いいひと、このひと
キャンセル待ちはいかに時間を潰すかが勝負だ。午前の予定がなくなってしまったからととりあえず来てみたはいいけど、実際のところ運試しみたいなものでもある。春は来たばかり。大学に通いながら教習所にも通うのはなかなかのハードスケジュールだけど、繁忙期だから仕方ないといつだかの教官が言ってたっけ。
私より早かった人、結構いるなぁ。イヤホンを耳につけて音楽を再生すると、事務員さんの声が聞こえるように音量を下げた。午後に予定もあるし1時間だけ待ってみることにした。教習所に通い始めたのはいつだったっけ。もう半分以上はクリアしている教習簿を確認して教本を開いた。東京にいれば免許はいらないという友達は多い。女の子はなおのことそう思うのも理解できる。
「ねーねー」
「聞こえてんでしょ?」
両隣に正直に言ってガラが良くは見えない知らない人が座ったと思ったら、私に話しかけているらしい。しかもまわりに聞こえないくらいの声で。もう少し人に近いところに座れば良かった。まわりに人はいるし、大きな声で断れば誰か助けてくれるとは思う。だけどその勇気がでなくてイヤホンを外せずに無視し続けた。
「聞こえてんだろ」
それが聞こえて、取り繕ったつんとした表情でイヤホンをはずす。正直めっちゃ怖い。いくつ?遊びこうぜ、俺ら運転するし。彼らは大きくは出られないらしいことがわかってきて、だんまりをきかせながら思った。免許持ってるんなら帰りなよ。とまぁ冷ややかに。
「キャンセル待ちの山田さーん」
うう……山田さーんじゃなくてみょうじさーんが良かった。あなた達とは遊びにいかないからどっか行って。願うように思う。ぞろぞろと技能講習が終わった生徒たちが出てきて、縮こまっている私をみてその中の一人が足を止めた。
爪先から頭のてっぺんまで視線を移動させると、はっとする。き、金髪!モヒカン!もしかしてこの二人の友達か!
両サイドに挟まれている為に移動することは不可能で、立ち止まったモヒカンの人を勝手に決めつけて視線を下へ戻そうとすると、どかんと前に座ったのはモヒカンの人だった。
「ほらキャンセルでなかったし行こーよ」
「……行かないです。話しかけないでください」
痺れを切らしてミジンコみたいな声で言い返すと、前に座っていたモヒカンの人が振り返って私を一瞬見て狼狽えたあと、サイドの二人に視線を行き来させた。
「オイ。お前ら男として恥ずかしくねぇのかよ」
候補になかった真っ当な正論がモヒカンの人から聞こえて、自分の耳を疑った。なに?今の誰が言ったの?と。モヒカンの人に焦点を合わせると、目が合った途端にそらされて、状況が飲み込めなかった。
「あん?誰だテメェ」
「相手が怖がってんのもわかんねぇ奴がナンパすんな」
「なんだコイツ偉そうに」
しばらくのやり取りを身を縮めて見ている間にようやく頭の整理がついてきて、間違いなくモヒカンの人は私を助けようとしてくれてるのがわかるとちょっと泣きそうになった。だってめちゃくちゃ怖かったし。
「えっ、どどどど」
「はぁ?なに泣いてんの。もーいーや」
伏し目がちな瞳に溜まった涙を拭うと、正反対の反応が聞こえた。両サイドの二人はだるそうにいなくなり、目の前の彼は私をみてあわあわしている。事務員のお姉さんがカウンターの中からやってきて、怪訝な表情をモヒカンの人に向けた。事務員さんの思っていることは多分わかる。もし疑いをかけているならそれは勘違いだと言わないとモヒカンの彼に申し訳ない。今、すぐ。すぐに言わないと。
「……ありがとうございます。助けてくれて」
「はっ!うぉ、い、いえ!」
びしっと立ち上がりカチコチに直立した彼は、頬を真っ赤に染めて90度にお辞儀をして逃げるように2階へ続く階段を駆けのぼってしまった。どうしたのかな。真っ赤になってたけど。ちょうど入れ替りの時間。幸いにも移動で忙しい人ばっかりだったらしく、見物客はいなかった。
「あ。さっきの子教習簿忘れてる」
事務員さんがイスに忘れられた教習簿を手に取って階段へ視線を向けた時、事務員さんに手を伸ばしたのは無意識の行動だった。