事件がいつ起こるかなんて誰にも予想はつかない。少なくともデパ地下でチョコレートを選んでいるときはこれっぽっちも。
臣くんはかっこいい。密かにファンがいることもわかっていたし、人気があるのもどこからか耳に入って知っていた。私が彼女だということは、自惚れかもしれないけど、でも。結構有名な話だとも思っていた。でも、恋する女子は怖いのだ。
「佐久早ー、呼んでるー」
イスの滑り止めゴムがうるさく鳴り、廊下側のクラスメイトに呼ばれるがまま廊下へ行くと、1分ほどで帰ってくる臣くんの手には何もない。
古森くんの言った通り、やっぱり臣くんは受け取らない主義みたいだ。なんとなくわかる。多分、臣くんは話したこともない女の子にもらったものを食べるつもりはないんだと思う。それに、食べないのにもらうのも申し訳ないと思ってるような気がする。私だって、彼女でもなんでもない存在だったら同じように受け取ってもらえなかったかもしれない。ちなみに、廊下側のクラスメイトは、今日はもう臣くんの呼び出し係になっているといっても過言じゃない。
ふらりとやってきた古森くんが、臣くんと多分部活の話をしてから私のところへ近付き、あいていた前の席に座り、こっそりと話し始めた。
「佐久早にあげんの、結局何にした?」
「デパートのチョコだよ」
「いいじゃん。これから?」
「ううん、もうあげたの」
「……え?その割には機嫌良くなくね?」
「……やっぱりそう思う?」
「うん」
二人揃って噂の相手を盗み見ると、じっとりとした視線を私たちに向けている。こっちにこないあたり、恐ろしいほどに機嫌が悪いのがわかる。
「……俺、戻るわ」
「あ、まって」
「ん?」
「これ、本当に少しなんだけど、この間相談に乗ってくれたお礼です」
「そんなん気にしなくていーのに!」
フックにかけていた紙袋からチョコチップクッキーを渡すと、そう言いつつも受け取った古森くんに今度こそ別れを告げて視線で見送った。チョコチップクッキー3枚なんて微々たるお礼だけど、せっかくたくさん焼いたし、何よりお礼もしたかったし、もらってくれてよかった。
「ねえ」
気づくと大きな影がやってきて、ピリピリとした雰囲気を醸し出す臣くんがそこにいる。教室には普通にクラスメイトがいる。もちろんみんな臣くんと私が付き合っていることもわかってるけど、こんなに堂々と話すのはあまりない。
「なんで古森にあげてんの?」
「えっ」
キーン、コーン、カーン、コーン。
すごいタイミングで授業が始まることを知らせる鐘が鳴り、臣くんはなにも言わずに黙って席に戻っていった。普通にもう隠すこともなく怒っていた臣くんになんて返すのが正解なのかが全くわからなくて。言葉に詰まってしまった、けど。でも目の前で渡さなかったら、そっちの方が怪しい気もする。しかもチョコチップクッキー3枚。3時間目が終わったら昼休みだし、ちゃんと話をしよう。このままうやむやにしたら、来年からのバレンタインくる度に楽しみに思えなくなってしまうかもしれない。
▽ △ ▽ △
お弁当の包みを綺麗に結ぶ臣くんのタイミングを見計らい、早々に友達とは解散した。友達も彼氏とお喋りしてくると楽しそうに言ってたっけ。いいな、お喋り。そういう感じじゃないもんね、多分。
「臣くん」
「……」
「話そう?」
「……わかった」
私に捕まった臣くんは、浮かない視線で私についてくる。これって喧嘩なのかな。でもいつもと違うから喧嘩の部類に入るのかな。ふと浮かんだ疑問は解決しないまま、あまり人気のない場所につく。向かい合って、臣くんの珍しい表情を見て、だらりと落ちていた大きな手を取った。静かな黒目が揺れたけど、気にせず指をしっかりを絡ませる。長続きしている友達カップルが言っていた、喧嘩をするときはどんなにムカついても手を繋ぐんだって。そしたらそれ以上はいらいらしなくなるって。戸惑いの消えない臣くんには、いつか説明しよう。今はそれより、話したい。
「あのね。古森くんにあげたのはね、アドバイスくれたお礼だよ」
「…なに。アドバイスって」
「臣くんに何あげたらいいかとか、そもそもあげてもいいのかなとか。そんな話。古森くんと話すことは、いつも全部臣くんの話だよ」
「……」
「色々考えてね、手作りは嫌かなって思ってデパートのチョコ選んだの」
「ああ、だろうなって思った」
静かに穏やかな目が私を見て、ぎゅうっと心臓が掴まれる。お互いにわかっている部分もあれば、わからないところもある。理解しているつもりが、理解できてないことだってある。親指の腹で繋いだままの指を弄られ、臣くんへの思いが小さく波打つ。
「でも。なんで他の奴には手作りなんだとも思った。しかも古森にもやってるし」
「臣くんは、手作りがよかったってこと?」
「……正直どっちでもいい。なまえちゃんがくれるやつなら」
「そっか。手作りでもいいんだ」
「案外わかってねえよな、なまえちゃん」
大きな体に身を隠して、こぼれ落ちた臣くんの言葉の意味を理解しようとしたけれど、もう片方の大きな手に頭を撫でられる。
「チョコチップクッキーひとつだけまだあるんだ、いる?」
「……またその質問かよ」
呆れたようなその表情。そう、そうそう。これがいつもの感じだ。
目の前に出された私の頭を撫でていた手の上に、ブレザーのポケットから出したビニールの包みを乗せる。透けた中身を見てなんともないように言った言葉は、多分普通の人は何とも思わないけれど、私にとっては悩みなんか全部吹き飛ばせちゃいそうなものだった。
「……美味そう。帰ったら食べる」