お米を研いで、水を切る。水冷たい……!温泉で温まったはずの手の関節が悲鳴をあげている。縁下さんのテントへ向かうと、お米を研いだ右手を悴ませながら左手に持ったボウルを縁下さんに渡した。
「ありがとう」
「さむ〜〜」
「だからいいって言ったのに」
「……こんなに水冷たいとか、もう冬かと思いました」
「標高高いからね。冬みたいなもんだよ」
わかりきったように笑う縁下さんにむっとして、気づかれないように縁下さんの首の後ろに冷えた指先をぴとっと当てた。一瞬びくっとして振り返った縁下さんは、自分の手で私が冷やした部分を触りながら楽しそうに眉を下げる。
「つめたー」
「あはは!」
「覚えてろよ〜」
珍しく幼い表情でどこかで聞いた幼い捨てセリフを言われた。後から仕返し来るなんて1ミリも想像していない私は、ダウンのポケットに手を突っ込んだままお腹を抱えて声を抑えぎみに笑う。
「みょうじさーん?準備するよ」
「あ、噂のクッカー!」
「上手くできるかなぁ、失敗したらごめん」
「全然全然。ご飯は焦げても固くても柔らかくてもカレーかけちゃえば美味しいです!」
「あはは。いいね、そのセリフ」
お喋りをしながらクッカーに縁下さんが水を入れていく。2合だから2カップ。浸水してる間に薪割りを始めた縁下さんは作ったフェザースティックを何本か地面に置いた。
「なにそれ!私もやりたい!」
「いいけど、気をつけてね、ナイフ。慎重にね」
「……なんか子供扱いされてません?」
「子供とは思ってないけどね、心配はしてる。ものすごく」
危なっかしく見えるのかな。もしかしたら。私だって薪割りくらいしたことあるんだけどなぁ。
縁下さんの心配をよそに初挑戦の1本フェザースティックを作ると、買ったばかりらしい火打ち火の音が響く。前にテレビで見たことある。
テレビの記憶通り、そう簡単につくものじゃないようで、縁下さんは途中で着ていたダウンを脱いでおでこに汗をじんわりかきながらやっとついた火を消えないように枯れ葉やフェザースティックを入れていく。火吹き棒を私に預け、満足げな表情で手を洗いに行くらしい縁下さんの背中をなんだか感動して見ていたら、すぐに気づかれた。
「火、よろしくね。消えないように」
「そうだった!」
「すぐ戻ってくるから」
縁下さんの努力を無駄にしないようにしなきゃ。火を見守り、薪を足し、時々風向きによって煙攻撃にあう。人の火なだけにものすごく必死だ。目に入った煙にジタバタしていると、さっき聞いたばかりの笑い声と共に足音が聞こえてくる。
「煙?」
「うう、やられました〜」
「大丈夫?」
目をパチパチして、眉をしかめて手をどけたけど、自分じゃ見えないがきっとひどい顔だと思う。目が合った縁下さんがどんな顔をしたのかはよく見えなかった。クーラーボックスからビールを取り出し、自分の椅子に座ってプルタブを開け、私の手から火吹き棒をするりと取った縁下さんに思わず声をかける。
「あ!待って!私もビール持ってきます!」
「折角だし飲まなくちゃもったいないよなぁ」
「飲みましょ」
歩くこと数歩。自分のクーラーボックスからビールを出して、缶詰のカレー2つと乾燥ほたても常温ものをいれている袋から取り出す。一気に持っていこうかと思ったものの、さすがにわんぱく感が過ぎる。2回に分けて持っていくと、縁下さんがずっと可笑しそうに私を見ている。もしかしたら最初一気に持っていこうとしたのを見られてたのかもしれない。
私を待つ間の縁下さんは、バーナーにクッカーを乗せてご飯を炊き始めていた。とりあえず椅子に座り、ビールのプルタブを開けて、薄暗くなり始めた空の下で乾杯をする。気付いたらお互い水分を取ったのは久しぶりで、ごくごくと流し込むようにビールを飲んだ。仕事じゃないけど、遊びなんだけど、でも働いたあとのビールは間違いなく美味しい。しかもこのロケーション。格別だ。
「みょうじさん、気になったこと聞いていい?」
「ん?なんですか?」
「なんでカレー2つ買ったの?」
「両方美味しそうで、つい……あ、でもひとつは縁下さんにプレゼントですよ。すごい迷って決められないけど両方は食べられないし、だから色々今までのお礼も込めてひとつ先に選んでもらおうと思って」
「……まさか同じことしてるとは」
「え!」
「実は俺も買ったんだ、みょうじさんの分」
ふと自惚れるように思った。縁下さんも、私とのキャンプを楽しみにしてくれてたんじゃないかなって。そうだったら、すごく嬉しいなって。
結局お互いに1つづつカレーを交換して、もらったカレーをお土産にすることにした。私の持ってきた乾燥ほたてが半分ほどなくなるころ、ビールは2本目に突入していて、ご飯が炊けるまであと少しになっていた。
「理学療法士さんって土日休みなんですか?」
「うん、俺のとこはね。職場によって色々あるんだけど」
「そうなんだ。この間、金曜日。縁下さんにスーパーで会ったとき、お疲れの様子でしたもんね」
「あはは、わかっちゃったかー」
「わかりますよ!」
「正直疲れるけどね。でもやりがいはあるよ」
きっと縁下さんは人のために何かをすることで、優越感に浸ったりするタイプではないんだと思う。誰かのためになりたい、その気持ちこそがやりがいを生むような気がする。私には到底追い付けないな、縁下さんの優しさのレベルには。
スマホのアラームが鳴り、お米の蒸らしが終わった。椅子から二人揃って立ち上がり、クッカーを覗き込む。わくわく。わくわく。すでに片手にしゃもじを持った縁下さんが蓋を開けると、湯気がもわっと上がる。
「……うわー!おいしそー!」
「うん……ちょっと芯残ってるとこあるけど」
「私も食べたいです!」
しゃもじから一口分ほど手に乗せて味見をした縁下さんに自分の手のひらを出し、ご飯が乗るのを待つ。ちょこっと乗せてくれたご飯が熱いのなんの。すぐに口に放り込みよく噛むと甘みがじわじわ広がる。
「うまぁ」
「よし!カレー食べよっか」
「わーい!」
「そこのお皿取ってくれる?」
「はいっ」
炊きたてつやつやのごはんと、缶詰のカレー。2合じゃ足りなかったかな、と呟いた縁下さんに同意しっぱなしで次々とスプーンを口へ運ぶ。
さっきまでのお喋り中のほんわかした雰囲気など忘れ、今はカレーにお互い夢中である。そして、私の人生最高のカレーが、給食のカレーからキャンプカレーに塗り変わった瞬間だった。