肴はそろそろやってくる
疑っていたわけではないけれど、澤村さんは本当に警察官だった。
街で制服姿の警察官を見るたび、こっそりと澤村さんじゃないかと思っていたが、本当にばったり遭遇するなんて思わないじゃない。
宮城にきて数ヶ月経ってみて思う、なんて心地の良いところなんだろう。都会的な所と、それを取り囲む緑。東京のように慌ただしい人の流れとは違って、空に怪しい雲がかかっていなくたって空を見上げる人は時々いる。
今日は午後休とったし、のんびり帰ろうかな。なんて軽くて遅い足取りで歩いていたから、目の前に澤村さんが現れて驚きと同時にやってきたのは恥ずかしさだった。
ばちっと視線が合い、お互いピタリと足を止めると、喉のあたりにつっかえた言葉がなかなか出てこない。
「まさか街でばったり会うとは」
「……うん、びっくり」
先に口を開いたのは澤村さんで、瞬きを忘れているその表情は驚きと共になんだか嬉しそうに見えたから、私はほんの少しだけ期待を募らせた。
「外回り?」
「ううん。午前だけ。午後は休みだよ」
「ああ、なるほど」
「ていうか澤村さん……制服似合うね」
「だろ?」
「うん。かっこいい」
単純に嬉しかった。ばったり会えたことも、制服姿が見れたことも、嬉しそうに笑ってくれたことも。だからきっと、そのせいだ。脳で言うか言うまいか判別する前に、私の口がぺらぺらと動いたのは。
「……そりゃどーも」
口に手を当て、黒目をふよふよと横に流した澤村さんはさっきよりも顔が赤らんで、ごめん、と反射的に謝ると澤村さんは流した黒目を私に戻しながら言った。謝ることじゃないだろ、って。
「あ、そうだ」
「ん?」
「今夜スガと飲みに行くんだけど、みょうじさんもどう?」
人生100年、いや80年くらい生きたとして。制服姿の警察官に飲みに誘われることなんてきっと片手で数えられるほどしかないような気がする。
「2人じゃなくていいの?私、邪魔じゃない?」
「いや、スガも喜ぶと思うよ」
「そうならいいけど……あ、じゃあ私からスガくんにオッケーか確認したら連絡するね。いい?」
「あ、いいよ。スガには俺が連絡しとく」
「でも、」
「澤村〜!待たせて悪いな〜!行くぞ〜」
別に午後休だからいいのに、なんて思ったけれど、私はこちらへ駆けてくる先輩らしき人を見て、澤村さんに頷いて手を振った。じゃあ夜に、と。
▽ △ ▽ △
少し入り組んだ飲み屋街。島のようにただの一本道の飲み屋街とは訳が違う。私はあの小ぢんまりした方も好きだけれど。
ちかちかと眩しいネオンはないけれど、提灯の赤い光や年期の入ったのれんがあちらこちらにあるというのは気分が上がる。
夜7時でありながらすでにべろべろに酔っぱらっているサラリーマンを横目にのれんや看板を見てゆっくりと歩いていると、少し遠くの引き戸が空いて、道に出てきた澤村さんがきょろきょろと辺りを見回した。
もしかして、もしかすると。心配で見に来てくれたんだろうか。てっきり一番乗りだと思ってたのに。定時に上がれたのかな。
「お!きたきた」
私を見つけた澤村さんは足を早める私を見るなり、うれしそうに手を振る。案外騒音のない道に澤村さんの声はよく響いて、心地よかった。
「私が一番乗りかと思ったのに」
「俺も定時に上がれるとは思わなかったよ」
頭の中で考えていたばかりのことが会話になると、浮き足立つような気分になった。だってそれは、澤村さんのことを少しずつ知っていってる証拠みたいだから。
「スガくんは?」
「ちょっと遅れるってさ」
店内の壁に貼られたメニューを見ながら、先生も大変だね、なんて言えば、本人は楽しそうだけどな、なんて澤村さんは笑う。
「先に始めるか」
「……絶対拗ねるよ、スガくん」
「……やっぱり?」
「うん、目に浮かぶ」
なんだかんだで2人分の注文をして、ジョッキを合わせる。美味しそうに喉を潤す澤村さんの笑顔を見ながら、こっそりと思う。制服を身に付けている間だけは澤村さんの笑顔は誰にでも等しく向けられているけれど。今は私だけのものみたいだ。その優しさも、すべて。
「そういえば、今さらだけど」
「うん」
「あの映画、観たよ。こっち帰ってきてすぐ」
「あはは。本当、今さら」
言おうとしてたのにすっかり忘れて、またふと思い出して次こそは言おうなんて思ってすっかり忘れて。それが何回か重なっていたのかな。
面白がるように笑って、両手でつつんだジョッキの水滴をなぞり、澤村さんを見る。どうだったと感想を聞けば、うーん、なんて少し考えて。
「……内容はよくわかんなかった、けど。でも色々思い出したよ」
「色々って?」
「みょうじさんが食べてたかき氷のこととか、寄り道した砂浜とか。映画の中には出てこない海の底がどんなだったかとか。この角曲がってまっすぐ進んだところでみょうじさんと飲んだなとか」
にいっと笑った澤村さんは、すごく楽しそうだ。たしかにアクション映画のように食い入るようなシーンはないし、物語は単調に進んでいく。
本当に雰囲気を味わうような映画だから、過去の記憶のようにつまらないと一蹴されてもおかしくないというのに、澤村さんは否定するようなことは言わなかった。
きっとこの人は、否定をすることに否定することはあっても、自分から何かを否定することはないんだろう。甘やかすような瞳でこちらを見られれば、心が揺れたような気がした。とても静かに、ゆらゆらと。