ふと目が覚めた時、
いつもとどこか違う感覚があった。
不思議に感じて枕元に置いた懐中時計を見ると
いつもより大幅に時計の針が過ぎていた。
私は大急ぎでベッドから起き上がり洗面台へ向かう。
窓を開けて空気を入れ替えて深呼吸、
などとしている時間がなかった。
これは、私にとってはかなりの大問題だ。
こんなにもずっと、毎日同じ手順を踏む事を
欠かさず守ってきたというのに。
何があっても、変わらないようにと
無意識の習慣になるまでに
注意深くやってきたというのに。
理由は、わかっている。
身体中を自然と流れるリズムのようなものがあって
今までにないものが流れに紛れ込んだことで
バランスを崩してしまったような、そんな感覚だった。
ただそれが、悪くない心地なのも、本当は感じていた。
ばたばたと準備をして、
ベッドサイドの花瓶に挿した
昨日サンジにもらった花を一瞥し、走って店へと向かう。
どうやら、ローズマリーの効果はなかったようだ。
「おはよう!!!」
「おはようございます〜!
今日はまた珍しくギリギリですね!
もしかして…やっぱり何かあったんじゃ〜!?」
女の子は、こういう話が大好きだ。
彼女の求めてるような話が…あるけれど
私はこういう事を人に話すのは
気恥ずかしくて得意じゃない。
何もないよ、と言って誤魔化す。
えー残念。そう言ってむくれる彼女は、
年頃の女の子らしくてとても可愛かった。
「あ!そういえば昨日言ってたフルーツ、
お兄ちゃんがピーク前には
持って来れるって言ってました」
「良かった!助かるー!」
昨日、新作デザートを作ろうと思い立ったあと、
彼女に頼んでいたのだ。
私の幼馴染みでもある彼女の兄は、
フルーツショップを営んでいる。
家族で代々この島で経営していて、
彼女の兄はそれを継いだ形だ。
私が小さいころにこの街に来てから
彼らの家族にはとてもよくしてもらっていた。
この街は小さい分、街の皆で協力しあって生きている。
みんなとても優しくて温かい。
「お兄ちゃん、なんか妙に張り切ってましたよ」
面倒見の良い彼が、張り切ってフルーツを
選別している姿がありありと浮かんで笑えてきた。
そうこうしているうちに、開店の時間になった。
常連のお客さんがぱらぱらとやってきて
コーヒーとサンドイッチを注文して
少し話をして仕事へと戻る。
そんな、ゆったりとしたピーク前のひと時に
幼馴染は大きなコンテナを抱えてやってきた。
アプリコット、桃、スイカ、メロン、無花果。
コンテナいっぱいに盛られた
見るからにフレッシュな果物の数々。
やっぱり果物は、テンションが上がる。
「うわー!どれも美味しそうなやつばっかり!」
「だろ?俺が選んだやつだからな、間違いねェよ」
彼は、渾身のドヤ顔で胸を張る。
自信満々の姿に、はいはいと言って返すけど
フルーツを見極める目は確かで、
本当は信頼しているし、尊敬もしている。
「これから何にするかは考えるけど…迷っちゃうなあ」
「出来上がったら、食べさせてくれよ」
「…うん。店に出す日が決まったら言うから
初日に来てよね」
「おう!楽しみにしてる」
少し心が痛んだ。
彼が私に対して、幼馴染以上の想いを持っている事を
私は薄々勘づいている。
別に、何を言われたわけでもないしされたわけでもない。
でもそういうものって、言わなくても
醸し出されているものだ。
ただ私は、彼がどうだという事ではなく
誰に対しても情熱的な想いを抱くことが出来ずにいたし
そんなものは特になくても困らないとさえ思っていた。
それなのに、と思った。
私は、サンジの事を思い出す。
サンジと恋人になるだとか
そういう事を期待しているわけではない。
そんな馬鹿げた夢を見るほど、子供ではない。
サンジは、あと数日もすればこの島から出ていく。
そして恐らく、2度と会えないだろう。
でも、私がサンジに対して抱いている想いは
今まで誰にも抱いたことのない、
感じたことのない種類のものだった。
それは、どう足掻いても認めざるを得ないほどに
明確な形で、私の心の真ん中にどっかりと居座っていた。
誰かを本気で好きになるなんて、
一生ないと思っていたのに。
私は、コンテナからアプリコットを取り出し
鼻にくっつけて香りを嗅いだ。
甘酸っぱい中にもこってりとしたとろみのあるような
なんだか切なく胸がきゅっとなる香りだ。
デザート、今日中に何にするか考えなきゃ。
物思いに耽ってる場合ではない、と我に帰った。
私は、少しずつ増えていく
お客さんの注文をこなしながらも
合間にデザートの案を考え続けていた。
今日もピークタイムを無事乗り切った。
いつもは一緒にする店の後片付けも、
今日はスタッフにお願いして
私はデザートの試作の準備に取り掛かる。
何種類か施策を作ってその中から一つ、選ぶ予定だ。
お店に出すものだから、作る手間と、コストと
でももちろん見た目とおいしさ、
そのバランスも考える必要がある。
出来上がったのは
無花果と桃とメロンのマチェドニア。
アプリコットとナッツをたっぷり入れたカッサータ。
それから、ジャスミンとスイカのゼリー。
どれも、夏らしく出来たな、と自画自賛した。
ーコン、コン
スタッフは先に帰り、居るのは私だけの店内に
控えめだけど軽快なノックの音が響く。
準備中の看板を出したガラスのドアを見ると
そこには、サンジがいた。
目が合うと、サンジは無邪気に笑い手を振った。
鼓動が明らかに、急速に高鳴るのを感じた。
閉めていた鍵をあけて、ドアを開くと
サンジは後ろ手に持っていた
小ぶりの花束を私に差し出した。
それはとても、スマートな動きだった。
鮮やかなフューシャピンクのブーゲンビリア。
透き通るピンクのグラデーションがとても美しい。
「綺麗…ありがとう」
「どういたしまして」
王子様みたいだ、なんて
あまりにも馬鹿馬鹿しくて恥ずかしい響きだけど
私はそう思わずにいられなかった。
心臓がドキドキして、胃のあたりがぎゅうっとなって
でもそれがとても、心地よい。
「綺麗だね」
サンジにそう言われて、
ただでさえ過剰に動いてた心臓が跳ねた。
私に言ったわけではない、恐らくこの花の事。
そんなこと、考えたらわかるのに。
一瞬勘違いした事が少し恥ずかしくて焦った。
「ほ、ほんと、綺麗だよね。
部屋に飾るのが楽しみ」
そう言ってサンジの方を見ると
黙ったまま、私の目をじっと見つめていた。
多分数秒、見つめ合っていたけれど
もうこれ以上は、心臓がもたない、と思って
私から目を逸らして、席へ案内した。
なんだか調子が狂う。
「ここ、座って。もう出来てるから」
「おっ、楽しみだな。」
そう言ってサンジは窓際のテーブルに腰掛ける。
窓際といっても、カーテンを閉め切っているから
外の景色は全く見えないけれど。
私は開けっ放しになっていたドアを閉めて、
ドアにもカーテンをひく。
この時間はまだ他の店は営業をしているので
カーテンをひかないと間違って入ってくる
お客さんが結構いるのだ。
薄いカーテンなので、この島の強い日差しの中では
閉めても充分に明るい。
太陽が傾く準備をし始める時間帯であっても
陽の力は衰えることはなかった。
私はキッチンに入り、紅茶を淹れる。
サンジは紅茶が好きだと言っていた。
すぐに注げるタイミングで
ポットごとテーブルに持っていく。
「おれが注ごうか?」
紅茶は注ぎ方が重要。
まだサンジが料理をするところを見た事がなかった私は
紅茶を注ぐところを見てみたいと思ったので
素直にお願いした。
「じゃあ、お願いします」
サンジは嬉しそうに立ち上がり
ポットに手を伸ばした。
ポットの蓋を取り、優しくティースプーンで掻き混ぜ
また蓋をしてそれからカップにゆっくりと注ぐ。
花束を渡す時と同様、いやそれ以上に、
流れるように美しい所作で
うっかり見惚れてしまった。
「綺麗な色だな…香りも良い」
注がれた紅茶を見てサンジが零した。
私はサンジに見惚れていて
その間にドルチェを準備する予定だったのを
うっかり忘れてしまっていた。
「あっ、ごめん、持ってくるね」
早歩きでキッチンへ戻り
持ってくるだけにしておいたトレーを取り
またテーブルへと戻った。
サンジはテーブルに座り
ニコニコ笑って私を待っていた。
今度はその姿がなんだか犬のように見えて
とても可愛かった。
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