想定外は突然やってくる 冷蔵庫から飲みかけのペットボトルのお茶を出すと、さっきまでのことを思い出した。少し開けた窓から潮風が入り、カーテンが揺れている。なんとなく澤村さんも私も感じている予感は、きっと当たるような気がした。
警察官だなんて、びっくりだ。あの時、意外かと聞かれれば意外じゃないと言っていたんじゃないかと思うけど、身近にいない職業だっただけに間違いなく驚きではあったのは言うまでもない。
シャワーを浴びて、テーブルの上にある置きっぱなしだったペットボトルの数センチの残りを飲み干す。すっかり乾いた星の砂を風の来ない所に置いたら、ふと適当に乾かした髪の先が濡れていてたことに気づいた。やっぱりもう一度ドライヤーをかけようと洗面所に戻り、結局いつも二度手間になるのに、いつもこうだと可笑しく思う。
あの映画が好きなのは、出てくる登場人物が丁寧に暮らしているのがわかるのに、適度に気を抜いて、たそがれの時間を設けている心の余裕みたいなものを感じるからだと思う。あんな風に生きていくのは、なかなか難しい。だからこそ憧れるんだ、きっと。
恐らく不要であろう用心をして窓を閉め、ベッドに潜り込んでみた。眠ろうとしているわけではないし、起きていようと思っているわけでもない。どちらかといえば後者が勝ったというだけだ。それからすぐ、嘘みたいに簡単に眠れたのは、朝が来てから知ったのだけど。
▽ △ ▽ △
あてもなく歩いてみよう。そう思ってコテージを出た。手始めにホテルの周りを一周ぐるりと散策して戻ってくると、レンタルサイクルやレンタルバイクが何台かフロントの近くのスペースに停まっている。
そうだ、今日はかき氷を食べに行こうかな。自転車をレンタルして。そう思って停まっているレンタル用らしき自転車をみると、もちろん電動機なんてついているわけもない。車の免許くらい取っておけばよかった。そしたらついでに原付も運転できたのに。
小さなショルダーバッグをふわふわと浮かせながらフロントを通りすぎようとすると、おじさんと話をしながら何やら書類に記入をする澤村さんの姿があり、速度をゆるめた。
声をかける?かけない?かけなかったら、不自然?ぐるぐると頭の中で考えていると、落ち着いた声色が片耳から入って脳に響く。
「おはよう、みょうじさん」
見つかった。そう思った反面、なんだか嬉しくもあった。ここで通りすぎたら。もし私が澤村さんの立場だったら、ちょっと寂しいと思ってしまうかもしれないと思ったからだ。
「おはよう、澤村さん」
朝にぴったりの爽やかな笑顔に思わず心の中で身構えて、一瞬でころりと落ちそうになった何かをギリギリのところで止めた。フロントのおじさんにも挨拶をすると微笑ましいものでも見るように澤村さんと私を見て、免許証らしきものを澤村さんに返す。
「ガソリンスタンドはあるんですけど、そのまま返却でいいですから。ガス欠には気をつけてくださいね。満タンになってるし小さい島だから何十周もしないかぎりは大丈夫だと思うけど」
「はい。わかりました」
「どこか行こうと思ってるんですか?」
「いえ。特には決めてないです」
話を聞く限り、澤村さんはバイクで島を散策らしい。海沿いを走るのかな、いいな。やっぱり原付の免許だけでも取っておけばよかった。立ち去るタイミングを逃したせいで全部まるっと会話を聞いたあと、フロントのおじさんは私を見て、ふと気づいたように言った。
「お客さんは?どうしました?」
そうか、不思議だよね、話をするわけでもなく立ち止まって。澤村さんはさして気にしていなかったようだけど、おじさんは私の言葉を待っていて、観念したように言った。
「かき氷屋さんに行こうと思ってるんですけど、自転車でどのくらいかかりますか?」
「あ〜自転車だと30分くらいかかるかな、いや。ゆっくり行ったらもっと……」
「そんな遠いんですか?」
地図で見た島は小さくて、私は自転車で散策できるものだと思っていた。観光ガイドや雑誌にだって、自転車でさくっと一周いけそうな雰囲気出してたのに!
タクシーに乗るのはなんだか嫌だったけどそれしか手はないのかもしれない。ささくれでもできたようにひねくれた私があまりに衝撃を受けた顔をしていたんだろう。ぷ、と吹き出した澤村さんがせきを切ったように笑った。
「そんなに笑わなくても!免許ないんだから仕方ないじゃないですか!もう、他人事だと思って、」
広々とした風の通るフロントに澤村さんの笑い声と私の怒る声が響き、すぐに我に返る。おじさんは引き続き私たちの会話を微笑ましいような表情で見て話がまとまるのを待っていた。
「俺の後ろで良ければ乗ってく?安全運転には自信ありますよ」
しっかりとした間接を曲げながら人差し指で目尻に浮かんだ涙を拭った澤村さんは、うっすらと口をあけたままふざけるように言った。
恋人がいるかも、奥さんがいるかも知らないけれど、お連れの方がお友だちだということがわかっただけできっとこの人にはそういう相手は今いないんじゃないかと思った。
もしそういう相手がいたならば、気軽に誰かを誘ったりするような人ではないのが手に取るようにわかるからだ。
「じゃあヘルメットは二つだね」
「……どうする?みょうじさんが自転車で行くって言うなら応援するけど」
「……てください」
「ん?なんて?」
試すわけでも意地悪をされているわけでもなかったのはわかっていたけれど、あまりに恥ずかしくて蚊の鳴くような声を絞り出すと澤村さんは耳を傾け直すように聞き返した。
首から下げたカメラの重みを感じながら、ショルダーバッグの紐を握ってもう一度声を出す時、澤村さんの履くハーフパンツが隠せていないふくらはぎや腕についた筋の入った筋肉を見て大波が押し寄せた気分になった。
「う、後ろ乗せてください」
「了解」
「じゃあヘルメットもう1つね」
「ありがとうございます」
ヘルメットを受け取った澤村さんが私へ近付き、小さな傷のついたヘルメットを渡してくれて。腕時計の形についた日焼けの跡を一瞬見てから、すごく恥ずかしそうにフロント内の壁掛け時計を見た澤村さんに私は思わず笑ってしまった。