今朝は寝坊をしなくて済んだ。
と、いうよりも眠りが浅くて
ちゃんと眠ることが出来なかった。


昨日あの後、片付けを一緒にして、
夕食を取るためにバルに寄ったけれど
3種類もドルチェを食べたサンジは
あまりお腹が空いてなかったようで
私が食べるのをじっと見ていた。
自分が食べるところをじっと見られるのは
思った以上に恥ずかしくて、むず痒かった。


それから、手を繋いで
ゆっくりと、散歩をしながら家に帰ってきた。
サンジはまた家まで送ってくれたけど
家の前で軽いキスをして、そのまま帰っていった。


何事もなくそのまま帰ったサンジを見て
少しほっとしたけど
どこか残念に思っている自分がいた。


それから、お風呂に入ってる間も
掃除や洗濯をしている間も
ぼーっとして、いつも以上に時間が経って
急いでベッドに入っても
枕元に生けてある花の香りがするたび
サンジの事を思い出してしまって
目が冴えてなかなか眠れなかった。


いつもより少し重い体を起こして
洗面台へ歩く。
鏡を見たら、すこし顔が浮腫んでいた。


何をするにもすぐに
頭の片隅にサンジの顔が浮かんだ。
自分がこんなにも
恋愛脳になるタイプだとは思わなかった。


いつも通り、着替えて準備をする。
昨日の夜、帰り際にまた会いたいと言ってくれた。
もちろん、私も会いたかったから
今日も会う約束をした。
それだけで、自然と笑顔になる自分が
少しむず痒かった。


いつものジャスミンの前を通った時、
昨日のゼリーの事を思い出して
顔が赤くなってしまって
もう、あのゼリーは商品化却下だな、と思った。


今日も仕事は無事に始まり、無事に終わった。
仕事は本当に楽しくてやりがいがあって
仕事中は、他のことを考えなくて済む。
そして"いつもの私"でいられることで安心できる。

周りは、何も変わらないままで
変わったのは私なんだ、と実感をした。


「お疲れ様。今日もありがとう」

「今日も忙しかったですね〜!」


最後のお客さんも帰り、あと片付けも終わり
戸締りをして裏口から2人で出た。
今日は、サンジとは外で待ち合わせをしている。


「そういえば、昨日のデザート試作どうでした?
良さそうなもの、できました?」

「うん…そうだね。いくつかは。
まだもう少し、候補ができたらいいなとは思うけど」

「お兄ちゃんが、すごいたのしみにしてて
もう、うるさいんですよ〜!
余裕のない男は嫌われるって、伝えときましたから!」

「あはは、ありがと」


ちくりと罪悪感が胸を刺した。
罪悪感など感じる謂れはないのだけど。
彼の優しさと、情熱と
純粋さには沢山助けられてきて
感謝もしているし、これからも今まで通り
幼馴染として支え合っていきたい。
でも、それはきっと、私の我儘で。
お互いの願いが違っているなら
どちらかが折れない限り、いつか終わりが来るものだ。

私は少しずつ、甘んじて受け入れようと
心のどこかで覚悟し始めていた。
私が、誰かに大切に思ってもらえるなんて
こんなにも有難いことは、ないのだからと。


「じゃあ、お疲れ様でした!」

「うん、また明日ね」


でも、私はサンジと出会ってしまった。
自分には無関係だと
諦めていた想いを知ってしまった今、
自分が選ぼうとしていた
ぬるま湯に浸かったような人生に
引き返せる自信がなかった。


待ち合わせ場所は、
サンジとはじめて話をした、あの海岸。
サンジは既に到着していて、
パラペットに座って海を眺めていた。


サンジの横顔を捉えて、一気に鼓動が加速する。
もう既にきっと、顔がにやけている。
私は、サンジに声をかける前に通りの露店で
アイスティーを二つ買った。


「お待たせ」


斜め後ろから、サンジに声をかける。
私の声で振り向いたサンジは、
私の顔を見ると嬉しそうに笑った。
サンジの隣に座り、
アイスティーを渡す。
サンジはわざとらしいくらい大袈裟に喜んだ。
その姿が可愛くて面白くて、私は笑った。


「俺からも」


そう言って、サンジは傍から細く小さな花束を出した。
チューベローズだ。
わずかにピンクがかったオフホワイトの小さな花が
縦にいくつも重なっていて
すっきりした見た目なのに
香りは濃くて、うっとりするほどに、甘い。


「わぁ!可愛い。それに、いい香り」


顔を近づけなくても濃く甘い香りがふわっと漂う。


「たまには違うものを、とも思うんだけど、つい」

「ううん!私は花が嬉しい。本当にありがとう」

「そう言ってもらえると、おれも嬉しいよ」


私はもらった花束を、大切に膝に置いて
アイスティーのストローを
くるくると回して弄んだ。


「…今日は、サンジにお願いがあるんだ」


アイスティーに視線は置いたまま、私は言った。
誰かにお願いをすることにあまり慣れてなくて
顔を見るのが少し恥ずかしかったから。


「おれに?ちょっと緊張するな」


サンジは姿勢を正しながら、おどけながら言う。
私が緊張している時に、サンジはこうやって
冗談混じりで話をして
緊張をほぐしてくれている事を
私はなんとなく感じていた。
  

「サンジの料理、食べてみたいな〜…なんて…」


横目でちらっと見る。
プロにこんなお願いをするなんて
図々しいかな、と思いながらも
どうしても私はサンジの料理を食べてみたかった。


「なんだ、そんな事?
もちろん、喜んで!」


私の不安が最も簡単に吹き飛ぶほど
嬉しそうな顔でサンジは言った。


「ほんとに?いいの?」

「もちろんだよ。でも、どこで作ろう。
ウチの船でもいいけど、アイツらうるさそうだしな…」


サンジの乗る船にも行ってみたかった。
サンジの仲間にも会いたかった。
でも、私は出来るだけ長く、
サンジと2人っきりでいたいというのが本音だった。


「…うちは、どうかな?」

「えっ!NAMEちゃんの家?
…いいの?」


サンジは驚いた顔をした。当然の反応だ。
それが、どういう意味なのかくらい
私だってわかっている。


「うん。
…キッチンは、そんなに広くないけど」


「どんなキッチンでも、
おれは最高の料理を作るよ」


プロだからね、とサンジは言った。


「ふふふ、楽しみ!
じゃあ、食材買って帰ろう?」

「よし。腕がなるな」


私達は残りのアイスティーを飲み干して、海岸を後にした。
大きな青空マーケットは
ちょうど店じまいが終わった頃だったので、
地元の食材が並ぶ小さな商店へ立ち寄った。


小さい店の中にびっしりと食材が並んでいる。
私の家にある食材を説明しながら
サンジが必要なものをかごに入れていく。
サンジは、彼の仲間が好きなものを見つけると
嬉しそうに、仲間の話をしてくれた。
本当に大切な人たちだということが
ひしひしと伝わってきた。
仲間であり家族であり、恩人でもある、
とサンジは言った。
私にはわからない、特別な絆が
仲間達との間にはあるのだろう。
話を聞くだけで、心が温かくなるのを感じた。


買い物が終わる頃はまた、夕暮れの時間になっていた。
両手に荷物をぶら下げて歩きながら家へと帰る。
いつものジャスミンが壁一面に広がる場所を通った。

いつも話してるジャスミンだよ、と告げると
やっぱりNAMEちゃんにぴったりだね、
とサンジは笑った。


この街の建物はどれも古くからあるもので
レンガや石造のものがほとんど。
私の住むアパートもレンガ造りで古くて外壁には
蔦植物が生い茂っている。
それでも中は比較的綺麗で、
外から見るよりも幾分か広い。


「お邪魔します」


サンジは少し遠慮がちに
ゆっくりと私の部屋を見渡した。

サンジを呼びたいと思っていたから
実は、昨日のうちから片付けていたけど
この島にきた時からずっと住んでる家だから
生活感はかなりある。
だから、じっくりと見られるのは少し恥ずかしい。

サンジは、リビングに飾ってある
おばあちゃんの写真を手に取った。


「これ、NAMEちゃんの…」

「そう。おばあちゃん。私を育ててくれた恩人で
私に料理の魅力を教えてくれた人」

「優しそうな人だね」

「うん。すごく優しかったよ。
だからここには、いい思い出がいっぱい」


サンジは、優しい顔で写真を見つめていた。
私が、サンジの仲間の話を聞いてる時のような
温かい気持ちに少しでも近いといいな、と思った。


「キッチン、案内するね。」


サンジはキッチンの設備を一通り確認して
素早く料理へと取り掛かった。
私はいつも料理を作る側で
人が料理をする姿を見るのは
それこそおばあちゃんぶりだった。
サンジが料理をする姿は、
エンターテイメントのように
楽しくて、華やかで、的確で、かっこよかった。
あっという間に、テーブルに料理が並んだ。


「すごい…」


特製チャーハンに、魚介とレモンのスープ
カジキマグロのソテーに、エビとホタテのマリネ
そしてデザートに、香ばしいカラメルが美味しそうなプリン。


「急いで作ったから、賄いみたいな料理だけど」

「ううん。この短時間で、しかも家にあるもので
こんなに作れるなんてすごいよ!
それに…どれもすごくいい匂いだし、おいしそう!」

「そうだろ?どうぞ、召し上がれ」

「うん。いただきます!」


口に入れた瞬間、口の中に旨味が一気に広がって
不思議なくらい、力が湧いてくるような料理だった。
それに、この感じは…心の奥が、
あったかくなるような、この感じは
おばあちゃんの料理を、食べた時みたいだった。

それを説明すると、サンジはああ、と呟き
嬉しそうに笑った。


「そりゃ…愛だな」

「愛…」

「おばあちゃんはNAMEちゃんの事、
心から愛してたんだな。
料理は、愛だ。
NAMEちゃんだってそうだろ?」

「うん…私はいつも、料理をするとき
キッチンからお客さんの顔を見て
その顔を思い出しながら作るようにしてる」

「そういうことさ」

「そっか…
でもやっぱ味付けはサンジの料理はレベル違いだね。」

「あァ、そりゃ。まァ、一流だからな」


サンジはニカッと笑った。
努力によって手に入れた事実を事実と認める姿は、
こんなにもカッコ良いんだなと思った。


「サンジの仲間たちは、こんな美味しい料理
毎日食べてるんだよね?幸せ者だなぁ」


私がそう言うと、サンジは少し間を置いた。
何かを考えるように神妙な面持ちになった。


「どうかした…?」


「…いや、なんでもねェ」


私は不思議に思ったけれど
何も言わない事を問い詰める趣味はないので
特に何も言わなかった。


「…サンジも一緒に食べよう?」

「あァ、そうだな!」


サンジは私の向かいに座った。
いただきます、そう言って両手を合わせて
自分の作った料理を口に運ぶ。
うん、と納得する顔を見て、私も食事を再開した。


「ごちそうさまでした!」

「お粗末さまでした」


本当にどれも美味しくて
ついつい食べ過ぎてしまった。
ぱんぱんに膨らんだお腹を撫でながら
私は部屋に寝かせてある、
まだ日の目を見ていない瓶のことを思い出した。

ゴソゴソと、台所の棚の奥を探る。
一人で晩酌する事もなかなかないので出番がなかった。
この島で作られたお酒だ。


「ねえ…これ、飲まない?」

「おっいいね」


私はグラスを出して、
冷凍庫から氷を出す。
デキャンタに水を注いで
冷蔵庫にある炭酸も出した。
サンジは台所に来て、何も言わずに
用意したそれを、リビングへと持っていってくれた。
動きがスムーズすぎて、感心してしまった。


私達は、食事をしたテーブルとは別の
リビングのローテーブルの前のソファに座った。
このソファは、私のお気に入りのくつろぎの場所だ。

私はソーダ割り、サンジはロックで飲む事にした。


「「乾杯」」


そう言って、かちんとグラスを鳴らす。
ソーダ割りとはいえ、元々強めの度数。
私は慎重に、ちびちびと
舌を濡らす程度のスピードで飲んだ。
早々に酔っぱらって
サンジと話す時間を減らすのが勿体なかったから。


「…なんか、すげェ平和だなァ」

「ふふ、そうだね」


サンジはグラスを持ったまま、
ソファの背もたれに身を預ける。
目を薄めに開けて、気分が良さそうだ。
リラックスしている姿が、嬉しい。


「この前まで、命懸けで戦ってたなんて嘘みてェだ」

「…また、海に出たら、命懸けだよね」

「…そうだな」


命懸けの戦い。
このご時世、言葉として聞くことは多い。
でも、この平和な島で生きてきた私には
想像する事は難しい、遠い世界の話だった。


「…ねえ、オールブルーの話して。」


オールブルーの話は、最初にあの海岸で聞いた。
その時の、サンジのキラキラした目が、
忘れられなかった。
あの時夢を語る姿を見た瞬間、
きっと私はもう、恋に落ちていた。


それと同時に、この夢を、
叶えて欲しいと心から思った。
人の夢に、ここまで共感して、
自分が何かをしてあげたいと思ったことなどなかった。
でも私に、出来ることなど何もないと言うことも、
わかっていた。


「サンジがオールブルー見つけるの、楽しみだな」


サンジの顔を見る。
その先に、サンジが口にしようとしていることが
なんとなく、わかるような気がした。
でもそれは、口に出してはいけない事だと思った。
サンジも、きっとそれはわかっていて
だからこそ、物言いたげな顔で
口を噤んでいたんだと思う。


2人で向かい合いながら、
隣り合ってソファに寄りかかっていた。


サンジのグラスの中身がなくなりそうな事に気づいて
私はテーブルの上のボトルを取ろうとして
少し体を起こした。
その瞬間、サンジに腕を引かれて
ソファにまた引き戻された。


サンジは私の手からグラスを取り、
自分のグラスと一緒にテーブルに置いた。


サンジはソファの背もたれに回した右手で
私の髪を弄って
グラスを手放したことで空になった
左手で、私の右手を取る。
そしてゆっくりと、指と指を絡めた。


サンジの指が、私の指を摩る仕草が少しくすぐったい。
そしてサンジは私のおでこに軽くキスをした。


そのまま少しずつ、唇が降りてきて、
私の鼻を掠めた。


「サンジ…」


言わないでおこうと、決めていた。
だって、先がないから。
想いは、言葉にしてしまった瞬間に
どんどん加速していくと知っていた。


でも、止めどなく溢れてしまった想いは
言葉にせずにはいられない事を
今、身をもって知った。


「好きだよ」


私の言葉を聞いて
サンジは目を見開いて、息を呑んだ。


「…ごめんね。言わないでおこうと思ってたけど
言わずにはいられなくなっちゃった」


そう私が言った瞬間、サンジは私を勢いよく抱きしめた。
サンジは私より随分背が高いから
抱きしめられると
私の顔はサンジの胸にすっぽり埋められてしまう。
思いっきり息を吸うと、
タバコの匂いと、同時に潮の匂いがして
サンジはやっぱり、海に生きる人なんだ、
と実感する羽目になった。


「ごめんね…」


私が相変わらず謝ると
サンジの腕の力がさらに強くなった。


「謝らないで」


サンジの声は、いつもより少し、弱々しく聞こえた。


サンジは私を抱きしめる腕の力を弱めて、
私の背中に回していた両手を肩に動かした。
そして私の体とサンジの体を、少し離した。
サンジの右手が私の顔の輪郭を撫でる。
私を見つめるサンジの目は、少し潤んで見えた。


サンジの目に見惚れていると、ふとその目が薄められて
つられて私も目を閉じると、
サンジの唇が、私の唇に重なった。


散々待たされてやっと重なった唇は
昨日よりも熱く感じた。
サンジはゆっくりと唇を離し、また私を抱きしめた。


私はサンジの背中に手を回して、目を閉じた。
その瞬間、絞り出すような、
でもはっきりと響く声でサンジは言った。


「好きだ」


サンジの背中に回した腕に自然と力が入った。
サンジもさっき、こんな気持ちだったんだろうか。


嬉しくて、愛おしくてたまらない。
でも切なくて、悲しくて、もどかしい。


私達は、こんなにも想い合っているのに
この先一緒にいることができないのだ。
お互いに、それがわかっているからこそ
口に出す事が出来なかった。
それでも、ここにいる間だけでも
一緒にいたいと、触れ合いたいという
気持ちだけは止められなかった。
本当の思いを口にしないことで、
ギリギリのラインを保っていたのに。


破ったのは、私だ。


口に出してしまったからには
加速する想いを、もう止めることは出来なかった。


チューベローズの香りが、どんどん強くなっていく。
濃厚で甘い、むせ返るような芳香が
部屋中に広がっていた。


サンジから矢継ぎ早に与えられる熱と
チューベローズの濃厚で官能的な香りに
頭がどうにかなりそうだった。


私達は必死でお互いを分かち合った。
身体を重ねることでしか
語ることのできない想いを語り合った。
これから先、本当なら一緒にいて交わしたい分の
お互いの熱を溜め込むように。
離れ離れになっても二度と忘れないように。


薄く目を開けると、毎日見ている天井と
ランプの淡い光に照らされて揺れるサンジの顔。
サンジが動く度に前後する前髪にそっと手を伸ばすと、
最初に触れたあの時よりも柔らかく感じた。
前髪を分けて見えたサンジの目をじっと見つめていると
こんこんと湧き出る愛しい想いに涙が出そうになった。


サンジが勢いよくベッドに倒れ込む時に
ふわっと香る汗の匂いさえも、愛おしかった。


ぼやけていく意識の中
よりいっそう濃くなる花の匂いに紛れて
サンジの呟く声が耳に残った。


「NAMEちゃん、
…一緒に行こう」


私は聞こえないふりをして、そのまま目を閉じた。







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