教習簿のお届けです


 やまもと、たけとら。

 勇猛果敢な彼の名を知ったのは、裸の教習簿を見てしまったからだ。プライバシーもありゃしない。写真や名前など、全て書いてあるのが表紙なのだから。2階へ繋がる階段は私が知る限りここしかなくて、彼とすれ違っていないということは絶対に上にいるってことになる。次が学科だったら教習簿がないと大変だ。彼の1時間が無駄になる。
 2階につくと、一番手前の自習室を覗き込む……いた。金髪のモヒカン。とりあえず一安心。気づくと声をかけるタイミングを伺いすぎたせいで彼を覗き見している状況になっていた。彼は教習所から配布された手提を机に置くと、ズボンのポケットから財布を出しながら廊下に出てきた。私がいるのとは反対側のドアから。

「や、やまもとたけとらくん!」
「ん……?はひっ、さっきの、あの、なん、なまっ」
「忘れ物。ごめんなさい。教習簿の名前見ちゃいました」
「ひっ」

 山本くんに近付いて教習簿を差し出すと、黒目を忙しくきょろきょろさせて受け取る彼が助けてくれたときとは別人のようで可笑しくて笑ってしまった。私も男の子は得意ではないし、ましてやこの山本くんみたいな見た目の人とは中学も高校も、大学に入っても言葉を交わすことはほとんどなかった。テレビで誰かが言ってたな。人を見かけで判断しちゃだめって。人生まだ20年も生きていないけれど、今のところの人生の中では山本くんが一番それに当てはまる人物だと思う。

「あの、それ。飲み物。もう落ちてます」
「はっ!……あ!?」

 取り出し口から出した缶には、ミルクティと書かれていて、山本くんの顔には、間違えたと書かれているよう……は!私が話しかけたときに間違えたのかな!?慌ててバッグから財布を出して小銭を自販機に入れると、後ずさりして彼の様子を伺った。

「……私のせいで間違えちゃったんですよね。あの、ど、どうぞ」
「イエ!だ、これで、そんな」
「交換しませんか。ミルクティ」
「お、あ……ザス!」

 私の様子を伺いながら炭酸を選んだ山本猛虎くんが出てきたおつりとミルクティを先に手渡してくれようとしたけれど、極力手が触れないように渡されているように思える。両手を上に向けてお皿にすると、指一本触れないように全てが置かれた。山本くんの額の滝のような汗の理由が未だ謎を深めるばかり。

「さっき。助けてくれた時と雰囲気違いますね」
「おれ、じょ、女性とはな……緊張し、て」
「あの、大丈夫です。ゆっくりで」

 炭酸を取った山本くんは苦虫を噛み潰したような顔のまま私の言葉を受け入れて、目を思いっきり開きながら深呼吸をしたあと自習室へと入る。私も後ろをついて自習室に入ると、目の前の背中がなんだかきらきらして見えた。手の甲で目をこすってもう一度見ても、やっぱりきらきらするのは変わらない。

 自分がなんで自習室に入ったのかはわからないけど、出るタイミングも失ったような、まだ出たくないような。山本くんの席から2つほど空けたイスに座ると、言われたばかりの言葉がこだました。この見た目で、女性に免疫がなくて、でも困ってたら助けてくれる。大変。ギャップが大渋滞してる。

「……どうして気づいてくれたんですか?」
「えっ。なんか、助けてって顔、してる気がして」

 嬉しかった。すごく。それを感じたとしても、実行にうつすことは容易ではない。やっぱりきらきらしていた。時折する深呼吸の音が自習室に響く。

「誰も気づかないと思って。だから、さっき泣いたのは、気づいてくれてほっとしたっていうか……さっきはびっくりしちゃったけど、でもすごく、優しい人ですね、やまもとたけとらくんは」
「な、ななな」
「……な?」
「なまえを、き、きいてもっ」
「みょうじなまえです」

 お揃いの手提げから出した教習簿の表紙を山本くんに向けて見せると「おおお」と声をあげながら目を輝かせて私の名前を確認した。この反応についてはちよっとよくわからないけど、壁一面に張られた押さえた方がいい教習内容がピックアップされた紙をみて、思い出した。

「ごめんなさい。自習するんですよね。邪魔でしたよね」
「じゃっ!?邪魔じゃ、な、ないです!」

 途切れる頻度が減ってきた言葉を頭の中で拾い集め、席を立って荷物を持った。妥当な別れの挨拶が見つからなくて、ありがとうございました、と深くお辞儀をしてから爪先を出口へ向ける。

「まっ、あの、みょうじなまえさん」
「はい」
「あの、その。ま、またお見かけ、したら。お話しを、い、いいですか!」

 茹でダコみたいに真っ赤になったギャップまみれのその人は、やっぱりどこかきらきらしていた。