる。
その間に歯を磨き、それから、
淹れたてのコーヒーを飲む。
鼻を抜ける香ばしい匂いと舌の上に広がる
旨味を堪能して、そのあとゆっくりと顔を洗う。
これは、毎日のルーティーンで
休みの日であっても変わる事はない。
私は、この島の別の街に生まれて
小さい時にこの街へやってきた。
血の繋がった両親はここにはいないけれど
この大海賊時代のご時世、そんなのは珍しい事ではない。
私を育ててくれた人は出逢った時点でかなり高齢で
私はおばあちゃん、と呼んでいた。
おばあちゃんはずいぶん前に他界したけれど
料理がとても上手だった。
あたたかい家庭の味を教えてくれたのは
おばあちゃんだった。
私を幸せにしてくれたあたたかい料理。
それをたくさんの人に味わって欲しくて
いつか自分のレストランを開くことが夢になった。
とても小さい店だけど私は運よく、
その夢を叶えることができた。
窓を開けて、部屋に外の空気を取り込む。
夜の間にせっかく涼しくなった部屋に
生暖かい空気がどっと入り込んでくる。
自分の部屋の窓から見える
立ち並ぶ古めかしい幾つもの建物の隙間から
少し首を傾げるとほんの少しだけ見える海。
何かの物語に出てくるような
選ばれたものだけが見る事ができる、
窮屈な世界から飛び出すための
細くて小さな、夢の世界の入り口みたいで好きだ。
私はいつも通りの決まった手順で準備を整え部屋を出る。
アパートのゴミ捨て場に回収の荷車が来るタイミングで
いつもその前を通り過ぎる。
私の店はランチのみの営業で
他の店よりも少し早めに開けて少し早めに閉める。
一人で生活するにはそれで充分な稼ぎだった。
近所のクリーニング屋のおばさんの家の前を通ると
ジャスミンの良い香りがした。
壁一面にジャスミンの蔓が伸びていて
そこらじゅうに芳しい香りが漂っている。
私はこの香りが大好き。
甘くて濃厚だけど、少し青味のある匂い。
そういえば少し前に、ここに咲くジャスミンは
他の島で咲くものとは
種類が違うと聞いたことがあったな。
などと、考えごとをしてる間に店に到着した。
「おはよう」
「おはようございます!」
一緒に働く従業員は1人。
幼馴染の妹で、元気で明るくて
いつも一生懸命働いてくれる。
私も一緒に掃除をして
それから、今日の仕込みを始める。
といっても、メニューの種類は多くないし
前の日からある程度は準備がしてあるので
朝はそんなに忙しくない。
「いらっしゃいませ!」
ドアが開いた時に鳴るベルの音で
反射的に挨拶と最高の笑顔が出て、自然と体が動く。
私はキッチンの中にいて、
お客さんから顔はほぼ見えないけれど
それでも笑顔と挨拶は欠かさなかった。
この街は、栄えてはいるけど小さな街。
ここは表の大通りから一本入った小さな店で、
目の前の道は車が一台通るくらいの幅の道。
だいたいくるお客さんは決まっている。
ここは偉大なる航路の前半。
知らない顔のお客さんは、大体は、海賊だ。
ただこの島は比較的治安が安定しているから
そんなに困ったことになった事はないけれど。
今回のお客さんも、見ない顔だった。
3人組で、男性が2人と女性が1人。
男性客のうちの1人が
スタッフをどうやらナンパしているようだった。
目をハートにしてくねくねと体を動かす金髪の男。
気持ち悪いな…助けた方がいいかな…
と思って見ていると
連れのオレンジ色の髪の女性に殴られていた。
めちゃくちゃ美人だった。
もう1人の鼻の長い男は、
いつもの光景かのように呆れた目でそれを眺めていた。
その美人のおかげで逃げ切ったスタッフが
カウンターから、料理の注文を入れる。
「大丈夫だった?」
「あ、はい。なんか、ヤバい人でしたね…」
ナンパ男本人はともかく連れの後2人は
彼を止めたり説教したりしていたので
あまり危険がないようには見えたけれど。
何かあってからでは遅いので
また変なこと言われたら言ってね、と伝えた。
政府の管理下にあるとはいえ
海賊がやってくることも少なくないこの島では
何かあった時に一応助けを呼ぶため
駐在に繋がる電伝虫がカウンター裏に
備え付けてあるのだ。
特に女2人で運営しているこの店を
みんなよく気にかけてくれる。
気を取り直して、私はさっき
キッチンの合間から見えた3人のお客さんの
顔を思い浮かべながら料理を作る。
食べる人の顔を思い浮かべながら
料理を作るのが癖になっている。
なんとなく、その方が美味しくなる気がして。
「はい!お待たせ!」
ミントのスープ
スモークサーモンのタルト
エビとトマトとオリーヴの冷製パスタ
タコとポテトのサラダ
特製ソースのローストビーフ
一気に作り上げ、カウンターに乗せる。
「わぁ、美味しそう!」
いつも見てるはずの料理でもそう言って反応してくれる。
純粋で、とても良い子。
その料理をお客さんのテーブルに持っていく様子を
私は片付けをしながら、
お客さんからバレないように覗き見をする。
料理を見た瞬間、口に入れた瞬間は
特についつい見てしまう。
「わぁ!美味しいっ!!!」
「こりゃァうめェ…コレソース何使ってんだ?」
「うめェな!!ルフィにバレたら大騒ぎだぞ
アイツ港の目の前のバーベキュー屋に
飛び込んで行ったから」
「あのバーベキュー屋、今日は店じまいね」
港の前のあの大きなバーベキューレストランに
一体何が起こっているのだろうかと不安になったけれど
自分の作った料理を
美味しいと言って次々と口にする姿というのは
いつ見ても幸せな光景で他の事をうっかり忘れてしまう。
まだピークタイムには早い時間なので
今店内にいるのは先程の客と常連客が1組。
テーブルが2つ、カウンター席が3つ
テラス席が2つという小さい私の店は
あと1時間もすると
おそらく満席になるだろう。
とても賑やかだった先程の3人客は、帰り際に
本当に美味しかった、ごちそうさまと
言って席を立ったので私は嬉しくて
キッチンを出て、見送りをした。
「ありがとうございました!」
深く下げた頭をゆっくりと上げた時、目の前にいたのは
鼻の穴を広げ眉毛と目尻を下げて
全身からハートを弾き飛ばす金髪の男だった。
「あぁ…燦々と輝く太陽の光に包まれた
眩しい君の笑顔におれの心は熱く燃え焦がされている
そうこれは…恋…♡」
「は?」
あまりの気持ち悪さに、
お客様である事も忘れて一瞬素が出てしまった。
いけない、と思い、取り繕うように笑った。
上手く笑えていたかはわからないけど。
「あ…ありがとうございます。
私はオーナー兼シェフです。
お食事、楽しんでいただけたようで嬉しいです」
金髪の男はさり気なく私に寄り添い手を握り
ごくり、と喉を鳴らしじっと私を見つめた。
こ、怖い…
「…ほ、本当に君が
あの美味しくて美しい料理を作ったのかい…?
あぁ神よ、僕をここへと連れてきた運命…ブゴォ!!!」
先程もスタッフに声を掛けてた際に
この金髪男を殴っていたオレンジ髪の美人が
持っていた棒のようなものでまた金髪男を殴っていた。
すごい音が聞こえて、
金髪の男はその場に倒れてぴくぴくと震えていた。
し…死んだ?
「ごめんなさい、怖かったでしょ?
コイツほんといつもこうなのよ…」
「あの…あの方…大丈夫ですか?」
さっきはゲンコツだったけど
今度はとても硬そうな棒で殴られていたので
さすがに金髪男が心配になって
恐る恐る彼を指差し、目の前の美しい女性に尋ねた。
「問題ないわよ、
意味わかんないくらい丈夫だから」
女性は事も無げに答えた。
「それにしても、
食事は本当に美味しかったわ!
お店もとても可愛いし。
気に入っちゃった」
にっこり笑う彼女は
第一印象の美人とはまた違った
無邪気な雰囲気の可愛らしい笑顔で
女の私でもドキッとするほどだった。
「ありがとうございます…!!」
本当に嬉しかった。
料理や店を褒められることは、他の何よりも嬉しい。
金髪男を介抱している長い鼻の男も
女性に同意し褒めてくれたので、
心からのお礼を彼にも告げた。
少しずつお客さんも入って来たので
「すみません、これで」と頭を下げて
お大事に、と金髪の男を一瞥し、彼らを見送った。
それからはいつものように徐々に客足が増え
ピークタイムを終えて、昼過ぎには店を閉めた。
「今日もありがとう、お疲れ様」
今日も一生懸命働いてくれたスタッフを見送り
戸締りをもう一度確認して、私も帰路につく。
「はぁ〜〜〜今日も働いた」
思わず出た独り言に、
少し恥ずかしくなって周りを見渡した。
昼に散々太陽に照らされて空気中に籠った熱が
少しずつ解放され始めるこの時間から、
街はまた賑やかになる。
騒めく街の人々にとって私の独り言など
延々と喚く蝉の声となんら変わりない、
気にも止めないただの音のひとつだった。
私はなんとなく、まっすぐ家に帰る気にならなかった。
いつもはまっすぐ進むはずの
マグノリアの背の高い木が目印の別れ道を
今日は左に曲がり
レンガ造りの家々の隙間に伸びる道を進むと
道が開けて港沿いの小道に出る。
港沿いの道はクリーム色のコンクリート造りの
アパートがずらっと並んでいて
その前に色んな露店がいくつも出ている。
人が歩ける部分は3m程と狭いけれど
片側は低いパラペットで
目の前に、広い海が広がっているおかげで
狭いといった印象は全くなく、むしろ解放的な雰囲気だ。
アパートの窓や壁に並ぶ、ゼラニウムの赤が眩しかった。
私は露店でビン入りの冷えたレモネードを買い
パラペットに座り、海を眺める。
後ろを、犬の散歩をするおじいさんが通り過ぎる。
いつもきっちり決まった過程で終える1日だけれど
たまに気が向いた時に、少し流れを変えてみる。
とはいっても、パターンはせいぜい2つくらいだけど。
ここは夏島。
そして夏島の中でも四季があり、
特にこの時期は、昼の時間が長い。
夕方で太陽は随分傾いて来たとはいえ
月が顔を出すには暫くかかりそうだった。
私はぐびっとレモネードを飲み干し
空の瓶をバッグに突っ込む。
すぐ横にある階段を降りて、
靴を脱いで素足で砂浜に降り立った。
指の間をすり抜ける砂の感触が心地良い。
私はそのまま波打ち際まで歩き
靴を小脇に抱えて、ロングスカートの裾をたくし上げる。
スカートが打ち寄せる波で濡れない
ギリギリのラインをゆっくりと歩いた。
あんまり歩くと、帰る時がめんどくさいな。
そう思って、元いた場所へ戻ろうと踵を返した。
「うわっ」
「ぎゃっ!」
唐突に聞こえた声に驚いて
なんとも色気のない声が出てしまい
恥ずかしくなり咄嗟に口を押さえた。
そして目の前に立ち塞がる、
声の主を視覚に捉える。
目の前にいたのは、今日の午前中
レストランに来たあの金髪のナンパ男だった。
なんでこんなところにいるのか。
まさか、後でもつけて来たのだろうか?
そうなるとナンパなどというチャラついた
問題ではなく犯罪の域だ。
一瞬で頭を過ったその考えをもとに
私は相手に気づかれないように少し後退りをした。
私の怯えた様子に気付いたのか
ナンパ男は焦ったように両手を挙げ
ひらひらと動かした。
「いや、違ェんだ。
驚かせるつもりはなかったんだ。
本当に偶然、ここを歩いていたら君を見つけて」
焦ってはいるけれど、
優しいその話し方に含みは感じなかったので
私は少しだけ、警戒を解いた。
「それにしては、だいぶ距離…縮めてましたよね?」
「それは…」
男は、何故かへらっと笑い、頭を掻いた。
「君に見惚れて、なかなか声を掛けられなかったからさ」
「なっ…!」
ナンパ男にとっては、こんな台詞を吐くなど
造作もない事なのだろう。
でも今朝のデレデレした雰囲気とは少し違う様子で
そんな事を正面切って言われたものだから、
驚かずにはいられなかったし
照れずにもいられなかった。
そんな事、普通に生きていて
そうそう言われる事なんてない。
「あ、あんな美人といつも一緒にいて…
こんな女に見惚れるも何もないでしょう…」
私は精一杯頭を回転させて言葉を絞り出した。
でも本当に、そう思った。
男は、一瞬キョトンとした顔をして、すぐに笑った。
そしてあの美人を思い出してるのだろう、
鼻の下を伸ばしてニヤつきはじめた。
「あァ、ナミさんかァ♡
ナミさんは本当に美しくて可愛くて
まさに地上に舞い降りた…女神…♡」
「…」
一体私は何を見せられているんだという気になって
言葉が出て来なかった。
美女を思い出してデレデレしている謎の男の様子を
ただただ眺めることしか出来なかった。
…ナミさんって言うんだ、あの美人。
「でも、君はナミさんとは
違った魅力があって素敵だよ」
突然表情を変えて、真っ直ぐに目を見て言われた。
急にトーンを変えてそんな事を言うのは
とても心臓に悪いのでやめて欲しい。
ただ、この流れではさすがに説得力のないその言葉に
赤面する事はなかった。
ただ礼儀として、一応お礼だけは言った。
「ありがとうございます」
「あれ、信じてないな。」
まァいいや、と言って男は懐からタバコを取り出した。
火をつけようとして、ふと思い出したかのように
「ごめん」と私を見て言ったので
「気にせずどうぞ」と返した。
安心したように、「お言葉に甘えて」と言って
彼は慣れた手つきでタバコに火をつけた。
「今日、君のレストランで食べた料理、
本当に美味しかった。なんていうか…
味そのものももちろんウマかったけど
ほっとする気持ちになった」
素直に、嬉しかった。
先程伝えたお礼とは違う
「ありがとうございます」が自然と溢れた。
「俺も、実は料理人なんだ」
「えっ…そうなんですか?」
彼は、先程の仲間達(他にも何人かいるようだった)と
乗っている船で、コックをしているらしい。
見た限りヘビースモーカーっぽいし
最初は、またナンパの手口で
話を合わせているのだろうかと思っていたけど
色々と話しているうちに、
それが本当なのだろうとわかった。
同じ料理人だとわかれば、
意気投合するのは一瞬だった。
私はずっとこの島のこの街にいて外の世界を知らない。
船に乗り、色んな所で冒険をする
料理人の話は面白く、とても興味深かった。
彼は気まずそうに、
自分が海賊である事を告白した。
私は想像通りだったので驚かなかった。
彼も、今朝見た仲間たちも
私の知っている海賊とは随分様子が違って
犯罪者だとか、怖いといった印象は全くなかった。
海賊でも、こんな人たちもいるんだなと
そういう意味では驚いたけれど。
気付けばさっき一人で座っていたパラペットに
二人で並んで座っていた。
夕暮れの時間、空がオレンジ色に染まる頃
盛り上がった話が少し落ち着いたタイミングで
彼は気まずそうに言った。
「つい話が盛り上がっちまって今更だが…
おれの名前はサンジ。
君の名前を、教えてくれるかい?」
そう言われてはじめて
お互いに名前もまだ知らないことに気付いて
そうだった、と言って笑った。
「私の名前はNAME。」
私が名前を伝えると、
彼は大切なものの名前を呼ぶように
優しい声でNAMEちゃん、と呟いた。
そして、よろしくねと言って、手を差し出した。
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
そう言って私は、差し出された手を握り返した。
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