買ったばかりのパックのレモンティーがぬるくならないよう、四方の角を持って階段を上る。廊下まで出ると、教室の前の窓際に他のクラスの女の子。あともう一人、佐久早くんがいる。
「それでね、アドレス教えてほしくて」
「……はぁ」
突然ぎゅうっと心臓を鷲掴みされたように苦しくなった。貴重なお昼休みを満喫したくて小走りしていたのが、見え、そして聞こえてしまったもののせいで早歩きに変わり、どんどん減速していく。
自覚なく見すぎていたのか佐久早くんと目が合い、どっと疲れた視線を送ってくる彼のことは見なかったふりをして教室に入ったものの、脳裏に廊下の状況だけが映る。嫌だと思う自分が嫌になりそうだ。
自分の席に戻ると、昨日のお昼に佐久早くんとの話をしたばかりの友達が一足先にモグモグとお弁当を食べている。小さなお弁当箱はもうすぐ空になりそう。
「おかえりー」
「ただいま……」
「大丈夫?何かあった?」
「今、佐久早くんが廊下で連絡先聞かれてた……なんか今の私めちゃくちゃ性格悪い、私も教えてほしい」
「そんなの普通の気持ちだよ!皆なるから!かわいいなぁ、なまえちゃんは。よしよし」
昨日内緒だよ、と念を押したからか。多くを語らない彼女の優しさが、ありがたいのに、辛い。心臓を鷲掴みしているものをひっぺがすように、椅子に座って頭を出し、もっと撫でてとアピールすると、面白がってわしゃわしゃと髪を乱される。
「でもほら時間なくなるよ。お弁当食べちゃいな」
ぬるくなってしまったレモンティーを一口含むと、いつもより甘ったるくなっていた。気を付けていたのに。向かいでお弁当の包みを固結びするのを見ながら、途中だったお弁当を食べ始める。突然レモンティーが飲みたくならなかったら。お財布を忘れていたら。そうだったらよかった。
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全ての授業が終えたのを知らせるチャイムが鳴ると、みんな一様にバッグに筆箱や教科書をしまう。乗り気ではないけれど、今日もバイトに行かなければならない。手帳にしまっていたシフト表を見ると、私の名前の欄には出退勤の時間がしっかりと書いてある。ぼーっとしてミスしてしまいそうで、今日は行きたくないなぁ。
先生が来るまでの時間、頬杖をついて外を見ていると隣の席の男子が佐久早くんに声をかけた。
「佐久早、昼に喋ってた女子って何組だったっけ?」
「……さあ、知らない」
「まじ?彼女かと思ったわ。なんか話し込んでたから」
「どんだけ飛躍すんだよ。アドレス聞かれただけ。友達?が知りたくて、代わりにきたって」
「ふーん。女子ってそういうのやるけどちょっと変だよな。で、教えたの?」
「教えないだろ、どう考えても」
「俺は女子とメールしたいけどな〜、かわいい子かもしんないじゃん」
「別に。最低限しか登録してないし」
雲の流れが早いこと。視界から得た情報で記憶に残ったのはそれだけで、あとは耳に勝手に入る会話ばかりが記憶されていた。
最低限。ちょっと話すようになったくらいで、その中に入れてもらえるとは思えないけれど、明日勇気を出したくなった。駆け足で得た気持ちだ。この際素直に動いてしまおうと、直感に従う。
先生は現れるなりささっと話を済ませて、号令をかけさせる。このあと話がだらだら続いているクラスの前で部活の仲間を待つ人の姿が目立つはずだ。
教室の中は数人だけになり、私はその中の一人。バイトまでまだ時間があって、切り替えきれない頭をぼんやり休ませている。廊下から聞こえた古森くんの声に反応すると、隣を歩く佐久早くんと目が合って、それにつられて古森くんも目が合って。
「みょうじ、じゃあねー」
明るい挨拶に思わず手を振り返すと、古森くんに何か言った佐久早くんが教室に戻ってくる。今はちょっと、整理がついていないのに。歩幅が大きくて、あっという間に目の前に立たれてしまう。
「……午後、元気なかったけど」
「うん、そうかも」
「平気?」
「気付いてくれたから、元気でたかも」
かも、ばっかり。本当は、かも、なんてつかない。誤魔化すのが下手くそだけど、佐久早くんが見ていてくれたことが嬉しいからなんだっていい。
「部活、頑張ってね」
「……また明日」
やっぱり今日がバイトでよかったかもしれない。この調子じゃ明日がくるのは、とっても時間がかかりそうだから。