砂糖はビン底にて

 カミングスーンと書かれた立て看板を見て、あそこの服好きだったのにな、なんて思う。入れ替りがあるのは駅ビル出店の宿命みたいなものなのだけど、同フロアということもあって仲良くなっていた店員さんが去っていくのは少し寂しい。

 しかもその場所にはカフェができるという。ファッションフロアであるこの階に、だ。
 きっとフルーツタルトの美味しいおしゃれなカフェとかなんだろうと予想を立て、一度くらいは行ってみたいなぁなんて思う。でも、きっと足を運ぶことはないんだろうな。休憩に立ち寄るにはもったいなさそうだし、休日にわざわざこの駅まで来ないし。そう思えば、さらにはこのフロアにくることなんてまさかまさか、という感じだ。

 私の働くお店は文房具を豊富に取り扱う雑貨屋で、ジュエリーショップやファッションのお店のように華々しいお店ではないけれど、ふらりと立ち寄るにはちょうどいいらしく1日の客数はそこそこいる。

「休憩いってきまーす」

 帆布のトートバッグを手に持ち、休憩室へ向かう。最上階に立派な食堂があり、おしゃれなイスとテーブルがたくさん並んでいるのだけど、満席のことがよくあるし、エレベーターでそこまであがるのすら時間が惜しくて、各階に壁に沿って置いてある小さなイスとテーブルを確保するのが常だ。
 もうすぐオープンのカフェは従業員用通路へとつながる扉のすぐ近くにあって、白い大きなカーテンの隙間からはお洒落な照明やウォールナットに塗装された木のカウンターが見えると、胸が高鳴るような感じがした。

 足を止めたわけではなかったけれど、牛歩のごとくのんびりと足を進め、視線はカーテンの隙間へ向けたままでいると、白いカーテンが開き、背の高い男の人が出てきた。視線をあげてちょっと驚く。髪の毛がピンクの男の人初めて見た、って。

 飄々とした表情の下、胸元には駅ビルの勤務研修後にもらえる館内着用バッジがついていたから、カフェの店員さんなんだろうと改めて思う。目が合って会釈をすると、口癖みたいに「お疲れ様です」と言い合い歩き出すが、向かう方向は同じせいか、妙な空気が流れる。どっちが先に扉を開けるのか、微妙なところだ。

 塗装の剥げた重く冷たい扉に手をかけたのは彼の方が数歩早くて、微妙な距離感を保って背中を追えば扉を押し開けてから中指と人差し指の腹で閉じないように扉を押さえていてくれたから、まごつく私の瞳と飄々とした瞳が合ってすぐ帆布のバッグを後ろ抱えてドアを通った。

「ありがとうございます」
「いーえ」

 交わしたのはそのワンターンだけだったけど、彼の表情はとても軽やかだった。



 それから15分くらい経っただろうか。いつものように小さなテーブルに向かい合って置いてある2つイスのうちひとつに座り、テーブルの端にトートバッグを置いてお弁当を食べる。

 安いからと借りたアパートは思っていたよりも駅から遠くて、電車の乗り換え時間もかかるせいか早番の私の朝は早めであるため、人に自慢できるようなお弁当ではないが、食費を考えれば作らないよりはマシだと思うようにして毎日お弁当を詰めている。食べてしまえば一緒だと思う辺り、やっぱり料理上手には一生なれないんだろうなと思う。

 他店のスタッフでも仲の良いスタッフがいれば相席をして談笑をして食べることもあるのだけど、基本的に休憩時間は皆本気で休憩しているせいかなかなかに静か。

 お弁当ももうすぐ蓋を閉めようと思っているころ、エレベーターの開く音を聞きながらスマホをさわっていると、カサカサとビニールの音を立てて誰かがやって来て、空いている席を探しているのはなんとなく気配でわかった。
 顔をあげて音のする方を見れば、カフェのお兄さんが気だるげな表情でこの辺を見渡して。そして、視線が合った。

「ここ、誰かきます?」

 察するにまず食堂へ行き、満席なのに肩を落として、1階でお弁当を買ったはいいがどこで食べたらいいかとさ迷ってここにたどり着いた、といった感じだと思う。

「どうぞどうぞ」

 トートバッグを背もたれと背中の間に置くと、残り少ないお弁当を食べることに集中した。だって初対面の人に特別褒める要素のないお弁当見せるなんて拷問に近いもの。
 袋から美味しそうなエビチリ弁当を出した彼の胸元を近くで見て、ここで初めて知る。花巻さんという名前らしい。

「みょうじ、さん。どこの店の人?」
「エスカレーターの近くの雑貨屋、わかります?」
「……あ〜〜、たしかウチあそこで買ったボールペン使ってるわ」
「お買い上げありがとうございます」
「どーいたしまして」

 ゆるいお辞儀をしあって数分話をする。フランクにレベルをつけるのなら、花巻さんは相当高い人だ。

「ここ働いて長いんすか?」
「うーん……長い、のかなぁ。花巻さんはずっとカフェの店員さんですか?」
「いや、俺はまだ半年くらい。中途採用なもんで」

 聞けば私と花巻さんは同年代ではあったけれど、花巻さんは私よりも少しだけ年上で大人の余裕とはちょっと違う、軽やかな余裕みたいなものがあった。

「オープンしたら来てよ、お店。割引とかないけど」
「タイミングが合えば行きますね」
「それ絶対来ないやつじゃん」

 そんなことない、とは言わなかった。だって一人で入るのはちょっとドキドキしちゃいそうだもの。

「おすすめのケーキってありますか?」
「ん〜〜、スタッフに人気なのはフルーツタルトとか?」

 やっぱり、そう思った。斜め上を見て、思い付いたように付け加えられる。

「苺のミルフィーユもうまいよ」
「あ〜〜」

 つやつやの苺を想像して思わず声を発すると、口の端を少しあげて笑って花巻さんは言った、どうぞご贔屓に、って。