渇かないまま
新規で入ってきたノートのカラーリングがかわいくて、どれか買おうかな、なんて心の中で思いながら店頭に立っていると、ストライプのスーツを着こなしたフロア担当の宇賀神さんがいつも通り大きな歩幅でこちらへやって来た。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です。今日どうですか?」
今日は予報通り雨が一日中降り続いているものの、駅ビルはさほど影響を受けていないのでいつも通りだと答えれば、ですよね、なんて爽やかな笑顔が返ってきた。
「あ、そういえば……みょうじさんも飲み会、参加してくれるんですよね。ありがとうございます」
手に持っていたバインダーを開き、目を通してから顔を上げた宇賀神さんは嬉しそうだったが、私はへらりと笑うだけで返す。だって、宇賀神さん主催だから参加するというよりも、花巻さんが参加するなら、なんて私情を挟んだ参加理由の方が私の中では明確なものだったからだ。
「前のフロア担当にみょうじさんは参加したことないって聞いてたんでちょっとびっくりしちゃいました」
「……まさか皆さんの間で私の話が上がってるとは」
目をぱちぱちすれば、宇賀神さんがハッとしたように手を振って慌て出す。そういうことじゃないです、って。そういうこと、の意味が逆に気になるが宇賀神さんの慌てっぷりが面白くて笑ってしまった。
でもやっぱり、店長の話が上がるのはわかるが私の話がされてるとは驚きで、ちゃんとスタッフも含めてフロアを見てくれてるなんて関心だ。
「悪いことできないですね」
「あはは、そうかもしれないですね」
それにしたって、宇賀神さんの向ける笑顔がいつも通り爽やかで爽やかで。モテそうだなぁなんて内心こっそりと思う。まあ、花巻さんの方がかっこいいけれど。
▽
月初の財布はほくほくしている。早番で上がってそのままの足で同じフロアの洋服屋さんに向かえば、彼氏とラブラブな洋服屋さんの鹿野さんはせっせと雨カバーを補充していて、店内に入ってきた私を見た瞬間に嬉しそうに笑った。
「お疲れー」
「お疲れー、どー?」
「今は見ての通り暇。意味もなく雨よけのカバー補充したりしてる」
「あはは、それは間違いなく暇だね」
けらけらと笑い、店内を眺める。12月に入ると少しづつ値下げが始まるから、ちょこちょこチェックしに来ては目星をつけたり買いだとピンときたものは買ったりもしている。
ふと目に留まったコートをハンガーラックにかかったまま眺めると雨よけのカバーを補充し終わった鹿野さんが隣から覗き込んで言った。
「それ、私も狙ってる」
「うん。だってかわいいもん」
「それこの間入ってきたばっかりなんだけど、めっちゃ売れてるよ。特にその色」
「……やっぱり?」
かわいいものほど値段はかわいくないけれど、セール価格ではあるし衝動買いする気持ちも理解できるかわいさだ。しかも、ちなみにその色は一昨日売り切れてやっと入ってきた一着、なんて横から悪魔の囁きが聞こえてくる。ハンガーから外されて羽織らせるように向けられれば、流れるように袖を通してからはっとする。この商売上手め。
「……あれ、今日早番だっけ?」
フロアの方から聞こえた落ち着いたトーンの声に、コートを脱ぎながら思わず目を向ける。声の主がすぐにわかったからだ。
「あ、お疲れ様でーす」
「お疲れでーす。あーっと……鹿野さん、いつもご愛顧どうも」
「いえいえ。……そうだ、あのモンブラン!彼氏がまた食べたいって言ってたんですけどもうないんですか?」
「時期が終わっちゃったからなぁ。また来年っすね」
目の前で行われる軽快な会話のキャッチボールを、視線で追う。私も話をするのは不得意ではないけれど、さすが接客業のスタッフ同士の会話だとなんだか楽しくなりながら笑えば、花巻さんが店内に足を踏み入れながらくすっと私に小さく笑んだ。
そして、それを見ていた鹿野さんが花巻さんと私の交互に視線を送り、面白がるように小さく手を上げながら一言。
「ていうか、質問いい?早番がどうとか……どういう会話?」
鹿野さんに2人で注目したままどうしようと固まる。そして勝手に黒目が花巻さんの方へゆっくりと泳いだけど、視線が交わった花巻さんは飄々としたように口を開いた。
「え、だって俺ら付き合ってるもん」
「……え!?そうなの!?ちょ、え?いつから?」
私に向けられた視線をかわすことなんて出来そうにないが、言葉でかわすのも難しそうだ。
「……え、と。うん……うん。先月から」
「え〜!びっくりなんだけど!結構有名な話?」
「いや?初めて言ったかな……あ、」
花巻さんの少し大きく開いた瞳が私を見て、言っちゃだめなんだっけ、とでも聞いているようだったが、花巻さんは何一つ私たちの間で内緒にしておこうとかそんな会話が行われたわけでもないし、やましいわけでもない。むしろ、あっけらかんとした表情で私達の関係を言ってのけた花巻さんを間近で見れたのは嬉しかったような気がして、きっと私が花巻さんに今向けている表情は満更でもないものだと思う。
「んで、早番?」
「早番です」
「じゃあ買い物でもして待っててよ。もうすぐ上がるから」
「わかりました」
胸にビルのスタッフバッジをつけたままの花巻さんは、差し詰め店長さんにフロアの様子見てきてとでも言われたんだろう。いつもシフトを把握しあっているわけではないものの、今日の花巻さんと私はタイミングが良くて、それだけで嬉しい。なのに、足を止めて振り返った花巻さんときたら。
「ていうかさっき着てたコート、かわいーね」
ちょっとまって。去り際のセリフで放たれるのには今のは完璧すぎる。見えなくなった背中を浮かべながら、うう、と小さく唸って振り向けば、私はさっきまでの葛藤などまるっと忘れてにやにやする鹿野さんに向かって口を開いた。
「あのコート、やっぱり買おうかな」
「……あんなこと言われちゃあね」
そして鹿野さんはずっと可笑しそうだった。タグを点線に合わせて丁寧にちぎるときも、カードの処理を待っている間も、雨よけのカバーをショッパーにかけてくれていた時も、だらりとした見送りの時も。