未完成な恋のまま
閉店間近を知らせるメロディが鳴り、店内を整理する。他のお店にはお客様がいたりいなかったりしているけれど、うちの店は雑貨屋なので長居する人は多くない。仕舞い間違えたボールペンを移動し、試し書きのロール紙を綺麗にカットする。入ってきたばかりのフランネル生地のペンケースを綺麗に並べて、ガラスケース内の鍵がかかっているかをチェックする。
時計の長針がてっぺんをさすと、ゆるやかにフロアのライトが薄暗くなっていく。うちのお店は基本的に早番と中番と遅番一人づつの体制でやっているのだけど、言わずともわかるように中番が一番楽。
商品を綺麗に整理した棚に布をかけ、レジ締めを始めると、ひゅっと私の喉が鳴った。
「……うそだぁ」
レジ金を数えて入力していくうち、みるみる自分の顔が青ざめていく。おかしい。足りない、2千円も。レジ金トレイを外して奥を見ても、床を探しても。 2千円は過去最大……50円とか、そういうレベルじゃない。全くお札が2枚落ちている気配はない。
とりあえず店長に連絡入れるしかないか……今日彼氏さんとデートって言ってたのに。邪魔、したくないなぁ。スマホを手にしばらく持っていた私は、中々発信ボタンを押せずにいて、頭を抱えて固まった。……やっぱり、もう一回だけ探してみよう。
「みょうじさん、何落としたの」
通路から聞こえた声に視線を送ると、上着を着てリュックを背負った花巻さんが吊り下げたネットをめくって可笑しそうな顔を覗かせていた。
「……花巻さん、もう終わったんですか?」
床に手をつきながらカウンターの下を覗くことを見られたのはどう堪えようと恥ずかしいけれど、体を起こしてへにゃっと座った私を見て、お邪魔しまーす、とネットの中に入ってきた花巻さんが私の前にしゃがむ。地面を伝って、視線を伝って。花巻さんの存在があることが私の頭に認識されると、じーんと安心してしまう。まだ安心していい訳ないのに。
「さては、ハプニング?」
「……そうなんです。2千円合わなくて。探してるんですけど……全然見つからなくて」
「ありゃ。2千円は地味にデカいね」
うーん、と唸りレジ近くにある木のスツールに座った花巻さんを見ながら冷静になってきた私は色んな疑問を抱く。そもそもどうしてここにいるんだろう。従業員通路は花巻さんのお店の方が圧倒的に多いのに。
「締め、早いですね」
「そ。閉店前から落ち着いてたから先に出来ることやっちゃってたんだよ。早いっしょ」
「でも……なんでわざわざ、」
「まーまー、そこはほら。気にしなくていいから」
片足だけが少し短い木のスツールが時折かたかたと音を鳴らして、誰かがいるという安心感を覚える。絶対ないでしょと突っ込まれてもおかくない隙間も全て確認して、項垂れると、花巻さんはほんの少し眉間を寄せて斜め上を見ながら呟く。
「不足の2千円が2千円札な可能性ない?お札の場所足りないからギフト券と一緒にしてて紛れてるとか」
「ギフト券は……もう先に数えてしまって……」
「見てみ、一応」
花巻さんのマイペースなアドバイスを受け、レジの片隅に置いていた鍵つきのバッグを開ける。透明のケースに入れていたギフト券を一枚一枚確認すると、花巻さんの言った通りに2千円札が1枚紛れていた。
ぱっと顔を上げると、花巻さんは足を組んでスマホを片手に持ったままで上目使いするように私と視線を絡め、私の顔を見て把握したようにほんの少しだけ口角を上げた。
「ど?」
「ありました……!」
「店長さんの邪魔しなくて済んだな」
「……なんでそれ知って、」
「ケーキ買ってったの。ウチで。俺が見てもわかるくらいうきうきしてたからお土産すかって聞いたら彼氏にって教えてくれた」
誤差0になるようにレジに数字を打ち込み直す。もう少しで足が底についてしまいそうになるほど沈んでいた気持ちが嘘みたいなスピードでのぼって、花巻さんの雑談に笑えるくらいになっていた。
「とゆーわけで、ちゃちゃっと片付けて帰ろーぜ」
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ごみを捨てて警備員さんに挨拶をして、改札までの道を歩く。ほんの数分、5分もかからない道のりに不満を覚える中、車のライトが光り、街灯が白っぽく道を照らす。
どうして私の様子を見に来てくれたんですか。そうもう1度聞きたかったけれど、それは改まるようで口にすることはできない。
「花巻さん、今度お礼させてください」
「いいよ。あれくらい」
「だめです。お礼しないと私の気が済まないので」
そーね、と考えながら歩く花巻さんの足取りは少しゆっくりになって、そのペースに合わせて歩く。あとはエスカレーターを上がって、改札を通って電車に乗るだけなのに、いつもは早く乗ろうと早足なのに、今日は違う。
「みょうじさん明日仕事?」
「ううん、休みです」
「予定は?」
「強いて言うなら、洗濯くらいかな」
「じゃあさ、明日デートしない?スタボの新作ドリンク、奢ってよ」
ゆっくりした歩みがぴたりと止まると私を先にエスカレーターに乗せた花巻さんはすぐ後ろの段にのぼる。この感じ、階段を一緒にのぼった以来かもしれない。いつもは身長差で遠くにある花巻さんの顔が近くて、セットの崩れた髪に目がいって、目が合って、笑う。
「ちょうど私も飲みたかったんです、新作の」
「じゃあ14時に、どこにする?俺がそっち行こっか」
「それじゃお礼にならないじゃないですか。でもこの駅はちょっと、」
「俺の最寄り、スタボあるよ」
「じゃあ花巻さん家の最寄りに行きますね」
エスカレーターが花巻さんと私を運んで、明かりの多いロータリーへと運んでいく。たかが5分の距離をほんの少しだけゆっくり歩いたら、いいことがあった。すごく、いいこと。
改札を通ると、何もなかったかのように手を振って背中を向けて歩くのに、さっきみたいな気持ちは全然なくなっていた。違うホームへ降りると、スマホが震えた。花巻さんだ。
『後ろ』
たった2文字が、気持ちを赤や青に変える。後ろを振り返り、目が合って、スマホを持ったままの手を振って。スマホに視線を落とした花巻さんを真似すれば、すぐにメッセージが届いた。
『また明日』
振り向いた先にある、ゆるやかな笑顔を見て、思ってしまった。私、花巻さんが好きだ。だから。今日はスキンケアをいつもより頑張って、早く寝て、可愛い服を選んで、いつもより時間をかけてメイクをしよう。