ダンス・ホール・ケーキ

 ビルのオータムフェアを2日前にして、フロアは静かだった。お客様の入りも全く良くないため、目の前の洋服屋さんは声出しをほぼほぼ放棄して店頭で値下げシールを貼っている。斜め前の帽子屋さんに至ってはレジにこもって作業に没頭しているようだ。

 うちのお店の雑貨も少しは値下げ作業があったけれど、夏や冬のセールほどではない。文房具はなかなか新作が出ないけれど通年でよかったと思うのはこういう時である。
 入れ違っているペンを直しながら、暇だなんて思っていると、フロアのお客さんの入りを確認しながら通路を歩く花巻さんと目が合い、会釈をする。

「おつ〜」
「お疲れさまです」
「どこも暇そうだなぁ」
「明後日からですからね、オータムフェア」
「ウチはあんま影響ないかなって思ってたんだけど、やっぱフロアが静かだと必然的にウチも暇んなるか」
「取り置きとか下見のお客様が多いって帽子屋さんが言ってましたよ」
「……確かに明後日から安くなるってわかってて今日買って帰る客なんかいねーもんな」

 なかなか開けられない瓶の蓋をあっさりと開けたように、花巻さんは私と手を繋いだ。それは2週間ほど前のこと。
 腰に手を当て、困ったようにピンクの髪をくしゃりを触った花巻さんは仲良くなり始めたころと何にも変わらなくて、あれは夢だったんじゃないかなんて思ってしまう。

 それでもまた飲みに行こうとか、メシでもいいとか、映画もいいなとか、そんなことを後日簡易休憩室でこっそり言われたから夢じゃなかったんだろうとは思うけれど、はっきりとした名前のない関係を私は嫌いではなかった。
 もしも長ったらしい名前をつけてもいいのなら、同じファッションビルに働く中でいちばん仲の良い異性。じゃないだろうか。俗に言う、友達以上恋人未満とはちょっと違う。だって、友達かと言われればきっと違うような気がするから。

「今日早番だっけ。予定なかったら付き合ってほしいとこあるんだけど」
「? いいですよ、なにもないし」
「いやさあ。大通り抜けたところにこないだカフェ出来たらしいんだけど。偵察行ってこいって店長に言われたんだわ」

 花巻さんと私の、名前のない関係に名前をつけるのは野暮なように思えてえくる。あっさりとオッケーを出した私に対し、じゃあいつもんとこ集合な、と唇の端を上げて言った花巻さんはひらひらと手を振って、お店とは反対の方向へと歩き出した。ゆったりと、軽やかに。





 名前のない関係の私たちは、何もなかったかのように隣を歩く。手を繋いだのはあの一度きり。恋人繋ぎでもなんでもない子供みたいなものだったけど、後からじわじわと込み上げる安らぎのようなものは私の気持ちを確かなものにしたような気がする。

「とうちゃーく」
「わ、おしゃれですね」

 どっちもおしゃれだけど、花巻さんの働くカフェとは違う感じだ。内装には白色と無垢材を中心に使われていて居心地が良さそうな感じな気がする。
 案内された席に座ると、メニューを眺める花巻さんの表情はそれなりに真剣で、被っているメニューを見つけてはふんふんと首をかしげながらいろいろと頭の中で考えているらしい。

「俺、ショートケーキとコーヒーにしようかな。みょうじさんはどーする?好きなものをお食べ」
「あはは、なんだかご馳走したげるよ〜みたいな言い方にも聞こえますね」
「だってご馳走したげるし。付き合ってもらってるお礼ね」
「いいんですか?」
「うん」
「ありがとうございます。 じゃあ……フルーツタルトと紅茶でもいいですか?」
「おっけー」

 通りすぎようとしていた店員さんに注文をした花巻さんは、腕時計を見てから時折店内を眺める。
 私の思い違いかもしれないけど、ショートケーキを頼んだのは何かの策があってのことかもしれない。だから私もフルーツタルトを頼んだのだ。花巻さんのお店で食べたことがあるのはフルーツタルトだけだったから。

「花巻さんってスイーツ好きなんですか?」
「うん。俺の一番好きなもんは店にないけど」
「何が好きなんですか?」
「シュークリーム。 可愛いでしょ」

 目をぱちぱちさせる私を見ながら、花巻さんはテーブルに頬杖を付き笑う。シュークリーム、うん、確かに可愛い。

『お待たせ致しました』

 ケーキセットを2つ、テーブルに置いた店員さんはにこやかに笑って奥へと戻っていく。しばらく断面を眺めてフォークを持った花巻さんはケーキをひと口食べて呟いた。うん、うまい。これは多分素直な反応な気がする。

「みょうじさんのフルーツタルト見せて」
「はい」
「……うちよりもフルーツのカットサイズが小さいな」
「ひと口が小さめな女性は嬉しいですよねきっと」
「あーそういう狙いか……あ、ごめん。食って食って」
「いただきます」

 フォークをさすとぱりぱりと音が鳴り、口に運ぶ。花巻さんのカフェよりも固いけれど薄くて食べやすいコーティングの飴がいい感じだ。

「ん……飴がぱりぱりしてて美味しいです」
「俺もひと口もらっていい?」
「はい」

 ケーキのお皿を少しスライドさせると、花巻さんが控えめにひと口を取って口に運び、店によって全然違うな、と呟く。

「みょうじさんはどっちのフルーツタルトが好み?」

 スライドし返されたケーキにフォークをさして、2口、3口と食べ進める間、飴のぱりぱりとした食感はいい食感を生んでいる。

「正直に言っていいよ」
「……私は花巻さんのお店のフルーツタルトの方が好きです」

 温かい紅茶を口にして、少しだけ花巻さんに近付く。

「確かにここのは女性には食べやすいですよ。飴の食感も面白いし。 でも私はフルーツの果汁がジュワって感じられる方が好きです。飴が柔らかいのもそれにマッチしてて美味しかったですし、その代わりに花巻さんのところのタルト生地の方がザクザク感があって食感も飽きさせないので食感も負けてないと思います。それに、フルーツタルトって言うくらいですからね。フルーツが主役じゃないと」

 好みの問題ではあるのだけど、それでも私の熱弁は止まらなかった。ひとつひとつを口にしていくうちに、花巻さんが笑いだして、声を堪えていたけれど。
 ショートケーキをひと口、フォークに大きめにとった花巻さんはもうすぐで話の終わる私の口の前に持ってきて。

「はい、あーん」

 じわじわと近付くフォークに慌てて口を開けば、花巻さんはけらけらと笑って私を視界に納める。

「やっぱみょうじさんと来て正解だったわ」

 口の中に広がったホイップクリームがスポンジと一緒にとろけていく。名前のない関係の花巻さんと私は、動きそうで動かない。きっと、すごく心地が良すぎて。