期間限定の当たり前
さっきまで夕日が海をオレンジ色に染めていた。海沿いを離れて飲み屋の連なる道を歩くと両手で数えられるくらいの数の提灯が下がっている。
ほんの少しの荷物をぶらぶらと下げて一件目に入ったお店は、地元の人の貸しきり状態だった。盛り上がってはいるものの、なんとなく疎外感のようなものを感じて入店をやめた。気分的に。
この島にある居酒屋にハズレはないような気がするし、空いてそうなお店に適当に入ろうかと思ったところで、見覚えのある背中を見つけ、そろそろと近付いて手を伸ばして肩を叩く。きっとこのときの私はいたずらっ子みたいな、そんな気持ちだったと思う。
ゆったりとした視線が私を見下ろして、一瞬固まって、すぐに笑う。なんだかそれはスローモーションに見えた。
「……よく会うなぁ」
「よく会うねぇ」
「みょうじさん、これから?」
「うん、これから」
暗号みたいな会話だ。
「私、澤村さんに相談……お願い?があるんだけど」
「とりあえずどこか入るか」
澤村さんもお店選びに関しては私と同じような感覚だったのか、2人で辺りを見回してそれはもう適当に選んだ店に入ったが、澤村さんと私の適当っぷりは店の引き戸を開けた時にはじわじわと私の中で笑いに変わっていて、澤村さんは不思議そうに私が笑うのを横目で見ていた。
あいにくテーブル席は埋まっていて、カウンター席に横並びで座ると、時々肩がぶつかる距離に澤村さんがずっといるわけで。口に出さないものの、お互いがぶつからないように反対側へ肘をスライドさせたが、よく考えれば午前中に腰に手を回したあれはもっと近かったというのに、なにを意識してるんだろ、私たちは。
注文を終え、メニューを立て掛けた澤村さんが、一息つくようにカウンターに肘をついた。
「それで、お願いってのは?」
ああそうだった。今さらながら改まって言うのはちょっとだけ恥ずかしいものの、ここで何でもないなんて言うのはなんだかこれから出てくる料理の味を霞ませてしまいそうだし、と意を決して口を開く。
「澤村さん、泳げる?」
「まぁ、人並みには」
「水着持ってきてる?」
「うん」
「明日一緒にダイビング体験行かない?」
「お〜、行く行く」
「実はふらっと入ってふらっと明日予約したら私だけっていわ……れ、て……え?即答?」
はっきりと、気持ちの良い即答すぎてうっかりスルーしてしまいそうになった。「さっきちょうどマリンスポーツのパンフレット見てたんだよ」そう言う澤村さんはとってもさわやかな笑顔だった。本当に、春のやわらかな太陽のようだった。
ああ、よかった。誘うには絶好のタイミングだったんだ。
「興味はあったし。明日も特にやること決めてなかったからさ」
可哀想だから、とかじゃなくて。澤村さんの意思で誘いに乗ってくれたのがわかるとやっぱり嬉しかった。変に回りくどい言い方をしなくてよかった。
「あ、でも予約しなきゃだめか。明日朝イチに電話するのでも間に合うかね?」
「当日予約もオッケーって言ってたよ、店員さん」
「あはは!それも既に確認済みなんだ」
ぽかぽかと暖かいものを抱えているような気分だった。太陽みたいに暖かく柔らかな笑顔がそんな気分にさせるんだろう。
お刺身の盛り合わせが目の前に置かれると、ちびちびと飲んでいたはずの日本酒があっという間におちょこからなくなって、どこかのおじさんよろしく2杯目を注ぐ。
共通の話題を探るでもなく、空気と料理と聞こえる会話を肴にお酒を飲んでいるけれど、澤村さんはそれで楽しいのかという疑問が浮かんだ。2夜連続で夜ご飯を食べるなんて、私も澤村さんも思っていなかったはずだ。
「そういえば、どうだった?星の砂。いっぱいになった?」
一瞬だけ目が合ったあと、澤村さんはスタンドに立て掛けたメニューに視線を落としながら可笑しそうに口角を上げる。
「ちょうどさっき入れてみたんだ。そしたら8分目くらいだった」
「そっか」
おまじないのようなものだ。澤村さんは今、私に可哀想なんて顔はしないけれど、嬉しそうになんてしない。もしもいっぱいになっていたら一緒に喜んでくれたんだろうけど。
「ごめんね、気遣わせちゃって。仕事でもずっと人助けしてるのに」
「なによ改まって」
「相席させてもらったり、バイク乗せてもらったり、ダイビング付き合ってもらったり」
「飯は誰かと食った方が美味いし、みょうじさんが後ろに乗らなかったらかき氷屋には行かなかったし、嫌々でここまで付き合わないよ。それにダイビングは本当にやりたいと思ってた」
嬉しいと同時に、その言葉には安心があった。1人旅に憧れていた私はこの島に澤村さんがいることが普通みたいに思えて、声をかければ笑ってくれて。たそがれの時間もきっと、澤村さんの顔が浮かび、どこかの浜でばったり出会うことをきっと考えるはずだ。
一生の関係にはきっとならない、3泊4日限定の、ここだけの関係。友情にも似たそれは、友情とも少し違う気がしたけれど、何なのかは簡単にはわからなそうだ。