砂糖菓子を探せ
22時が過ぎ、着信音が鳴る。誰からの電話かなんて画面を見る前からわかっている。もちろん、半分思い込みと希望を込めて。
誰に見られるでもないのにお気に入りのパジャマを着て、ベッドでごろごろしていた私はまた意味もなく起き上がり差しっぱなしだった充電コードを抜いて指をスライドさせた。お気に入りのパジャマも、つい起き上がったことも、思いの根源は同じだ。
『もしもし。お疲れ様です』
『はー……お疲れ。さみー……』
瞬間的に頭に浮かぶ。白い息を吐いて道を歩く花巻さんの姿が、隣を歩いているかのような気分で。
思わずくすくすと笑うと、なにしてんの、と呟く花巻さんの声が耳にこそばゆく響いて、幸せな気分になる。
『ベッドでごろごろしてました。花巻さんは?』
『駅から歩いてるとこ。完全に上着間違えた』
『風邪引かないでくださいね』
『さっき笑ってたくせに』
窓の近くに行くと、うっすらと外気を感じる。今日はたしかに朝も寒かったような気がするけれど、正直花巻さんのことを考えていたからかあまり気にならなかったなぁ。
『夕飯食った?』
『はい。お風呂も入りました』
『もー寝るだけじゃん』
『早番でしたからね』
しばらく話していると、電話の向こうでガチャガチャと鍵を開ける音がして、数秒後にはバタン、と扉の閉じる音がすると、おかえりなさい、と小さく口にする。なんか、変な感じだ。そういえば前にも同じような会話したっけ。
『ただいま』
『……そういえば、ガジュマルどこに置きました?』
『ガジュマルはえーっと……テレビの横だ』
『……なるほど』
テレビの横ならいつも視界に入って、ちょっと幸せになれて。それもありかもしれない。私も同じところに置こうかな。なんてこっそり思っていると花巻さんは、なによ、とあっけらかんとした口調で小さく声にした。
『置場所に迷ってて』
『ほー』
『私も同じとこに置こうかなって思い始めたところです』
『いいよ、テレビ横。おすすめ。何気なく置いたんだけどさ。ガジュマル見るたびみょうじさんのこと思い出すから。みょうじさんも、時々俺のこと思い出してよ』
『あはは、じゃあ私もそうしようかな』
ガジュマルがなくたって花巻さんのことを考えているけれど、そんなのは恥ずかしくて口にできるはずもない。
『あ、聞いた?フロア飲み会の話』
『フロア飲み会?あるんですか?』
『うん。今月フロア担当の人変わったじゃん。なんか爽やかな若いメンズ。なんとかじんくん……なんだっけ』
『ああ、宇賀神さん?』
『そうそう!閉店ちょい前だったから8時くらいかな。フロア回ってるなーって思ったらなんか配ってて。来れる方は是非〜!ってにっこにこで手作りのチラシ、つっても立派なやつ置いてったんだよね。……あーでもそっか。みょうじさん早番だったから知らないよな。明日言われるだろ、多分』
うちの店長が言っていたけど。宇賀神さんってたしか他のフロアで去年は補佐か何かやっていたらしく、フロアを担当するのは今回が初めてらしい。
時々フロア飲み会を開催する担当さんがいたものの、最初の方に1回参加したくらいでそれからはしれっとかわしてきたのだけど、宇賀神さんのフロアの熱心な見回りなどを思い出せばなんだか不参加というのも胸が痛いような気がするなぁ。
『いつですか?』
『んとね。今月のにじゅう〜……さん、だわ。多分。行く?』
『23なら早番なんで行けるは行けるんですけど……正直、どっちでもいいなぁ。花巻さんはどうするんですか?』
『俺は休みだけど近いし、ポジション的に強制参加だろーなと踏んでる』
たしかに花巻さんは今までのことを思えば万能なポジションではあると思う。人柄もそれに大きく影響しているとは思うけど、そこは置いておいて。
冷える窓際を離れ、まだテーブルに乗せたままのガジュマルをじーっと見つめる。ガジュマルは元々欲しかったものだけど、やっぱり愛着は間違いなく沸いていた。はりのある葉っぱを撫でながら花巻さんの心地よい声や何気ない生活音を耳にしながらくすくすと笑えば、今度は電子レンジのブーンというモーター音が微かに聞こえる。
『ごはん温めてるんですか?』
『うん。パスタ。冷凍の』
『お。いいですね』
冷凍パスタ、最近全然食べてないや。久しぶりに食べたくなってきた。指先がひんやりとして、恋しさのような気持ちがすくすくと成長していく。
『次の日は?休み?早番じゃきついもんな』
『えっと……その日は休みでした』
今まで開催されたフロア飲み会の様子を思い返せば30人くらい来るのかもしれないけど、花巻さんは知り合いって結構いるんだろうか。コミュニケーション能力は決して低くないし、大丈夫……だとは思う、けど。
『……花巻さんが行くなら私も参加しようかな』
電話の向こうからピーピーという機械音がしてパスタが温まったことを知らせる。ああ、そろそろ電話切らなくちゃ。
『まじ?行こうよ。みょうじさんが居るなら安心だわ』
『とかいってめちゃくちゃ場に馴染みそうですけどね。……あ、それより。ごはん食べてください。温かいうちに』
『……そ?じゃ、あとでかけ直すわ』
『あ、いえ……大丈夫です』
『なんでよ』
『だって。パンが焦げたこととか、カフェオレが美味しく淹れられたとか。大したことない話くらいしか元々用意してなかったですし』
『……まってそれ、ほぼ言ってんじゃん』
けらけらと笑う花巻さんは、今どんな顔をしているんだろ。ジャムを塗りすぎたことは言い忘れたけど、今思えば一番ちっぽけなことだったからいいや。
『花巻さん』
『はいよ』
『また電話しましょうね』
ぬくぬくとした気持ちのままベッドに潜れば、切れそうだった電話がなかなか切れなくて。花巻さんの笑みを含んだようなため息が私の耳にしっとりと届き、言葉が紡がれた。
『そーね。しよしよ。またデートもね』
『はい』
『ま、仲良くやってこーぜ』
なんだか、私の知る恋人の会話よりもさっぱりとしているけれど、少しずつ発せられた言葉の意味を理解していくたびに不思議とほんのりと甘さを感じる。
思わず笑みを溢せば花巻さんは『また明日』と呟き、私は『おやすみなさい』と呟いた。そして、しばらくの沈黙のあと、電話を切って。目を閉じて、そっと思った。
明日もあのビルのどこかで、花巻さんに会えたらいいな。