いつも代わり映えのしない、でも充実した毎日だった。
変わらない、安定した、明日が予測できる毎日。
今目の前で起こっているこの状況は
確実に、少なくとも昨日までは
絶対に想像していない事だった。
今日だって、この後何が起こるかも
正直言ってわからないのだ。
そんな事に足を突っ込む(というと大袈裟だけど)
自分のことさえも
また不思議でわからないものだな、と思った。
そんなことを考えながら立ち止まっていると
こちらに気づいたサンジさんがゆっくりと歩いてきた。
「どうしたの?なんか固まってるけど」
サンジさんは笑っていた。
最初の印象とは随分変わったな、とふと感じた。
「なんでもないです」
私は少し焦って首を振った。
「食事…この島のお店、わからないですよね?」
サンジさんに尋ねる。
「あァ、そうだな…どこかおすすめはあるかい?」
私はあまり外食をしないけれど
長い間ここにいるのである程度思いつく店はあった。
「そうですね…美味しいところはいくつかありますよ。
でもまだこの時間は空いてないところが多くて。
この島の人は、この時間にまずお酒を軽く飲んで
あと2時間後くらいの時間に夕食を取るんです」
お酒好きが多いんですよ、この島は。そう言うと
サンジさんは何か思い出したような顔をした。
「そういやァウチの船のヤツが言ってたな。
ここはいい酒がたくさんあるって。」
「その方、お酒が好きなんですか?」
「あァ。ありゃアル中だ」
サンジさんは眉を顰めて不機嫌そうな顔を作って言った。
でもその目は、全然怖くなくて
大切な仲間なんだな、とすぐにわかった。
「サンジさんはお酒は飲みます?」
「まァ…人並みかな。
おれは酒に酔うより
美しいレディ達にいつも酔っているから…♡」
「あ、そうなんですね」
昨日話してる間にもこういう流れが何度もあったから
私も少しずつ慣れてきた。
このペースでこれを毎日ずっと見ていたら
あのナミさん、という人の様にもなるんだろうなと
すこしナミさんに同情した。
「そんなクールなNAMEちゃんも素敵だァ〜!♡」
「…私もそんなにお酒は強くないけど
美味しいおつまみを出してくれるバーがあるので
とりあえずそこに行きましょうか?」
ニコニコしながらまだハートを飛ばしている
サンジさんを無視して、私は足を進めた。
昼間はカンカン照りの太陽がコンクリートを焼いて
熱気がそこらじゅうに漂っているけれど
太陽が少しずつ傾き始める時間から
少しずつ気温が下がってくる。
とはいえ、ここは夏島。
基本的には一年中暑い。
今もまだ、日差しが少しずつ弱まってるとはいえ
少し歩くとじわっと汗が出てくる。
ふわっと吹いてくる風が
汗をほんの少しだけど冷やしてくれる。
今は胸に抱えた花束のおかげて
風が吹くと、さわやかないい香りも
一緒になって漂ってきて
とても気持ちが良い。
夏に、ぴったりの香りの花束だ。
「本当に、好きなんだね、花」
そう言われて、サンジさんの方を見る。
「あ、私、ニヤけてました?」
「可愛い顔で笑ってたよ」
物はいいようだな、と思った。
よくもまあこんなに次々と褒め言葉が出てくるものだ。
私も、半分くらいは見習いたい、と心から思った。
「いつも、朝通る道に、ジャスミンが咲いてるんです。
すっごく良い香りで、心が落ち着いて。
この島のジャスミンは
他の島で咲くものとは種類が違うみたいで。
私は、この島から出たことがないので
実際に見たことはないんですけど」
「…NAMEちゃんは、
この島を出てみたいと思ったことはあるかい?」
「う〜ん…ないですね」
「…それはどうして?」
「発想がまずなかったかな。
偉大なる航路で生きていける自信もないし。
それに私、この島が好きなんです。
平和だし…それに今は、店もあるから。
あ!つきました」
目的のバーへ到着した。
そこそこお客さんは入っているけど、
空席はなんとかありそうで安心した。
「ちょうど奥が空いてそうですよ!」
「おっ、良さそうな店だな。
こりゃァ地元民じゃねェと知らねェところだ」
サンジさんは嬉しそうに店内を見渡していた。
なんとなく、通りから見えにくい方が
いいんじゃないかなと思って
ちょうど空いていた1番奥の席に座った。
まずは軽く、と私はアペローニ・オレンジ、
サンジさんはネグローニを頼んだ。
空腹にアルコールを入れると
どうしても悪酔いしてしまうので
簡単なものをいくつか注文する事にした。
何がいいかと尋ねるとサンジさんは
「NAMEちゃんの選んだものが良い。
君の好きなものを知りたいんだ」
とさらりと言った。
さっきから次々と投げかけられる
サンジさんの甘すぎる言葉に、
まだお酒も飲んでないのに
すでに酔っ払ったような気分だ。
しばらくして、
カクテルとブルスケッタがテーブルに届く。
「美味そうだ」
料理を見るサンジさんの表情を見て、安心した。
プロをレストランでおもてなしするのは、
とても緊張する。
「それじゃあ…」
そう言って、サンジさんがグラスを持ち上げる。
「「乾杯」」
オレンジの酸味とアペロールの爽やかな苦味が
喉を刺激して夏の夕方と最高の組み合わせだった。
「おいし〜い!!」
思わず出た声にはっとしてサンジさんを見ると
ニコニコと笑って、私を見ていた。
その笑顔になんだか妙に安心して
へへへと笑うとサンジさんもネグローニを飲んで
おいしいね、と言った。
なんだか不思議な気分だ。
私達、まだ出会って2日目なのに。
なんだか居心地が良くて、
私はすっかり安心しきっていることに気付いた。
彼は海賊で、はじまりはナンパで。
私、いくらなんでも警戒心なさすぎない?
どちらかといえば、警戒心は強い方なはずなのに。
そう思ってサンジさんをまたちらりと見ると
ブルスケッタに夢中になっていた。
上に乗っている具材の味付けが気になっているらしい。
その姿がなんだかとても可愛かった。
「サンジさん、美味しいですか?」
「うん。
…ねえ、NAMEちゃん。」
「はい?」
サンジさんがブルスケッタを頬張りながらこちらを見た。
話しかけるタイミングが
少し早かっただろうか、と思った。
「そろそろタメ口で話してくれたらすごく嬉しいなァ。
おればっかりで、なんか他人行儀だし、あと…」
ごくん、と飲み込む時に動いた
サンジさんの喉仏が何故か妙に目についた。
「サンジって呼んでよ。」
誰がどう見てもなんてことはない、ただの会話。
そんな事は私でもわかっていて、
それでも、私の心臓は明らかに速度を早めていて
急に喉が渇いてきた。
私は、持っていたアペロール・オレンジの残りを
一気に飲み干した。
「さ…サンジ」
「うん」
そう言って、サンジは満足げに笑って、
ネグローニを飲み干した。
二杯目を飲むか悩んだけれど
レストランが開くまでの間
少し散歩をする事にした。
お腹も、もう少し空かせたかったので丁度良かった。
外は、まだ完全に陽は沈んでいない夕空で
空が薄いオレンジ色に染まっていた。
昨日、サンジとちょうどお別れしたのが
同じくらいの時間。
ちょうど店じまいをしている露店の前を通りかかった。
その露店のワゴンにたくさんの
サクランボが積まれていた。
「おっサクランボか。
こりゃデケェな!肉厚だし、ウマそうだ。
ビタミンだけじゃなくカリウムも多く含まれるから
夏バテにも良くて日差しの強いこの島にはうってつけだ」
嬉しそうに食材の話をするサンジの顔は輝いていた。
私も、この手の話は大好きなので
テンションが自然と上がる。
「サクランボを使ったおすすめのレシピある?」
「やっぱりそのまま食べるのが1番だけど…
チェリーパイもいいし、意外と肉とも合うんだよな」
「えっ!そうなの?どうやって?」
「おれのオススメは…」
そんな話をレストランに到着しても、
注文した食事に入ってる食材を題材にあげては
延々と続けていた。
私は、新しいデザートメニューを作ろうかと
考えていた事を思い出した。
サンジと話をしていたら、
次々と新しいアイディアが湧いてきそうだ。
食事も終わり、
そろそろ帰らないといけない時間になってきた。
本当は、あと一軒くらい行きたい気持ちだったけど
明日も仕事だし帰ることにした。
今でも私にしては充分、遅いくらいだ。
「送っていくよ。…あ、もし、よければだけど」
サンジが付け加えたその一言で
確かに家の場所を知られるには
まだ会って間もないなということに気づいて、
なんだか可笑しくなった。
そんな律儀なところに、サンジの優しさを感じた。
「全然気にしないよ。サンジだから。
ありがとう」
自然と、そんな言葉が出た。
ゆっくりと街頭に照らされた道を歩く。
この時間でもまだまだ人が多い。
向こうから歩いてくる人とぶつからないように
避けた時、隣のサンジの腕に、私の肩が触れた。
「大丈夫?」
サンジの声が妙に耳に響いた。
私は、レストランで最後に飲んだジントニックのせい
そう自分に言い聞かせて、
そのままサンジに肩をくっつけたまま歩いた。
サンジは、危ないよ、と言って私の手を握った。
咄嗟にサンジの顔を見上げると
サンジは私の顔をじっと見つめていた。
てっきり前を向いているとばかり思っていて
私はすぐにサンジから目を逸らしたけど
握られた手は解かなかった。
もう気温はずいぶん下がって
夜風が気持ち良かったけれど
握られた手と、サンジの長袖のシャツに触れている
私の左腕は、異様なほどに熱かった。
「ねえ、サンジ」
「うん?」
私は、ずっと気になっていた事をサンジに尋ねた。
「昨日海で…どうして、
見かけてすぐに声をかけてこなかったの?」
見惚れてたから、昨日サンジはそう言ったけど
それはにわかに信じられなかった。
でも、ただ通り過ぎるような場所じゃない砂浜の
波打ち際まで、声もかけずに近づいてきた理由が
実は、とても気になっていた。
サンジは、思い出すように斜め上を見て
それから少し間を置いて答えた。
「う〜ん…なんていうか…
さみしそうに、見えたんだよね」
「…私が?」
「うん。波打ち際をゆっくり歩いてる姿が。
少しさみしそうで…綺麗だった」
さみしい、なんて、考えたこともなかった。
私は仕事にも、周りの人にも、恵まれている。
不満なんてないと思っていたし、
ずっこれからも、こんな毎日が続いていくと思っていた。
でも「さみしそう」と言ったサンジの言葉が
妙に頭に残った。
そんなことないよ、と笑い飛ばす事ができなかった。
「よくわかんない」
私は正直に答えて、サンジの顔を見た。
サンジは「そっか」と答えて、にっこりと笑った。
アパートの下に到着するまでの時間は、
そう長くなかった。
なんと言っても、この街は小さい。
「ここ」
「…そうなんだ」
私のアパートのある住宅街は、
しんと静まりかえっていた。
「送ってくれてありがとう。楽しかった」
「俺も楽しかったよ」
私とサンジの間を、風が通り過ぎる。
夏の夜の風はなんだか切ない気持ちになる。
「明日も、仕事なんだよね?」
「そう。明日は、新作のデザートを作ってみようかと思ってて」
「へェ!そうなんだ!食ってみてェな」
サンジは目を輝かせて、少し前のめりになって言った。
「…良かったら、試食…してくれる?」
「いいの?!」
少し勇気を出してお願いしてみたら
予想以上に嬉しそうな顔で快諾してくれてほっとした。
「もちろん!
正直な意見、聞かせてくれたらすっごく助かる」
「喜んで。明日、作るんだよな?」
「うん、明日店を閉めてから作るから
今日、レストランに行ったくらいの時間になるけど
…来れそう?」
「もちろん。ログが貯まるまで、
おれたちはただの観光客だよ」
サンジがそう冗談めかして笑うから
私も一緒になって笑った。
新メニューの試食をプロにしてもらえる。
それももちろん心強くて嬉しかったけど
それ以上に、
明日もまたサンジに会える事が1番嬉しかった。
「じゃあ、明日」
「うん…明日ね」
そう言って、私の手からサンジの手がそっと離れて
サンジが代わりに持ってくれていた花束を受け取る。
予想通り手には汗をかいていて
夜風がすり抜ける時、手だけが妙に涼しく感じた。
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