鉄板ステーキ
 焚き火の火がゆらゆらと揺れる。オレンジと赤と黄色が見る瞬間ごとに場所を変えて、顔はちょっとだけ乾燥するような、肌が少しつっぱるような感じがする。魚を2匹釣ったはいいが、1人1匹食べたものだからしっかりお腹はみたされてしまって、暫しののんびりタイムを送っている。
 ぱたん、と音がした隣を見ると力さんが読んでいたキャンプ雑誌をそっと閉じて重い腰を上げるように立ち上がった。

「よし。肉焼こう、肉」
「そうだね。せっかく買ったステーキ肉だもんね」
「なまえ、ちゃんと鉄板持ってきた?」
「持ってきた〜」

 そう。本来予定していたメインディッシュはステーキなのだ。
 重い腰を上げて力さんの車に入っているボックスから小さな鉄板を出して焚き火台の上にセットするとワクワク感がどんどん押し寄せてくる。確か、ばったり力さんとスーパーで会ったころに買って、なかなかタイミングなく油を塗って育てていた我が子がついに役立つときがきたと思えば尚更のことだった。

「クーラーボックスにステーキソースもあるよ。調味料ケースの中の小分けの入れ物」
「……これ?」

 クーラーボックスからお肉を出す力さんについでにお願いと言わんばかりに声をかけながら近づき、膝に手を当てて身を屈めれば、調味料ケースからステーキソースを出して振り返った力さんと目がばっちり合って笑う。そう、と一言返して力さんの隣にしゃがみ、突然思う。好きだなぁって。落ち着くなぁって。

「……ん?」
「今、幸せだなぁって思ってました」

 表情を作るでもなく膝の上に組んだ腕で口元を隠せば、いつもよりも少しだけ目を見開いた力さんが、いつもよりも少しだけ目を細めて私を見ている。

「その気持ち、よくわかるよ」

 これ以上の安心を私は知らない。1ミリも不安になんてならない。ステーキソースを私に手渡してクーラーボックスを閉じた力さんは、ついでにカゴからワインを出して椅子に戻り、手招きするように優しい視線を送ってくれる。しつこくなりそうで言えないけれど、その瞳も好きだなぁなんてこっそりと思った。

 焚き火台の網の上に乗せた鉄板が煙を出し、油をひく。塩コショウをしたステーキ肉を鉄板に乗せるとじゅうじゅうと音がして、否が応でもお腹をすかせる香りが漂った。さっきまでお腹すいてないなぁなんて正直思っていたのに、ぱちぱちと薪が音を鳴らしていいお肉を焼き出せばそんな気持ちはどっかへ行く。どうやらスイーツでなくても別腹は開くらしい。

「うまそー……」

 隣でそう呟いた力さんの声に思わず笑えば、私の笑い声にこちらを向いた力さんがつられるように笑った。トングをカチカチと鳴らしてから意気揚々とお肉をひっくり返す力さんの動画を撮ったり、ステーキソースが焦げる音を楽しんだり。
 いい感じにミディアムレアに焼けたお肉があまりに美味しくて、ワインが進んだけれど、ふわふわとした気分が酔っぱらっているのか心地よさのせいなのかは私にはわからなかった。



 灯油のストーブをつける姿をじーっと見る。力さんと私の今の姿を傍目で見たら、いつだか映画でみたことのあるシーンに似ているような気がする。映画のタイトルは忘れてしまった。なんだったかな。

 一泊だし、冷えてしまいそうだったからシャワーは控えたのだけど、代わりに髪の毛は焚き火のにおいがする。本来なら恋人の前でそんなの嫌なのだけど、お互い一緒だと思えばなんともない。明日は帰りに温泉に寄ろうと約束もしているし、そのあと力さんのおうちに行くし、まだまだわくわくする気持ちは耐えそうもなかった。

 シュラフの上に座った力さんは、また笑う。テントの中は少しづつ暖まって、身を寄せる必要はないのだけど隣にぴったりと座ってフードをかぶり少し高い肩に頭を預けると、不思議そうな表情の力さんが私を見ていた。

「なんでフード被ったの?」
「だって私の頭くさいもん。でも寄りかかりたかったから」

 スリスリとフードを擦らせるように頭を動かすと、そんなの別にいいのに、なんて言いながら力さんもパーカーのフードを被って私の頭に寄りかかる。

「あー……落ち着く」

 ゆったりとした口調で話をする力さんは今にも寝てしまいそうな声で、体勢を変えずに目で見上げれば、微かに視線が交わって、とくとくと心臓は静かに音を立てていた。

「ストーブ買って正解だった」
「しかも一緒のテントで寝れるもんね」

 力さんが喋る度、頭の上で小さな振動が起きる。声帯を震わせ、声を出しているのがわかる。

「そうだね。俺も、一緒の方が安心して眠れるよ。なまえひとりでテントで寝かせて何かあったら危ないし」
「心配ないと思うけどなぁ」
「女の子だから心配してるのもあるけど。特に可愛いからね。俺の彼女は」

 あたたかな視線につられて、贈られたような言葉が頭の中にこだまして。少しの沈黙の後、おでこにキスが落ちた。甘く優しく、空気は温い。
 それから数秒間、ちょっとだけ期待したのに唇にはやってこなかったキスを惜しんでいると、ムッとしていたらしい私の表情に力さんは気付いたようで。

「そんな顔しなくても」

 外のような中のようなテントに隠れ、静かに重なった唇は甘くはなかったけれど、ひどく優しかった。