食べ終わったパスタの入っていたシェラカップが並ぶと、必然的に同じ底のマークが並んだ。縁下さんは、特別何も思っていないような気がしたけど、私はもうそれだけで嬉しかった。フランスパンをもっと味わえば良かったとか、海老を少しくらい残しておけばよかったとか、思い浮かぶマイナスなことを取っ払うように縁下さんが微笑む。
掛けっぱなしのブランケットがずり落ちて。深めにかけ直すと、縁下さんがくれた2層構造のカップを持つ。元々ずっと話をしているわけじゃない縁下さんと私だったけれど、いつもよりも会話が減り、ただただぼんやりと上を向く。前回のキャンプ場の方が標高も高かったし、明かりも制限されていたから、遠くの遠くの小さな星までよく見えていた。
「あっ」
「ん?」
「明日の朝御飯、肉まんホットサンドにしようと思ってるんだけど」
「え〜美味しそう。すごい楽しみです」
「でも米食べてないね、今回」
「……ほんとだ。カップラーメンに、パンに、パスタに、肉まん」
「通りで米が恋しくなるわけだ」
「ここ来る途中、道の駅の前通りました?」
「うん。通ったよ」
「お食事処立て看板に、すっごい達筆で、海鮮丼って書いてありましたよ」
「そんなのよく見えたね」
「歩行者の横断待ちにチェックしちゃいました……あ!脇見運転したんじゃないですよ!」
「ちゃんとわかってるって」
明日寄って帰りませんか、とホットワインを飲む縁下さんをストレートに誘えば、またホヤ酢あったりして、なんて楽しむように返ってきて。一緒に行ってくれるってことでいいんですか、なんてまた素直に聞けば、うん、と簡単に誘いに乗ってくれて。頬は冷え、肌は触らなくともなんとなく乾燥している気がして、焚き火とブランケットでしか暖を取っていない。すごく寒くて、1人ならすぐにシュラフに潜り込んでしまいそうなひんやりした空気は、しっかりと熱を持った気持ちをちょうどいいところまで冷ますにはぴったりだった。知り合いから連絡がきたついでにスマホの時間を確認すると、時刻は9時を回っていた。
「もう9時かぁ」
「じゃあこれが燃え尽きたら終わりかな」
「うん。そうですね」
きちんと薪が燃え尽きるよう、折れて小さくなった炭をきれいに整頓し、満遍なく火が回るようにした。そこから火が燃え尽きるまで30分、また縁下さんと私はなんでもない話をする。お互いの知らない部分を探るようなものとは違う、今この瞬間を満喫するような、なんでもない話を。
▽ △ ▽ △
スキレットにクッカーにシェラカップに、2層構造のカップが2つ。あとはフォークが2本。1人で行けないこともないけれど、大物がたくさんあったし、管理棟で説明された消灯まであと30分。1人で行こうとする縁下さんに着いていくとゆったりと優しい雰囲気のまま、貴重品持った?と確認をされ、私は大きく頷いた。もちろんライトを忘れずに持って。
「実はちょっと憧れてたんです」
目と鼻の先にある炊事場の扉を開け、洗い物を持った縁下さんが入った後に私が炊事場に入ると扉を閉める。よく管理されているのがわかるピカピカのシンクに全てを置いた縁下さんがようやくこっちを向き、誰もいない炊事場で不思議そうに私が何を言うのか待っている。自然と縁下さんが洗いをして、私が拭き上げる係になり、畳んだふきんを右手、左手、と無意味に持つ方を変えて遊んでいると、しびれを切らした縁下さんが言った。それで、何に憧れてたの?って。
「時々、炊事場で遭遇しません?仲の良いご夫婦とかカップルが2人で洗い物して、なんでもない話してるの」
「うん、あるある」
「なんでもないように見えるけど、普段から仲良いんだろうなって思うんです。そういう人たち」
何かをするとき、口に出す訳でもなく自然に一緒にやれる。それってあまりに自然で気づかないけど、きっとすごく幸せな『当たり前』なんじゃないかなって思うんだ。
「……わかる」
「今もしかして、そんな感じじゃないかなって、思ったんです。きっとまだまだ、レベルの高い仲良しご夫婦やカップルはいっぱいいるのはわかってますけどね」
すすぎ終わったものを受け取って拭きながら、くだらないと笑われてもおかしくないようなことを言う。縁下さんがくだらないと言わないのをわかっているからこそ、自分が言われたらなんと返せば良いのかわからないことを言う。
たわしでスキレットの油汚れを落とす縁下さんを見て待っていると、タイムリーに仲良しなカップルがやってきて、楽しそうに話をしながら先程のそれを再現した。正確に言えば再現したと思っているのは私と縁下さんだけなのだけど。目を見合わせて笑えば、仲良しなカップルはお互いを名前で呼び合い、他愛のない話をしている。名前……名前かぁ。
炊事場を出てテントに戻ると、ケースにスキレットなどを仕舞う縁下さんを見て、思った。縁下さんって彼女を呼び捨てにする派なんだろうか、それともちゃん付け……しそうでもある。車の乗入れできないキャンプ場のため、大切なものをテントの中へしまい、テーブルや安物の椅子は出しっぱなしのままにすることにした。顔を洗ったり、スキンケアをしたり。それぞれの支度を終えて消灯まであと数分。やっぱりどうしても気になってそれを口にする。
「呼び方のことなんですけど」
「あはは、呼び方かぁ」
「なんで笑うんですか〜」
「……ずっとなに考えてるのかなって思ってたけど、それか〜って思って」
「私、力さんって呼んでも良いですか?」
「うん、いいよ」
「やったぁ」
「遅かれ早かれ、いつかは名前で呼ぶようになるからね」
「うん……たしかに」
「でしょ。もう寝よっか、消灯だし」
「ですね、おやすみなさい」
「おやすみ」
今日はすぐ寝れるような気もするし、目すらなかなか閉じられないような気がする。だって、色んなことがあったから。
それにしても縁下さんは私を何と呼ぶのか、それは今日はわからないみたいだ。まぁ私もまだ呼べていないし、贅沢なことは言えない。自分のテントに爪先を向けると、後ろから控えめに聞こえたそれに私はすぐに反応した。
「……なまえ、かぁ」
すぐに振り向いたのに、縁下さんは背中を向けていて、テントの入り口のチャックを開けようとしてるところで。それでも絶えずに縁下さんを見ていたら、空いている腕を口元に持って行った仕草を見て思った。今の、空耳じゃない、って。