抱きしめる ≠ ハグ
午後は窓を開け、光を感じながらたっぷりと昼寝をした。スキューバダイビングのあと、浜辺でたそがれをしたし、疲れのせいですごい眠気が襲ってきたからだ。
あの表情は、どんな意味からくるものだったんだろう。かすみのある目元に胸が焦がれてしまうのは、仕方ないことだと思う。だって、あんな顔をされて。なんとも思わないなんて無理だ。
最終夜にして、初めてひとりで夕飯を食べた。さすがに3日連続で偶然遭遇するなんてことにはならなず、思い描いていた初めての島での一人飲みだというのになんでか楽しくなかった。
きっと、知ってしまったからだと思う。澤村さんの隣が心地よいことを。食べたものは相変わらず美味しかったけれど、ぽっかりと小さな穴が空いているようなそんな気分。
店を出て海岸沿いの道をふらふらしていると、遠い遠い向こうでコンクリに寄りかかりながら電話をする人影を見つけた。
そのまま近づくと、蓄積された不思議な感情がじわじわと安心へと導き、低く落ち着いた声や、表情、私に気付いて手をあげたその掌に、足を止めた。
ああ、そっか。澤村さんに会いたかったんだ。
「……悪い、聞いてなかった……いや、今ちょうどみょうじさんに道端でばったり会って……うん、え?……一応、聞いてはみるけど……」
「ん?」
「スガ……例の友達がみょうじさんと話したいって言うんだけど……」
「私と?……うん、それは構わないよ」
遠慮がちな澤村さんからスマホを受け取ると、耳に当てて挨拶を交わせば、すぐにわかる。電話口から聞こえる声色で、とっても明るい人だと。
『うお!みょうじさん?』
『ですね』
『俺、菅原っていいます。同い年でしょ?大地みたいにスガって呼んでいいよ』
何に驚いたって、澤村さんが大地という名前なのと、菅原さんに澤村さんが私の話をしていたことだ。じゃなきゃ同い年なんてことは知らないはずだ。
『みょうじさんも明日帰るんだべ?大地と連絡先って交換した?』
『……あ、してないや』
『聞く感じそんなことだろうと思った〜』
『スガ、くん。……話って?』
『大地が思ったよりも楽しそうだったからさ。みょうじさんと俺も話してみたくなっただけ!みょうじさん、どこ住んでるの?宮城くることがあれば3人で飲みてーなー』
『それいいね、絶対楽しいと思う』
そんな未来があるのなら、いいなって私も思うよ。綺麗に舗装された道路には車が走っていなくて、自転車もこない。バイクが1台通っただけだ。電話をする間、澤村さんはコンクリの壁に寄りかかり、深く青い色の海を眺め、時々私の様子を伺っていた。深く黒い瞳は、意味を成しているような、そうでないような。
さすが澤村さんのお友達。スガさんはすごく話しやすくていい人だ。ふたりが友達なのは、難なく頷ける。電話を切ると澤村さんにスマホを返し、表現しがたい時間が一瞬流れた。
「スガくんが、澤村さんと連絡先交換したのかって」
「……そうか、してなかったっけか」
「多分私もほとんど同じような反応したような気がする。宮城から来てるんだね、そんな話も全くしてなかったもんね。宮城に私が行くことがあったら3人で飲もうってスガくんが言ってたよ」
「みょうじのこと知りたがってたもんなぁ、スガ」
「しようか、交換」
「するか」
連絡を取り合うことは、ないかもしれない。記念になるだけかもしれない。淡い期待のようなものは、あんまりなかった。
薄暗い道をただ歩く。最後に澤村さんの後ろ姿を見納めておこうと数歩遅れて歩き出すと、私を気にかける様子で待ってくれる。その優しさは痛くて、少し苦しかった。深呼吸をしても、澤村さんに明日さよならを告げるのかと思うと、すごく嫌だった。
「俺の部屋ここなんだ」
「……そっか。明日は会えないよね。宮城に行くことがあったら連絡するね。スガくんによろしく」
ホテルまでの道のりはあっけなかった。方向的に澤村さんの部屋の方が近く、あっけなく手を振れば、何か思い出したような澤村さんが「ちょっと待ってて」と言い残して部屋に入り、すぐに戻ってきた。手に包まれたものを見せられて、心臓がじりじりと苦しくなる。
「これ、みょうじさんのと合わせたらいっぱいになるんじゃないかと思って。みょうじさんにあげるよ」
「……澤村さん、ちょっと私の部屋きて」
「えっ」
それは大きな手に包まれたままの袖をつまみ、そう遠くない私のコテージへと向かった。ちょっと驚くその表情も、途中から澤村さん自身の意思で動いていた足も、私の気持ちを増殖させながら。
星の砂のキーホルダーが揺れる。鍵を開けて中に入ると、遠慮する澤村さんを引き入れて、テーブルの上に置いていた満杯でない星の砂の瓶を手に取った。
「私の夢は叶ったばっかりだし、澤村さんには沢山付き合ってもらったから。だから私のを澤村さんにもらってほしい」
言ったことは何ひとつ嘘ではなかった。だけど、ひとつだけ隠し事をした。新しいお願いごとがあったけれど、きっと叶わない。大きな手を広げて瓶を乗せれば、星の砂の瓶が2つ並んだ。
ちゃんと、好きなのかはわからない。これが恋なのか、なんなのかはわからない。だけど、忘れたくないと思った。澤村さんのことを思えば一瞬で澤村さんでいっぱいになった。
無理に笑顔を作れば、澤村さんは眉を下げて笑い、澤村さんの集めた星の砂を私の瓶にゆっくりとうつす。波が音を立て、月が光る。瓶の中の砂は、ちょうどひとつの瓶に収まった。
「ぴったりだ」
「澤村さんの願いごとも、叶うといいね」
「ありがとう、みょうじさん」
「……よし、最後にハグしよう!」
もう、倫理なんか知らない。澤村さんに会えるのが最後になるのならもういい。黒目を大きくした澤村さんは思わず「えっ」と声を漏らし驚いているけど、そんなのお構いなしに近付いて手の浮いた腰から背中へと手を回し、ドクドクと心なしか早い心臓の音を聞いて目を閉じた。
「……俺、警察官なんだけどなぁ」
「抱き締めてじゃなくて、ハグだよ。欧米の挨拶的な」
多分、澤村さんは困っていたと思う。それでも私の背中に手が添えられると、片手は掌がふんわりとくっつき、もう片方の手は瓶を握ったまま。
「……ハグにしちゃ長くないか?」
「ちぇ、ばれたか」
澤村さんに会ったのはこれが最後だった。だけど最後、澤村さんも私も笑っていた。