釣り堀
 魚の影がたくさん。少し濁った釣り堀はさほど大きくないけれど、ファミリーやカップル、ソロらしきお兄さんも木の釣竿から浮きを垂らして気を張っている。

「エサはこういう風にぎゅうっと固める感じでつけてください」
「わかりました」
「あと魚の処理はこっちでやりますから釣れたら声かけてくださいね。焼くのも最低50分くらいかかるんでそこの炭火で焼いてくれれば様子も見ますから」

 あまり人がいないポイントにバケツなどをセットすると、エサをつける力さんが私に訪ねる。こういうのやったことある?と。

「多分ないと思う、初めて」
「なまえ先にやる?」
「……力さんお先にどうぞ」

 この聞き方はやったことのある聞き方だな、なんて思いながら可笑しそうに目を細めながら釣り堀に向かって竿を振った力さんを見れば、いつ引きがあってもおかしくない糸の先を見つめ、浮きの動きを見極めている。

 どこからか。あ!釣れた!と喜ぶ声に顔を上げると、近くの親子が嬉々する姿を見て思わず少年が可愛くて笑ってしまう。

「……食った!」
「え!うそ!?私なにすればいい?えっと」
「あはは。とりあえず落ち着いて」

 声を出して笑う力さんはぴちぴちと動く魚をバケツに入れ、針を外しているのだけど、あまりの落ち着きっぷりに手元と横顔に見とれたのは仕方のないことだった。頼れる要素もあるのだけど、ちらちらと垣間見える少年のような笑顔がまた格別に良い。

 なんとかもう一匹魚を釣ってすぐ、ぽつぽつと音がし始めた。水面にいくつもの水紋ができ、それは力さんと私のキャンプで初めての雨だった。

「……雨」
「ほんとだ、出しっぱなしのギアあったよね」
「そうだった!私も行く!」
「俺がささっと行ってくるよ。なまえは魚串打ちしてもらって焼いててくれる?」

 ……本当に、気がまわる人だなぁ、力さん。それでいて引け目を感じさせない空気が本当にすごいと思う。
 魚から釣り針を外した力さんがささっと水道で手を洗い、颯爽と消えていった背中を眺める。楽しそうにさえずっていた何かの鳥は息を潜め、しとしとと軽い雨の音がしていた。そういえば私の椅子も出しっぱなしだったかもしれないけれど、力さんはすぐに戻ってくるだろうか。

「すみません。串うちお願いします」
「はいはい」

 釣り堀の受付のおじさんに声をかければ、ここで焼いていきますか?と慣れたように聞かれ、そうします、と頷いた。水の音がして、ゆっくりと瞬きをすると、早速串うちをしてくれているおじさんに声を掛けた。

「雨、降ってきちゃいましたね」
「すぐ止むと思いますよ。山の天気は変わりやすいから」

 わかってはいても、キャンプを始めてから初の雨。このまま止まなかったら焚き火はできるんだろうかとか色んなことを思ったけれど、囲炉裏のようなものが中心にある魚焼きスペースに腰を下ろしてふと嬉々として思い出したことは今日は力さんと同じテントで寝れるということだ。

 目の前で歓談しながら魚が焼けるのを待つカップルかご夫婦か、ぼんやりと眺めてみればなんだか微笑ましくて、力さんと私も傍目では微笑ましく思われているんだろうかと思った。
 刺した串をくるっと回転させると頬杖をつき、早く戻ってこないかな、なんて思う。そんなに強い雨ではないけれど、こんな風に思うのは雨が降ると少しだけ寂しい気持ちになるせいだろう。

「なまえ」

 落ち着いた声、穏やかな瞳。ふとその声のもとを辿れば、傘を差した力さんがいる。炭が赤く、灰色を増やし、魚の表面についた塩が茶色く色づいてくるにはまだ時間はかかりそうだったけれど、傘を閉じて私の隣に座った力さんはすごく楽しそうな表情で魚を見てから私へと視線を移動させた。

「焼くの1時間くらいかかるんだっけ」
「うん。50分くらいかかるって」
「……待てが長いなぁ」
「わかる。私も20分くらいで焼けるものだと思ってたもん」

 独り暮らしで滅多に使うことのない魚焼きグリルで焼けば、たしかそのくらいで焼けるはずだ。お礼を言うタイミングがなくなって、ひとりで行かせちゃってごめんね、なんて謝ればあまり表情を変えずに私に向いていた視線は魚に移動した。

「なんか。なまえが気使ってるんですけど」
「……らしくないって思ってる?」
「ちょっとだけ」

 しばらくしたら止みそうな雨が降っているのに、さっきとは打ってかわって私の身体中、どこを探しても寂しさなんて存在しなかった。美味しそうに皮目が膨らみ、まぶされた塩が茶色く焼けて、なんなら尻尾はもう焦げていたけれどそんなのご愛嬌。焼き場を出る頃には雨は止みかけ、虹がかかろうとしていた。

 どこかの食べ歩きのように串に刺さった焼き魚を片手に持ち、のんびりと歩くのは堪らないほど幸せで。買った薪が湿気ってないかなんてキャンパーらしい心配をしながらいつもよりも大きなテントに向かう足取りはとっても軽かった。