ほんの少しだけでも眠ったのだろうか。
ようやく微睡の中に落ちたらすぐに
サンジが部屋で何かをしている音で目が覚めた。
出て行く準備をしているようだった。
「ごめん、起こしちゃったかな」
「ううん。
出ていく前に起こして欲しかったからよかった」
サンジは、部屋の隅に干していたシャツに袖を通して
ネクタイを締めた。
趣味の良い柄のシャツが、よく似合う。
「もう、行く?」
「うん」
サンジが準備する姿をベッドに寝転びながら
じっと見ていた私は、重い体をようやく起こした。
「キツいだろ」
サンジは私の方に歩み寄り、
心配そうに腰を抱いて起こしてくれた。
「大丈夫だよ」
サンジが両手で私の髪を梳く仕草で
寝癖も治していないことに気づいた。
「ごめん、髪ぼさぼさだ」
サンジは、可愛いよと言って笑った。
「サンジも、かっこいいよ」
そう言って、
私の目線に合わせて座る
サンジのおでこに唇を押し当てた。
「もう、行かなきゃね」
私がずっとこうしていたら、
きっとサンジはここを出ていけない。
そう思って、私は立ち上がって、
サンジを玄関へと誘導する。
「じゃあ…」
サンジはそう言って、私の唇に、自分の唇を重ねた。
この数日で、何回キスしたか、もうわかんないね
そう言って2人で笑った。
最後は笑って別れようって、決めていた。
「元気でね」
「あァ、NAMEちゃんも」
絡ませていた指と指を
ゆっくりと離した。
本当は、名残惜しくて仕方がなかったけど
サンジが出ていってドアが閉まるまで、
精一杯笑顔を作っていた。
ガチャン、とドアの閉まる音が
ずっと頭の中で響いていた。
最後は、なんだか妙にあっけなくて
現実味がなかった。
サンジがこの部屋を後にしたあと、
仕事までかなりの時間があった。
私は一眠りしようと思っていたけど
眠れるわけがなかった。
サンジがいなくなったこの部屋には
サンジの痕跡が残りすぎていて。
ここに2人でいたのは、たった、1日と少しなのに。
サンジが私にくれた花束も
買ってきたけど全部飲んでしまわなかった飲み物も
灰皿にしていた空き缶も
濡れたままのシャワールームも
ぐしゃぐしゃになったベッドも
そして部屋にまだ残っている、サンジのにおいも。
私はひとしきり、声をあげて泣いた。
散々泣いて、喉が渇いたから
冷えたものが飲みたくなって、冷蔵庫を開けた。
そこに入っていたのは
サクランボと花びらが入ったゼリーだった。
そして、その隣に置かれた手紙。
冷蔵庫に入れられてきんきんに冷えていた手紙には
大きな字で簡潔に、
でも確実な、真っ直ぐな5文字言葉が書いてあった。
「これ…」
いつの間に、準備していたんだろう。
私、全然気づかなかった。
「サンジ…!」
私は急いで、脱ぎっぱなしにしていたワンピースを
頭からかぶって、部屋を飛び出した。
本当はあのまま、静かに別れるつもりだった。
それでもやっぱり
ほんの少しだけでも、たった1秒でも長く
サンジの顔を見ていたくて
サンジの声を聞いていたかった。
その気持ちを、抑えることなんて出来なかった。
言いたかったけど言えずにいた言葉が、
ひとつだけあった。
冷えた手紙に、その言葉が書いてあった。
このまま大人しく部屋にいるなんて、出来なかった。
昨夜なんとなく、
サンジに船のだいたいの場所を聞いていてよかった。
出航する正確な時間は聞いていないし
サンジが市場に行くと言って随分時間が経っているから
もしかしたらもう間に合わないかもしれないけど。
少しだけでもいいから。
私は、脇目もふらず、一心不乱に走った。
普段、急ぐことが滅多にない私は
思ってた以上に体力がなく、走る速度も遅かった。
こんなことなら、
もっと日頃から運動しておけばよかった。
サンジに聞いていた船を停めている場所は
普段なら絶対に行かない場所で
私は頭の中のこの島の地図を必死で引っ張り出して
頭をフル回転させて、経路を探した。
岩場に直接向かうのは、厳しい。
だから、岩場がよく見渡せる高台に行く事にした。
高台といっても、崖の上のような場所で
岩場からもそう遠くはなく、
声も聞こえるであろう距離だったと記憶している。
ようやく辿り着いた岩場が見える高台から
サンジから聞いていた特徴の船を見つけようと見渡す。
この岩場はでこぼこしていて、
海賊船を隠すには確かにうってつけの場所だった。
だけどその分、見つけるのは大変だった。
ぐるっと見渡した岩場の一部から、
茶色くて丸い、顔のようなものが見えた。
サンジが言っていた、"メリー"の頭部だった。
まだ、出発してなかった。
船体が見える場所まで移動した。
そして、ようやく、
甲板に立つサンジの姿を確認する事ができた。
間に合った、そう思った瞬間、突然不安が襲ってきた。
せっかく、静かに別れられたのに、
こんなところまで来るなんて
迷惑をかけたらどうしよう。
そう思ってしまうと、
なかなか声をかけることが出来ずに
私は高台から、じっと、サンジの姿を見つめていた。
"メリー号"には、サンジの言っていた仲間たちが
もうすでに全員揃っているようだった。
船を出航させる直前だというのに
既に大量の肉を頬張る、麦わらのルフィ。
彼は、さすがの私も手配書で見たことがあった。
まさか、サンジの乗る船の船長だなんて、
最初に聞いた時は驚いた。
そして、ロロノア・ゾロ。
彼も手配書で見たことがある。
腰に3本刀を差して、本当に今でもお酒を飲んでいた。
隣にピンクの帽子を被った
タヌキのようなふわふわの動物がいて
きっとあれが、サンジの話していた
トナカイのお医者さんチョッパーだろう。
思ってた以上に可愛らしかった。
そして聞いていた通り、船にはみかんの木があって
そのすぐ下にある手すりのところに
ニコ・ロビンが座っていた。
子供の頃の顔は手配書で見たことがあったけど
あのナミさんに負けず劣らずの美女だった。
サンジは、出会った日に一緒にレストランに来ていた
長鼻のウソップと一緒に、あの美人のナミさんに
指導されるがまま、船を出す準備をしていた。
船の上にいるサンジは
私と2人でいる時のサンジとは別人のようだったけれど
夢と仲間たちのことを語るときの
キラキラした目のサンジ、そのものだった。
やっぱり、サンジは船の上が1番似合うね。
私はそう思って、そのまま帰ろうとした。
その時、船長の麦わらのルフィと
目があったような気がした。
そのままルフィがサンジに声をかけて、
しまった、と思った時には
サンジだけでなく、仲間たちもみんな
私の方を見ていた。
サンジは、仲間に何か一言告げて、
こちらに走ってきた。
走ってきたと言っても、
並大抵の人間の速度ではなく
飛び跳ねてきたに近い速度で、私の所へやってきた。
私はその脚力に驚いて、言葉も出なかった。
「…NAMEちゃん…!」
「あ…サンジ…」
ごめん、そう言おうとした瞬間、
サンジに強く抱きしめられていた。
痛いくらい強く抱きしめられて
また、泣きそうになってしまった。
「NAMEちゃん、どうしたの?」
「どうしたのじゃないよ、
あれ、何?全然、気づかなかった…!」
「あ、冷蔵庫、見た?」
「見たよ…!」
お礼を言うつもりだったのに
サンジのしらばっくれるような態度に
背中をぽかぽかと殴った。
サンジは、笑っていた。
「あんなの、いつ準備したの…」
「それは、秘密」
サンジは私の頭を優しく撫でた。
私はサンジの背中を叩いていた手に
そのまま精一杯力を込めて抱きしめ返した。
「…あんなのずるい」
「うん」
「あのまま終わろうと思ってたのに、
我慢できなくなった」
「うん」
くぐもった声で、サンジは返事をした。
なんだか、嬉しそうな声だった。
私のこめかみに唇をくっつけるようにして
話すから、脳に直接振動が届くようだった。
「わかってたの?」
「いや…ちょっと、賭けてみた」
何それ、と少し咎めるような声で言うと
ごめんね、とサンジは言った。
本当は咎める気なんかないし
サンジもそれはわかっているはずだ。
「サンジ、私…言ってなかったことがひとつだけある」
「なに?」
抱きしめあった体勢はそのままで。
でもしっかり、サンジに伝わるように。
ゆっくりと深呼吸をして、私は口を開いた。
「…愛してる。」
「…NAMEちゃん」
「サンジばっかり一方的に手紙で言うなんてずるい」
サンジは、私のこめかみから少し唇をずらして
耳元で、私の名前を呼んだ。
私は耳に、脳に焼き付けるように
目を閉じたまま、声を聞いていた。
「NAMEちゃん」
「何?」
「おれに、付いてきてくれとは…もう言わない」
「…うん」
「待っててくれとも、迎えに来るとも、言わない」
「うん。」
サンジは、ひと呼吸置いた。
言うか、言うまいか、まだ悩んでる。
そんな様子だった。
私は、サンジが口を開くまで、何も言わずに待った。
サンジは、私の背中に回していた手で
私の両肩を優しく引いて、体を離した。
そして、真っ直ぐに私の目を見た。
サンジの大好きなあの青い海のように、
澄んだ目だった。
「ルフィが海賊王になって。
おれがオールブルーを見つけて。
夢を叶えたら、君にまた、会いに来たいと思ってる」
喉が、ぐっと熱くなった。
同時に鼻の奥がつんと痛くなって、
口から、浅い息を吐いた。
また会いたい。
そんな事、何度も思った。
でも、口が裂けても言えなかった。
サンジを縛るようなことを言いたくなかった。
またいつかサンジと結ばれたいと思うのと同じくらい
サンジには好きに生きてほしかった。
もし、冒険の途中で
私よりも大切に思う存在ができたときに
私の存在が邪魔をすることが嫌だった。
気づいたら、私はぼろぼろと涙をこぼしていた。
いろんな感情が入り混じって、
何も言葉にすることが出来ずに
ただただ、泣いていた。
私の代わりに手をを伸ばして
私の涙を拭うサンジの指の温もりを感じると
とげとげしていた心が丸くなるような
そんな安心感を感じる。
この広い海で、
ラフテルを目指し海賊王になる事が、
本当にあると誰も証明したことのない
オールブルーを見つけることが、
どれだけ大変なことか、
この時代に生きていれば、誰でもわかる。
「会いに来たとき、
もうすっごいおばあちゃんになってるかも」
「それでもすぐNAMEちゃんだってわかるよ。」
NAMEちゃんがおばあちゃんなら
おれも、すげェジジイになってるだろうしね、
と言ってサンジは笑った。
「…でも、必ず迎えに来てとは、私、言わないよ」
サンジを縛りたくなかった。
その気持ちは、やっぱり変わらなかった。
いつまでも、自由でいてほしいから。
「分かってる」
ただ、伝えたかっただけだから、とサンジは言った。
相手の事を考えて自分の言いたいことを我慢するサンジ。
この数日でもわかるくらい、サンジは優しかった。
そんなサンジがただ言いたいだけだから、と
そう言って、自分の気持ちを言ってくれた事が
素直に嬉しかった。
「NAMEちゃん、君の事を
誰よりも、愛してるよ」
そう言ってサンジは私の肩に置いていた
その大きな手で、私のうなじを包み込んだ。
そして私達は最後の口付けをした。
何度も何度も、次会う時まで、決して忘れないように。
ゆっくりと、音を立ててサンジの唇が離れていく。
「もう、行かなきゃ」
「うん」
岩場から、サンジの仲間達が冷やかすように
騒ぎ立てる声が聞こえてきた。
「アイツら…」
チッと舌打ちをしていたけれど
サンジの仲間達を見る目は、
やっぱり幸せそうだった。
「サンジ。私、もう行くね。
…元気でね。風邪、ひかないでね」
我ながらおばあちゃんみたいだな、と思ったけど
その言葉を聞いたサンジは、一瞬だけ
泣いてしまいそうにも見えた。
「…あァ。NAMEちゃんも」
「うん」
名残惜しくて仕方がなかったけど、
私は、サンジに手を振って
「振り向かないからね」
そう言って、踵を返した。
その瞬間、涙がこぼれそうになったけれど。
私はそのまま真っ直ぐ前を向いて、
振り向かずに歩いた。
サンジも何も言わなかった。
タバコに火をつける音がして、
風に乗って、ふわっと匂いが漂ってきた。
高台を降りて、
もう完全に、サンジからは見えない場所に到着して
私はその場に蹲って、泣いた。
顔もぐちゃぐちゃで
喉も鼻も頭も痛くて仕方がなかった
それでも、止まらない涙を我慢することなく
私は泣き続けた。
遠くから、出航だ!と威勢の良い声が聞こえた。
また、変わらない日常がはじまる。
周りの世界は変わらない。
だけど、それまでの世界とは
全く別のもののように思えた。
花の色も、香りも、頬を撫でる風のぬくもりさえも。
私達は、約束はしなかった。
だから、この先どうなるかなんて分からない。
この恋が、最後の恋なのかどうかも、分からない。
それでもいいと思えるくらい
大きくて、強烈で、圧倒的な、恋だった。
私は、きっと真っ赤になっているだろう鼻を啜って
立ち上がった。
仕事に、行かなくちゃ。
サンジが隣に居なくても、
朝は来るし、お腹だって空く。
毎日、時間は流れていく。
私は、サンジのいない、この日常を選んだのだ。
自分以外の自分になりたいと願っていた。
サンジと出会って恋をして
私は、今までの自分とは違う自分になれた。
先が見えなくても今この瞬間が楽しいと思えば
それだけでも生きてるって実感することを知った。
私は今でも時々、あの高台に座って、
どこまでも真っ直ぐに伸びるマリンブルーを眺めて
今もどこかで人を幸せにするために腕を振るっている
愛しい人に、話しかける。
ねえサンジ、今日はいつもより、風が強いよ。
そういえば私、夜更かしする回数が増えたんだ。
たまに遅く起きて、
この前も時間ギリギリになっちゃった。
サンジ、今何してる?怪我してない?
手配書、見たよ。
似顔絵…、怒ってるでしょ?
ねえサンジ。
…やっぱり、会いたいよ。
ここは夏島。
夏が終わっても、また、夏がやってくる。
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