このところ、時々考えていた。たとえば明日。突然俺の人生が終わっても、心残りや後悔を何一つなかったと思えるんだろうか、と。

 高校の時。些細なことをきっかけになまえちゃんと話すようになって、気付けば彼女になって、何年も経っていた。なまえちゃんは元から俺の気持ちをわりと汲み取って理解してくれるが、それは年月が経てば経つほど増し、俺自身も彼女のことは結構理解できる自信があった。

 周りの人間がちらほら結婚を始め、だんだんと自分も結婚を意識するようになったものの、なまえちゃんとは結婚してもしなくても一緒に居るし、正直してもしなくてもなにも変わらないと思っていたから、別にいいと思っていた。
 けど、周りの奴は簡単に口にするんだよな。そんなに長く付き合ってるなら結婚すればいいのにって。正直、長く付き合っているから結婚をするというのは結婚の理由として相手には満足な理由ではないんじゃないか、と思いながらその台詞を聞き流し、しばらく居たのだけど。

『彼女が喜ぶ顔、見たくねーの?』

 誰かにそう言われてふと頭に浮かんだのは、指輪をはめた左手を見つめながら喜ぶなまえちゃんの顔だ。もし想像通りの顔をしてくれるなら見てみたいし、見れないと後悔するのかもしれない。そんなことを思ったのが今に至る経緯だった。

 ずっと一緒にいるつもりだったから、きっと大きな変化はないだろ。もしも彼女が結婚を望まなくても、今まで通り一緒に居れればそれでいいだけだし。逆にきちんとしたプロポーズは互いの首を絞めるような気がして、するつもりはなかったけど、なまえちゃんは俺とのさっきのやり取りをどう思ったんだろうか。

 ショーケースに並ぶ指輪を眺め、早速なまえちゃんの瞳は輝く。何気なく耳に髪をかけるのを見届けると、いつだかに俺がプレゼントしたイヤリングが揺れて、輝く瞳は俺の方に向いた。

「やっぱり臣くんが選んでくれないかな、婚約指輪」
「……なんで。好きなの選んでいいって」
「そうじゃなくて」

 はらはらと落ちた髪をまた耳にかけながら、なまえちゃんはいつだかに想像した通りの笑顔で続けた。

「指輪を眺める度に臣くんが選んでくれたやつだって噛みしめられたらすごく幸せになれるなって思ったの」

 そんな顔、今されたら困るんだけど。 紙に名前と住所と生年月日を書いて役所に提出をする。たったそれだけだ。なまえちゃんはなまえちゃんのまま変わらない。名字は俺と同じ佐久早になるけど。それでも、たったそれだけの変化でも結婚を口にしたのは俺にとってもなまえちゃんにとっても良いことなのかもしれない。



 裏に刻印を頼んで今日は手ぶらで店を出ると、いつも通りに外で少しブラブラして寮に戻った。手を洗ってからコップに水を注ぎ、ソファに座ってテーブルに置く。俺の後ろを歩くなまえちゃんはいつもより静かで、何気なく姿を横目で追えばちょこんと隣に座って俺の肩に寄りかかり、右腕になまえちゃんの両腕が絡んだ。なんか、こういうの珍しいかもしれない。

「……今日、今までで一番驚いたかもしれない」

 漏れ聞こえた言葉にふと視線を送ってみると、寄りかかったままで俺を見上げるなまえちゃんと目が合って。

「そう」
「臣くんが、」
「うん」
「私を奥さんにしたいって思ってくれたこと。結婚しようって言ってくれたこと。本当に嬉しかった」

 長袖のシャツが、少しだけ濡れた。さっきのことを思い出すようにぽろぽろと涙を溢すなまえちゃんにティッシュの箱を渡すと、ごめん、と言いながら俺の腕を解放してティッシュで涙を拭く姿を眺めている。

「なんで泣くんだよ」
「うう、……嬉し泣きだから許してよ」
「……責めてる訳じゃない」

 迷うことなく当たり前だった。なまえちゃんとずっと一緒にいることは。

「……正直、死んだあとの約束はできないけど。死ぬまで一緒にいる約束はできるから」

 半分に折り畳んだティッシュからちらっと覗くなまえちゃんの目が少し赤くて、少し濡れた自分の袖を視線の端に入れながらなまえちゃんの頭に手をのせれば、鼻をすすって、また声を漏らす。

「……臣くん」
「なに」
「私、世界でいちばん幸せ者だと思う」

 何もない天井を見ながら込み上げるものが溢れないように堪え、なまえちゃんの言葉を反復すれば、ゆっくりと思った。

 もし明日、突然人生が終わっても。なまえちゃんともっと一緒にいたかったと思うような気がする。だから後悔しないように、一生なまえちゃんのそばにいようと思う。