口いっぱいに頬張る時。噛んでお米がほどけていく時。飲み込んだ後の幸福感。人を笑顔にする三角形の食べ物。そう言われて一番に出てくるのは間違いなくおにぎりだ。

 炊き上がったご飯をかき混ぜながら、蒸気で顔が火照る。じんわり汗をかくのはもう慣れた。なんなら保湿になるんじゃないかと思う余裕もある。

「なまえ、米いける?」
「はい」

 カウンターの中。あっつあつのご飯をおにぎりにするのは治さんの役目。大きめの型で大まかな形を作り、仕上げに大きな手で優しいカーブの三角形を作る。仕込みケースに入った鮭は、店内で焼いて大きめにほぐしたものだ。私は海苔を巻き、ケースにどんどんしまっていく。これがお昼時にはすぐ空っぽになる。

 今日は休日ということもあって、通行人もファミリーが多い。開店早々、ガラガラと戸が開き、抱っこひもで抱えられた小さな子とお母さんが入ってきた。この親子は、常連さんだ。今日は久しぶりにお兄ちゃんもいる。今日初めてのお客様ということもあり、治さんは通常スマイルよりもフレンドリーな笑顔を向けた。

「いらっしゃい。お兄ちゃんに会うの久しぶりやな」
「こんにちは」
「こんにちは。いつもおおきに」
「俺もう小学生やからな。学校ある日は来られへんし。お母さんがここのおにぎり買っておいてくれるけど、出来立て食べたかってん。連れてきて言うて来たで!」
「やめてや恥ずかしい。あんた喋りすぎや」
「お母さんだって家ではよう喋るで」

 赤面状態のお母さんも、まさか行きつけのお店で家での話を息子にばらされるなんて思っていなかっただろう。下の子はお兄ちゃんの一言を聞いて理解しているのかしていないのか、けらけら笑っている。一発チョップをかまし向き直った親子に治さんがゆったりと声をかけた。

「ほんなら今日は店内で召し上がりますか?」
「はい。お願いします」
「俺もう決まってんねん。さけ!あとたらこ!」

 この親子しかいないというのに、いつもよりも店内が賑やかだ。すみません、うるさくて。そう頭を下げるお母さんに笑いかけた治さんは、ゆっくりしてってください、と落ち着いて言った。治さんはその場の空気を落ち着かせたり、そっと溶け込んだりするのが本当に上手い。私なんて後ろで仕込みをしながら微笑んでるだけしかできない。

「豚汁2つな、なまえ」
「はい」

 鍋の蓋を開け、豚汁をお椀によそう。小学生のお兄ちゃんはずっと楽しそうに治さんに話をしていて、ここしばらくの間ずっと私が仕込みを担当しているたくあんを切った治さんがおにぎりの横にそっと添え、私がお椀をカウンターへ乗せたのと同時におにぎりの乗ったお皿を出した。

「お待たせしました〜」
「ありがとうございます」

 下の子のお世話をしながら、上の子の様子を伺い、合間を見ておにぎりを口へ運ぶ。ごゆっくりどうぞなんて言えるわけもない状態だ。親ってすごい。単純だけど、それだけを思う。きっと開店早々来たのだって、気遣いでのことかもしれない。

「うっま〜!出来立てや!」
「お。お兄ちゃんわかるんやなぁ。さすが小学生。出来立ては格別やろ」 
「やっぱな!ほかほかやもん。なぁお姉さん、知っとる?」
「ん?なになに?」
「さけは白身魚やねんて」
「そうなの?赤いのに?」
「こないだテレビでやってたで。なんで赤いんかは忘れたけど」
「あはは。私も後で調べてみるね」
「何で俺に言うてくれへんねん」

 治さんが不服そうにぶつぶつ言う中、カウンターに数粒落ちたご飯粒をお母さんが拾い、持ってきたウェットティッシュですぐにきれいにしている。

「あ、大丈夫ですよ!後で拭きますから」
「え、でも」

 じいっとやりとりを見ていた治さんが、カウンターに手を乗せ、新しいおしぼりを差し出しながらお兄ちゃんに声をかける。

「なぁ、このお姉さんな、暇やねんて。お喋りしてあげてくれるか?」
「ええで!」

 治さんに問いかけるような視線を送ったお母さんに、治さんも言葉なく目配せをした。

「ありがとうございます。助かります」
「じゃ。なまえ頼むな」
「が、頑張ります!」
「お姉さん、ほんまに暇なん?」
「うん、暇暇」
「ふ〜ん」

 学校で何が流行ってるとかそんな話を聞きながら、ぺろりとしゃけのおにぎりを食べたお兄ちゃんは、たらこのおにぎりに手を伸ばす。ちなみに、たくあんはノータッチ。残念ながら。

「たくあん嫌いなの?」
「あ!ちょっと。たくあんも食べなあかんよ」
「嫌や。漬け物美味しない」
「ほな、いいけど。お母さんここのたくあん大好きやからもーらお」
「……ちょお待って!」
「なに?」
「……食べてみる」

 やっぱり親ってすごい。お母さんってすごい。子供の心を動かすのは一筋縄ではいかないけど、嫌な状態から食べてみるに持ってくのは神業としか言いようがない。
 本当に本当の。食べたの?って聞いちゃうくらいの。ほんのちょびっと小さくかじり、前歯で小さく咀嚼する。

「うまい……かもしれん」
「ほんと?」
「……なんでお姉さんが嬉しそうなん?」
「うまいやろ。そりゃ嬉しい顔もするわ。今食べたたくあん漬けたのこのお姉さんやから」

 後ろを通りかかった治さんがなぜか自慢げな表情でそう言い、奥へと戻って行った。……なんだか。治さんに「お姉さん」と言われるのは内側の方がくすぐったい。
治さんのそっと置いていったおにぎりの大量に入ったケースからおにぎりをひとつ出し、海苔を巻きながらお兄ちゃんと話を続ける。

「ありがとう、美味しいって言ってくれて」
「どういたしまして」
「沢山食べてね」

 それから三切れ乗っていたたくあんをたらこおにぎりの合間につまみ、お皿はすぐにすっかり綺麗になった。

「なあ、お母さん」
「んー?」
「さけおにぎりもう一個食べてもええ?」
「あんたそんな食べれんの?」
「さけとたくあんのマリアージュ、味わいたいねん」
「……マリアージュはおにぎりとたくあんで使うもんちゃうで。多分やけど」
「でも言うてたで、ニュースん時のグルメリポーターが」

 私は数分前、たしか手助けに入ってここに立っているはずだったのだけど。気付いたら聞き役だ。なんなら親子の会話に入る隙もない。
 背中を向ける治さんを覗き見ると、治さんが肩口に顔を寄せて声を出さずに笑っていた。

「なに笑ってるんですか、治さん」
「いや、マリアージュはあかんわ。ジワる」

 あと30分もしたらきっと席はいっぱいになる。治さんも私も、ピーク前の緊張がほぐれたのは間違いない。
久々に訪れたテレビっ子のおかげで。




モドル