標高が千メートルを越えると、気温もぐんと下がる。窓を開けて手で外気に触れるとひんやりとした風が指先を冷やした。前回よりも分厚い上着を持ってきて正解だった。
チェックインを済ませてフリーサイトへ向かうと、開けた芝生の上にはアーリーチェックインの人が多いのか、絶好のポイントはそこそこ埋まっていた。縁下さんの車を見つけて徐行で近づくと、特に何も考えず隣に車を止める。
ギアをパーキングにいれて、テントの向こうから出てきた縁下さんと目が合うと、ふわりと笑った縁下さんの表情につられるように私も笑って、車から降りる。
「こんにちは。今日は俺の方が早かったね」
「縁下さん!こんにちは〜……ん?あれ?」
ついさっき、いや今?ふと自然に起こした自分の行動が疑問にじわじわ変わっていって、目をぱちぱちさせた縁下さんが私の顔を見て笑った。
「みょうじさん?どうした?」
「……私」
「うん」
「めちゃくちゃナチュラルにここに設営しようとしてるけど、いいのかな?」
「…だめなの?」
「だって、ソロキャンじゃなくなっちゃいません?」
「……」
「……」
「あはは!」
「すごい笑われてる!」
「ごめんごめん……そういえばこの間ね、」
声を出して笑った縁下さんが、おもむろにスマホを操作しだす。指を下へスクロールさせながら、どこだっけなぁ、と言ってスマホを見ている。近づいて覗き込むと、次のブームはソログルキャンプ!という記事が表示されていた。グループみたいにずっと一緒に居るわけでもなく、喋りたいときに喋って、テントも勿論別で。ソロキャン仲間で近くに設営してあとは気ままに過ごすことをソログルキャンと言うらしい。
「へぇー!ソログルキャンプ?はじめて聞きました!」
「でしょ。俺も。んー……だからさ。いいんじゃないかな、難しく考えなくても。いい場所もあんま空いてないし」
辺りを見回すと、確かにいい場所はない。それにさらに考えれば誘っといて遠くに設営するのもなんだか変な話なような気がする。色々うだうだ考えてみたけど、私の悩みなんて山の綺麗な空気には勝てっこない。そう思った頃には素直に縁下さんの言葉にすっかり納得している私がいて、広げたグランドシートに荷物を下ろし始めた。
見晴らしのいい景色と、穏やかに流れる雲と、見事な紅葉。最高としか言いようがない。最高以上に最高の表現があったら教えて欲しいくらいだ。
このキャンプ場は無料の温泉があって、今回はそれも楽しみだったりする。秋も深まる時期のキャンプで温泉に入るのは初めて。
テントを張り始めると、広げた椅子に座って休憩を始めようとした縁下さんと目が合う。なんだろう。この感じ、すごく良い。
私がサクサクと設営を進めるのを横目に、縁下さんはコーヒーをドリップしはじめる。良い匂い。サービスエリアにある愉快な音楽の流れる自販機……いやあんなの比じゃない。コーヒーショップの前を通った時みたいな気分だ。挽きたての豆の香ばしい香りがそよそよと風に乗って絶えずやってくる。私も終わったら絶対コーヒー飲もう。
最後にフライシートをかぶせて固定すると早速椅子を出した。私はインスタント。縁下さんのドリップには負けるけど……!
鼻に残る香りのせいでうっかり縁下さんに嫉妬しかけて隣を見ると、湯気のたつカップを持ってのんびりとする雰囲気の縁下さんがぼーっと景色を眺めていた。……絵になるなぁ。この感じ。両手でフレームを作り、覗き込む。ほら、やっぱり。ひとりでそれをこっそり楽んで、ようやくお湯を沸かし始める。
青みの強いバーナーの火を背もたれに寄り掛かってぼんやり見ていると、焚き火が恋しくなる。オレンジの光を無心で眺めるのは私にとって1番の楽しみだから。
ボコボコと音が聞こえると、カップにインスタントコーヒーを淹れて待つ。お湯の沸騰具合を今か今かと様子を見ながら。
▽ △ ▽ △
究極の選択に悩まされる。温泉が先か、焚き火が先か。悩んで悩んで悩んだ結果、先に温泉に入って焚き火の匂いがついたまま寝ることに決めた。
焚き火で暖まって、お酒も飲んで。眠くなったらすぐにテントに入って眠る。考えるだけで幸せなことを今からするのだから、楽しみで仕方がない。多めに持ってきたタオルとお風呂セットを袋に入れてテントを出る。管理棟への道を歩いていると、向かいから首にタオルをかけた縁下さんがやってきて、目を細めた。
「みょうじさん、これから温泉?」
「です!」
「いってらっしゃい。ごゆっくり」
「いってきまーす」
取り留めのない会話を交わしたら、穏やかな空気を連れて温泉へと向かう。見たはずのマップの記憶が曖昧で大きな管理棟のまわりをぐるりと半周して見つけた温泉の建物に入る。靴箱を見る限り今は穴場の時間帯らしい。貴重品ロッカーに車の鍵や財布を入れて鍵を締めると、篭に袋ごと着替えを突っ込んでぱぱっと服を脱ぐ。
先客は2、3人といったところ。持ってきた小分けボトルのシャンプーで髪を洗い、備え付けのボディソープで体を洗って、お待ちかねの湯船へ。手をいれて温度を確認したら、ちょっと熱いけれど温まるには最適な温度だ。湯船に浸かって不意に天井を見ると、吹き抜けのようについた窓から外の光が入る。夜は星が見えるのかな。だとしたら、それを狙ってくるのも最高かもしれない。
これからテントに戻ったら、縁下さんに聞いてみよう。前回は天井の窓から星が見えたのか。あと、ご飯を炊くのも見せてもらいたいな。そうだ、持ってきたワインをホットワインにしてこの間のお返しもしよう。
んー、なんだろ。なんか。
ぼんやりとこの後のことを考れば考えるほど、縁下さんとやりたいことばっかり浮かぶの。なんでだろ。