スローワルツ


 誰だって、人生に一度くらいは実らない恋をすることもあるだろう。たとえばそれは幼稚園の先生とか、学校の先生とか。不思議なもので阻むものは年の差や立場の違いばかりだ。

 自分がもっと大人だったら。自分がもっと早く生まれていればよかったのに。なんて思ったりするのだ。まさに、私のように。

「あ、嶋田着いたって。そろそろ来るな」

 スマホをみてそう呟いたコーチの方にばっと首を捻れば、眉をしかめたコーチに聞くでもなく口を開いた。

「じゃあ私、迎えに行って来ますね!」

 別にいいとかなんとか言っているコーチの言葉を聞かずに渡り廊下を歩き、職員室の方へと向かうと、爪先は軽快に前へ前へと進む。
 今日は徹底的にサーブ練習をすると言っていたからジャンフロの練習も兼ねてコーチが呼んだみたいだけど、誰よりも嶋田さんがくるのを楽しみにしていたのは私のはずだ。

 十以上も年の違う嶋田さんに恋をしたのは、バレー部のマネージャーになってからだった。優しくて大人な嶋田さんに抱いた気持ちを最初は憧れみたいなものだと思っていたけれど、日に日に想いは増していって。心の中に潜むものの正体を探れば、絡まった糸をほどくように恋だと思ったのは随分と前のことだった。
 ようやく最高学年になって、インターハイも過ぎた。あとは全力で春高を終えて、卒業をしたら。私が高校生でなくなったら。

「嶋田さんっ」
「あれ、わざわざ迎えに来てくれたの?」
「コーチが嶋田さん着いたって言ってたので」
「もしかして繋心が行けって?」
「あ、えと、そうじゃなくて……とりあえずコーチに言われた訳じゃないです、ね」

 うつむいて、髪を耳にかける。恥ずかしい。やっぱり私はまだまだ子供だ。
 下手な嘘をついたところですぐに本当のことがわかるのなんて目に見えている。正直に口を動かせば、嶋田さんは困ったように笑って私の隣に立ってゆっくり体育館に向かって歩き出した。

「みょうじさんとはあんまり久しぶりな感じしないな」
「そうですか?」
「うん。うちの店よく来てくれるしさ。偉いよな、俺が高校の時は親に頼まれたお使いなんて全然行ってないよ」
「別に偉くなんかないですよ」
「謙遜しなくてもいいのに」

自然に変わった話題に素直に頭を切り替え、思う。本当に全然偉くなんかない。だって嶋田さんに会えたらいいなって、嶋田マートへのお使いばかり引き受けているのだから。
大人は高校生に想いを告げられたら、困るだろう。ネットで年の差のお付き合いについて沢山を検索して、山のようについた知恵の中のひとつに準ずるように喉まで出かけている好きの気持ちを押し込めている。

「ていうかもうみょうじさんたちも高3かー、進路とかはどう?順調?」
「私は大学進学の予定ですね」
「3年くらいあっという間だったでしょ」
「うーん……正直、後半はすっごく長いです。まだ卒業まで何ヵ月もある〜って」

恋をしたのが同級生だったら、大人が言うように青春を謳歌していたら、3年間なんてあっという間だったのかな。今の私は大人になることを待ちわびているから、全然あっという間なんかじゃない。

「そっかー。俺は後半の方が楽しくてあっという間だったなー」

しみじみと思い出すその記憶に、私が居ればよかったのに。無理な想像をすればするほど、自分の首を絞めているようなものだったけれど、考えないようにするのは到底無理だった。
職員室に行くまでに一瞬だった道のりを、今度はなるべく長く、ゆっくり歩きたいと思ってしまう。体育館が見えて、そっとまばたきをすれば、追い越せそうにない背中を横目で見て薄く開いた唇を閉ざした。

『嶋田さんのことが好きです』

心の中で唱えて、また奥に押し込めて。体育館に入ってコーチが嶋田さんと私に気づいてすぐ、さっきまでの大人な表情が一気におどけたのを見て、寂しくなった。やっぱり私は、実らない恋をしているのかもしれない。




「このタオル、嶋田さんのじゃね?」

練習が終わり、体育館で揺れる黒髪を見送ってから数分が経ってからのこと。私にとって聞こえてきたその呟きは、間違いなく私にとって嬉しいものだった。

「嶋田、まだ近くにいっかな」
「私見てきましょうか?」
「悪いな。門まで見て居なかったら俺が今度渡すわ」
「わかりました」

体育館を出て、靴に履き替えて。まっすぐ門に向かう。お店に買い物に行っても、時折り嶋田さんが部活に顔を出しても。二人きりで話せる機会なんて早々なくて。
連絡先ももちろん知らなければ、恋人がいるのかいないのかさえも知らないけれど、私の心の中に宿ったものがわたしにとっては全てだ。

息を切らして門の柱に手をつき、きょろきょろと道を見渡すも、嶋田さんの姿はもうない。一言でも、二言でも。私と嶋田さんしかいない空間で言葉を交わせたかもしれないのに、と肩を落としてゆっくりと振り返ると「みょうじさん?」と気の抜けた声がして、静まり返った心臓が大きく跳ねたような気がした。

「……もう帰ったのかと思いました」
「どうしたの?こんなところで」
「タオル忘れてたので間に合ったら届けようと思って」
「わ、すっかり忘れてた!ごめん。ありがとね」

畳んだタオルを両手で持って渡すと、さっき心の中で唱えたばかりの言葉が頭の中を響いた。喉の上まできている気持ちが、もどかしい。

「ひとつだけ質問してもいいですか?」
「ん?なに?」

喉をごくりと鳴らし、睫毛を伏せた。両手を後ろで組んで肩を開くと、ジャージがシャカシャカと音をたてる。

「嶋田さんは恋人とか、いますか」
「……あー、そっか。うん、それもたしかに質問だよな」

困らせたいわけじゃない。今すぐ好きになってほしいわけじゃない。矛盾した気持ちがちぐはぐになって、いやに振りきったようにまっすぐ嶋田さんを見れば、恥ずかしそうに、困ったように、嶋田さんは人差し指で頬をかいた。

「……いない、ね」
「本当ですか?」
「うん」
「……やっぱり、早く卒業したいなぁ」

ぽつりと呟いたものに反応した嶋田さんは、えっ、と声を漏らした。好きだなんて言えないけれど、このくらいは許されるだろう。

「そんなに早く卒業したいんだ」
「というか、早く大人になりたいです」

うつむいて、髪を耳にかけて、顔をあげた。はっきりと口にするのは、私が大人になるのは、一体いつなんだろう。瞳におさめた嶋田さんはちょっと困っていて、ちょっと笑っていた。全てをわかっているかのように。柔らかな瞳をしていた。

「嶋田さん、」
「なに?」
「大学合格して、ちゃんと卒業もしたら。お祝いにひとつだけお願い聞いてくれませんか?」
「俺?」
「嶋田さんしか叶えられないお願いなんで」
「……わかった。じゃあ卒業したら、改めて聞くよ。それでいいかな」

この恋が実るか実らないのか、それはまだ誰も知らないまま。


キーワード : 嶋田さんにバレー部マネが片想い × 想いに嶋田さんは気付いてる



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