ああゆれる
すっかり頭から抜け落ちていた。今日は花の金曜日である。とはいえ日中の花巻さんの予想通り、2人で店を探せば腰を据える居酒屋は2件目で決まった。私たちの後にやってきた6人のグループは早々に断りを入れられていたけれど。
「金曜だから2時間制だってね。10時解散か。ま〜なんて健全な飲み会だこと」
1件で解散だと、こうもさらりと告げられるのは失礼ながら意外だと思った。花巻さんがきちんとしている証拠だというのに、心の中でこっそりそう思ってしまう。
実際、私の終電は結構早いし、10時に解散できるなら余裕もって帰れるし。助かるといえば助かる。そもそも明日は早番だから、うん。やっぱり助かる。
「そいえば聞いてなかったけど。みょうじさんって、どこから通ってんの?」
がやがやと騒がしい店内。生3つお待たせました〜!と元気な声が隣でしていて、そんな中で私の最寄り駅を花巻さんに言えば、しばらく斜め上を見て考えた花巻さんが「……どこだっけ?」と言ってスマホを触りだし、呟いた。
「ウン。遠いっちゃ遠い」
「ですよねぇ。しかもそこから徒歩20分くらいかかるんです」
「それはあれよ、もう遠いよ」
「あはは、それ。毎日痛感してます。でも家賃が安くて。そこが最大の魅力かな」
目の前の花巻さんは、クレーンゲームのアームみたいに持ったグラスの氷を鳴らしながら私の話を聞くと、そのままグラスに口をつけた。
「花巻さんは?」
「俺はこっから2駅。各駅しか止まんないけど」
「でも各駅って結構空いてるじゃないですか。それに2駅って近いし。終電逃しても歩けちゃう距離ですよね」
「ははっ、みょうじさんに比べたら俺の不満なんか可愛いもんか」
「いいなぁ、花巻さん。私も安くて近いとこに引っ越したい。 なーんて言いながら住めば都なんですけどね」
まず引っ越しから面倒だもんなぁ、と呟いた花巻さんはスマホを少しいじってから後ろのポケットにしまい、私を見る。長い指が妙に色気があって、私のネイルなんてちっぽけなものだと思った。
「そういえばこの間お店で話した洋服屋さんの子」
「うん」
「あの子が花巻さんのところのケーキ、彼氏に買って帰ったらまた食べたいって言われたらしいですよ」
「へー、そりゃ嬉しいねぇ」
店内を眺めながらグラスに口をつけ、言葉と言動をちぐはぐさせながら花巻さんは小さく笑う。驚くくらいどうでも良さそうに。
店内に流れる有線の音楽がどれも耳に馴染んで、おつまみを口に放って花巻さんに視線を送れば飄々とした姿がうつった。
「んで。みょうじさんは彼氏いんの?」
「……気になります?」
「そりゃまあ、」
「……いますよ」
なんとなく。冗談を口にすると、ポロッと視界に収まっているテーブルにカシューナッツが落ちた。花巻さんを見ながら、この人もこんな顔をするんだ、なんて失礼なことを思いつつ眉を下げて笑いながら言う。
「……って言えたらいいんですけどね。 ナッツ落ちましたよ」
ちょっと、ふざけすぎただろうか。ナッツを拾いながらにししと笑えば花巻さんはテーブルの上で腕を組みながら頭を沈め、なんだよーとか二言くらいぶつぶつ呟き、口を尖らせる。
「……今の、ズルくねぇ?」
とろりとした瞼が少しだけ可愛く見えて、飄々とした先程までの表情は影もなかった。あ、この有線の曲。私の好きなやつだ。
「……ちょい。俺にも聞いてよ。流れ的に」
ちぇ、みたいな顔をした花巻さんと視線が絡めば、テーブルに肘をついて可笑しそうに笑う。いつかの朝に一緒に階段を登ったときとか、連絡先を交換した今日のお昼とか。時々子供のように笑う花巻さんにはあらがう余地のないままきゅんとさせられてしまう。
「花巻さんは、彼女いるんですか?」
「……実は、いるんだよね」
拾ったばかりのカシューナッツがぽろっと手から滑って、テーブルに落ちた。呆気にとられたんじゃない。たまたまだ。
「なーんて。さっきの仕返し〜」
べーっといたずらに出した舌先が赤くて。胸が痛い。自分の冗談を悔いることよりも、花巻さんのいじわるな顔がそうさせたんだと私は思って。少しだけむっとしてしまった。
▽
お会計の最中にふと見た壁掛け時計の針は10時をさしていて、店の入ったビルを出てから空を見上げてもさほど空は暗くなかった。見慣れた夜も、誰と歩くかだけで不思議と違うものに思えてくる。ぼーっとしていたら花巻さんがさほど近くない距離で私の表情を見て、どした、ときょとんとしながら様子を伺ってきた。
「もう秋なのに10時って結構明るいなーって」
「……みょうじさんがそこまで言うなら2件目行く?」
「ちがっ……そういう意味じゃないです!」
おどけた表情にきゅうっと心臓が縮む。明日早番なんですって。手をぱたぱたと横に振りながらそう言えば、けらけらと花巻さんは笑った。駅に向かう途中、少し前を歩くカップルが指を絡めて、いちゃいちゃちゅっちゅと楽しそうにピンク色のオーラを纏って寄り添っている。
「路チューだ、路チュー」
「ほんとだー……ラブラブですねぇ……」
「くくく……その懐かしむような目やめて。笑っちゃう」
「……花巻さん、とっく笑ってますけど」
「ごめんて……つーか。出会いがない訳じゃないよな。駅ビルなんか、イケメンだらけだし」
その珍しいものでも見るような花巻さんの視線。ちょっとばかし失礼じゃないかと思う。多分花巻さんは女の子に困ってこなかったタイプだ。花巻さんが言うように他店のスタッフと付き合うのはめずらしい話ではないが、そんなの一握りだ。
「……これは私がどうとかじゃなくて。誰か1人が良いなって思う人には、他の人も良いなって思う可能性がある訳じゃないですか」
「まー、そうか。たしかに……てか意味深だな」
「本当、私のことじゃないですよ」
「ふぅん」
風の噂で聞いたことがある。他の階の女性スタッフ2人がイケメンをめぐってバックルームでガチの言い合いをした、という話。聞いただけでも身の毛がよだったというのに、実際自分にそんなことが起きたら……考えたくもない話だ。
「つまり。好きになった相手がイケメンなら尚更ライバルが増えちゃうじゃないですか。そう思うと、ちょっと面倒っていうか。 言っておきますけど、花巻さんもイケメンの部類ですからね?」
「わからんくもないけど……その理論でいくと、みょうじさんにとって俺はなし?」
カップルのイチャイチャを眺めがら、どう答えるべきか考える。答えはもうでている。現にふたりで飲みに来ている訳だから。そういうことだ。じーっと送られ続ける視線はチクチクと痛くなるようなものではなくて、それが余計に戸惑いに変わる。
「……花巻さんは、なしじゃないです」
「そ?あー……そ?」
妙な間が数秒。イチャイチャカップルを前にしながら気付く。これって、好きですって言ってるようなものだ。
「それ、本当か確かめてい?」
「どうやっ、」
どうやってですか。そう言い切れぬまま私の手が掬われ、手のひらからじわじわと熱が伝う。そしてようやく繋がったものをみて思うのだ。手を繋いでいることに。
早くなりだす脈がうるさい。だけど、少し心地がいい。ただ重ねただけの手のひらの感覚は随分前に別れた恋人のときよりもずっと前に味わったような。
「どーよ」
「……恥ずかしいけど、案外いけますね」
ぶらぶらと揺らされる手がドキドキよりも心地よかったのは、きっと子供の頃を思い出したからかもしれない。
「いけるって何だよ。 じゃあ恋人繋ぎでもする?」
「……それは、いいです」
「うわ。地味に傷つく〜」
「なんか。想像しただけでわかりますもん」
「ヤダ〜みょうじさんたらエッチ」
「……やっぱり今すぐ離してください」
そう言いながらも、久しぶり繋いだ手を私からは振りほどけなかった。不思議なことに、花巻さんもほどいてくれなかったけれど。