勝手に星見て震えとけ
よくよく考えれば、おつかいをするなんてすごく久しぶりだった。ふらりと坂ノ下商店に行ったら、忘れ物を届けて欲しいと繋心くんのお母さんから頼まれたのだ。
しっかり書き込まれているのか閉じていても隙間のあるノートを肩にかけていたトートバッグに入れ烏野高校に来たはいいものの、一応敷地内に入るのだから手続きとかした方が良いんだろうか。
でもささっと渡して帰るだけだからいいかなんて甘く考え、すぐさま視界に入った体育館へと向かう。連絡は入れたけど、まだ既読ついてないんだよね。邪魔にならなければいいけど。
キュ、キュ、とシューズの音がして、力強く繰り出されるボールの音がしてすぐ。
「おい!ビビんないで攻めてけー!」
( あ、繋心くんの声だ )
鉄格子の向こうから聞こえた鼓舞に、思わず耳をすませた。なんだろう、なんか。私が知らない繋心くんがそこにいる気がして、ちょっとだけ心臓がうるさくなる。まだ数回ではあるけれど2人でいる時とも違う、店番をする姿とも違って。ほやほやの恋人の新たな面を知るのは少しくすぐったいけれど、心地よくもあった。
片方だけ開いている重い扉に隠れ、そっと体育館を覗くと入り口に垂らされたネットの向こうに繋心くんがいて。熱心に指導している姿を盗み見る。
腰に手を添える姿が繋心くんらしくて、すごくいいなと思った。白いラインの入ったジャージ着て、カチューシャをして。
ふと、いつだかのバイトの休憩時間に嶋田くんに見せてもらった金髪姿の繋心くんの写真を目の前に広がる光景に当てはめれば、そこに出くわしてみたいと思った。
もっと昔から、繋心くんのことを知っていたら。私たちは知り合っていたんだろうか。ひょんなことで高校生くらいからおばあちゃんと暮らしていたら。戻せない時を思い浮かべ、少しだけ羨ましいと思ったとき、日々繋心くんに対する感情が恋人に向けるものになっていることに気付く。
「あの、うちの部に何か、」
ぼんやりとそんなことを考えて固まっていると、後ろから聞こえた遠慮がちな声に思わず慌てて振り向いた。そこには親しみのある雰囲気の、癖のある黒髪に眼鏡をかけた大人しそうな先生らしき人が恐る恐るという様子で私を見つめていて、あわあわとしたその瞳を見つめながら口を開いた。
「あの。けい……烏養さんに忘れ物を持ってきたんですけど。声掛けづらいなぁって思って」
「あ、……そ、そうでしたか!」
「すみません、こんな所で。怪しかったですよね」
「いえいえ!そんな!烏養くん、今呼んできますね!」
あっさりとネットをくぐった先生が繋心くんの元へ行き、一言二言交わしたところで2人揃って視線が私の方へ向くとなぜかぎくりと音が鳴ったような感覚。
その瞬間の繋心くんの驚いた顔といったら、それはもうすごくて。あんまり目立たない方がいいよねとまた扉に隠れるとキュ、キュ、キュ、とシューズの音が近付いてくるのがわかった。それにしてもあの驚きの表情、脳裏にしばらく焼き付きそうだ。
「おい。なにニヤニヤしてんだよ」
「……だって今世紀イチ驚いた顔だったから」
「ライン気付かなかった」
「いいよ、むしろ届けに行くねってだけだし。あ、これね。繋心くんのお母さんからの預かりもの」
「……あー、さんきゅ」
ノートを受け取りながら、空いてるもう片方の手を頭に当てた繋心くんを見てちょっと嫌な予感がする。
「なんだなんだ、その感じ」
「これ忘れた訳じゃないんだわ」
「…そっか……そっかぁ」
「悪い」
「なんで謝るの。いい散歩になったし。繋心ママには正直に言ったら可哀想だから言わないでよ」
「……そうだな、そうさせてもらうわ」
さてと、帰るか。なんて考えながら繋心くんに手を振れば、時間の割には思ったよりも空が暗いななんて思い、校門に向かって足を数歩進める。
「繋心くん、またね」
「おい」
呼び止められると同時に下ろしたばかりの手首を掴まれて何気なく振り返れば、慌てたような様子の繋心くんが視界におさまった。掴まれた手首はちょっとだけじんじんして、首をかしげるでもなくまっすぐな眉や力強い瞳を見つめる。
「あとちょっとで終わるから待ってられるなら待ってろ」
この辺は変質者なんて滅多にでないし、家まで遠いわけでもない。それに、甘えたような顔を見せたわけでもない。まだ季節は冬だったせいか、時間が早くても外は暗い。繋心くんのいい彼氏っぷりにときめいてしまったけれど、そう易々と甘えていい提案でないのはわかる。
「繋心くん、仕事中でしょ。大丈夫だよ」
「あと30分くらい待っててくれたらあんまん奢ってやるし、家まで送ってやる」
「わぁ、甘い誘惑」
「現金なやつ。時間の割には暗いな〜とか思ったろ、さっき」
「……思ったけど、いや、そんなはっきり分かる?」
「お前分かりやすいんだよ」
本人がここまで言ってくれるのだ。お言葉に甘えてもいいかもしれない。できない提案などするような人ではない気がするし、優しさを無下にしたいわけじゃない。数分のやりとりをチラチラと見ていた部員たちと目が合って、軽い会釈と共に笑みを送れば「とりあえず事務室で手続きしてこい」と胸元を見ながら言われ、慌てて校門に向けていた爪先をくるりと校舎へと戻した。