ラズベリーとクレソンのキッシュ
オープン祝いの綺麗な花が飾られたカフェを横目にフロアの廊下を歩く。甘いケーキのいい匂いがして、きっと今日も花巻さんは忙しいんだろうな、なんて思った。
「戻りました〜」
見慣れたショップを通り過ぎて職場であるお店に入ると、さっき思い浮かべたばかりの人物がボールペンの棚を小難しい顔で眺めていた。もちろん、花巻さんだ。
「お疲れ様です」
「あ、みょうじさん。おかえり」
「……ただいま、です」
ぷ、と堪えきれずに笑った花巻さんはいつも通りに軽やかで、柔らかい。おまけに甘い匂いがほんのりと漂い、頭にはフルーツタルトが浮かんだ。
空のお弁当箱が入ったトートバッグを持ったままで店内に立つというのはなんだか違和感があって後ろに回して持ち直すと、レジ内で作業をしていた先輩が私を見てからにやりと笑ったから、後で聞かれるんだろうな。仲良いの?って。
「何だよ、ただいまですって」
「なんですか。おかえりだって変ですよ」
「そ?……てかこれの替えの……芯?ってどれ?」
しれっと話題を変えた花巻さんに見せられたボールペンは紛れもなくうちで売っているものだったけれど、定番で人気の商品だったためにちょうど替え芯が欠品しているのもすぐにわかった。
「すみません、今欠品中で。入荷日確認しましょうか?」
「休憩上がったばっかでごめんな」
「カバンだけ置いてきますね。花巻さんこそ時間平気ですか?」
「平気平気、今は休憩にカウントされてないから」
早歩きでバックルームに入り、トートバッグをフックにかける。一度レジに入りパソコンで入荷日を確認すると、先輩が「私も休憩行ってきちゃうね」と言ってささっと休憩に行ってしまったけれど、先輩はさっきと同じような表情をしていたから、1時間後は忙しくあれなんて願った。
レジ横に置いてある棚を眺めながら私を待つ花巻さんは、視線を私に流して口を開く。
「入荷したやつって取り置きしといてくれんの?」
「できますよ。えーっと……明後日入荷予定になってますね。何本ですか?」
「4本かな」
「一応取り置き用紙作りますね」
「さんきゅ」
小さな取り置き用紙に、ボールペンを走らせる。丁寧に、早く、読みやすいように。なんとなく視線を感じて顔をあげると、記入途中の取り置き用紙をまじまじと見る花巻さんの顔が近くにあってなんだか恥ずかしくなった。
「店の電話番号も言う?」
「電話番号はいいですよ、同じフロアですし。お知らせも入荷したら通りがかりにスタッフさんに声かければいいですか?」
「うん、いいよ」
備考欄にその旨を書き、青文字のうつった控えを渡す。男の人にしては綺麗な手に少し見とれてから顔を上げれば、控えを持っていない掌をゆらゆらと揺らし、花巻さんは小さく会釈をしてお店を出ていった。
背中を見送りながら「いってらっしゃい」なんて言えば良かったとふざけて思ったけれど、そんなのはどこへやら。入れ替わりに入ってきたお客様が花巻さんに見とれていたのを目撃した瞬間、知り合いの立場として俯瞰で見ても花巻さんはまぁモテて当然だなと思ったのはこれからもこれまでも本人には言うことはないんだろう。
▽
アイドルタイム真っ最中。大変暇である。
今日は花巻さんの探していた替え芯が入荷した日で、カフェのレジにいた初々しいバイトらしき子にはそれを伝えたし、ポケットから出した紙にそれをメモしていたから、誰かしらが替え芯を買いに来ることは間違いない。
レジカウンターに籠り、小さな段ボールいっぱいに入ったリーフレットを三つ折りにすることに必死になりすぎないよう、1枚折るごとに顔を上げて店内を見回し、お客様が入ってきても失礼のないようにあいさつをする。いらっしゃいませ、どうぞご覧くださいませ、と。
同じことを繰り返しているうちに、ふと思った。リーフレットの山が高くなってきなぁって。折ったリーフレットを山に置いて顔をあげれば、ピンク色の髪が視界に入った。そう、まさかの受け取りに来たのも花巻さんだった。
中途とはいえ社員なのに、お使いに行くなんて偉いなぁなんて思っていると、あっという間にやって来た花巻さんが取り置き用紙の控えを私の目の前に差し出して「お願いしまーす」とけだるげに口をとがらせながら言った。
「随分と暇そうじゃん」
「この時間はいつもこんなですよ」
「へぇー」
興味があるんだか無いんだか、ちょっとわからない。そんなことを考えながらレジ内の取り置きボックスから替え芯を出すと、商品と用紙を照らし合わせながら花巻さんをちらっと見上げ、ちょうど視線が交わってしまって、慌てて視線を横にやった。
「なによ」
「いや、別に」
「別には別にじゃないのくらいわかるわ」
「社員さんでもこういう買い物に駆り出されるんだなーって思って」
「……なんだ、そんなことか」
例えば、向かいの洋服屋さんの店長は閉店後のネット掛けを絶対にバイトにさせてレジ締めをしているし、斜め前の帽子屋さんの社員さんは掲載雑誌の購入やお花の購入などほぼ全てのちょっと面倒な作業を自分よりも下の子にさせているし。だから余計に不思議に思ったのかもしれない。花巻さんがここにいることや、取り置き用紙を私に差し出すこと自体が。
「駆り出されてるわけじゃないんだけどね」
深い意味を追うことも、勘繰ることもしなかったけれど、花巻さんはなんだかいたずらに笑っていて、そのやりとりはちょっと楽しい。
ただひとつだけ気になったのは、カフェのレジで入荷を伝えている最中のこと。 奥を通った他のアルバイトさんが私を見て「あ」とか「お」とか、そんな声でも出しそうな顔をしたことだ。あれは一体、なんだったんだろう。
もしも。たった今、交わされた会話に関係があったとしても、私にはわかりっこないけれど。