周りには気づかれない程度に空気が変わってから1週間も経っていない、ある夜のことだった。目の前でネギトロむすびをはふはふと頬張る侑さんは、治さんとの会話を軽快に進め、私は山田くんにレジ締めを教えているところだった。

「サム、ネギトロひとつ追加で〜」
「……2個目以降は500円いただきます〜」
「高っ!」

 この状況で集中できる猛者はなかなかいないと思うけど、レジ締めはお金に関するとっても大事なことだ。耳を塞ぐような気持ちで山田くんを見れば、若干笑いをこらえているような気もするけど真剣にメモをとっているようにも見える。

「山田くん、えらいよ」
「……何がですか?」
「私がこの状況でレジ締め教えられたら、後日にしてってお願いすると思う」

 ちらりと後ろを振り返った私が治さんと侑さんに視線を送ると、侑さんが私にひらひら手を振ってとてもいい笑顔をしている。突然くるんだよね、侑さん。いや、嫌いとかじゃないけど。好きだけど、今日はちょっと山田くんと私にとっては……うん。

「こないだオカンから電話あったで!サムもあったやろ?」
「あー……あった。あれやろ」
「せや、近所のよっちゃんが結婚したらしいでってな。はっきりは言われんかったけど、絶対俺らどっちかに期待しとるよな」

 そ、そうなんだ。治さん達、お母さんに結婚を期待されてるんだ。治さんが結婚したら、私はどうするのかな。
 親が近所の同級生に影響を受けるのは確かにありそうかも。
 突然始まった2人の会話にもう一度ゆっくりと振り返ると、なぜか侑さんが頬杖をついたまま私を見て、ゆるりと笑う。顔を戻して山田くんを見れば、山田くんもシャーペンを紙に走らせるのをやめて私に何か思うように視線を送ってきていた。

……なんですか。侑さんも山田くんも。

「……ごめんね、よそ見してた」
「いえ!えっと。それで、この売上一覧を押して、」
「そう。で、数えたお金を入力」
「……っと、確定でええんですよね?」
「合ってる合ってる。完璧〜」

 心はかなり忙しいものの、ついに山田くんも夜を任されるようになるのかと感慨深い思いになりながらにこっと笑って親指を立てれば、頭を垂らしながら山田くんがバッグにお金をしまいながらため息をつく。

「苦手や、こういうの」
「わかる。私も苦手だよ」
「……またまた〜」

 これっぽっちも信じていないような山田くんがチャックを締めて、なまえさんはもうベテランやないですか、と言うけれどベテランだって苦手なことはあるんだけどな。
 後ろを振り返って話し込む治さんを距離をとって覗き込むと、侑さんが私を指差したのと同時に治さんが振り返る。2人同時に視線を向けられると、不思議な感じがする。

 双子っていうより。治さんが2人っていうか。治さんに慣れすぎてるんだと思う。すごく似てるけど、やっぱり違うところはあるし、笑った顔も違うし。やっぱり双子って不思議だな。

「終わった?」
「はい、一通りは教えました」
「……一応、合ってると思うんですけど」
「自信なさげやな、山ちゃん」
「……山ちゃん!?」

 侑さんの山ちゃん発言に、嬉々する山田くんの目があまりに輝いていて、笑ってしまった。山田くん、山ちゃんって呼ばれたいのかなって。

「なまえも一緒にやったんなら大丈夫やろ」
「他に何かありますか?」
「あー……ないかな。上がってええよ。山田くん忘れんとってな、レジ締め」
「忘れるていうか、まだちゃんと覚えられてへんていうか」

 黒目をふよふよさせながらどもどもする山田くんからバッグを受け取りながら、治さんはからかうように笑う。お先に失礼します、と山田くんと共に治さんに声をかけて、侑さんにもぺこっとお辞儀をすれば、さっきと同じように侑さんが手を振った。2個目のネギトロむすびを片手に持ちながら。

 休憩室に入って早々、エプロンをはずしながら控えめな声で山田くんが呟く。

「……結婚かぁ。まだ考えられへんな〜」
「あそこで結婚の話しちゃうのとか、侑さんらしいよね」
「ですね」
「山田くんてさ、彼女いるの?」
「居ますよ〜」
「……え!いるの?」
「居ますよ!居ないと思ってました!?」

 Tシャツはそのままに、パーカーを羽織ってバッグを持って驚くと、私よりも驚いた山田くんとばっちり目が合った。
 ごめん、山田くん。心の中で白状します。勝手にいないと思ってました。

「長いの?」
「もう4年経ちましたね」
「4年かぁ……」
「20代前半とかでも治さんみたいに自分の道が確立してれば、結婚も無くはない話やなって思いますけど。俺はまだ無理やな。大学生やし、アルバイトやし」
「……なんか、大人だね。山田くん」
「なまえさんは俺を何やと」

 休憩室を出て、カウンターを通り過ぎる。

「「お先に失礼しまーす」」
「おつかれさーん」
「なまえちゃん、山ちゃんまたなー」

 引き戸を開けて表に出ると、山田くんは私と反対の方へ帰る。手を振れば、すっかりリラックスした笑顔で手を振り返す山田くんを今度山ちゃんて呼んでみようかとふと思った。

 数分歩いてポケットを探ると、スマホがない。バッグをごそごそして、もう一度ポケットを全部触って。
 お店に忘れたのかなぁ。仕方ない、取りに戻ろ。

 ぼんやりと光の漏れる引き戸に手を掛けると、治さんと侑さんの賑やかな声も隙間から漏れる。とりあえず戸を開けようかと思った時、その会話はまた始まった。

「さっきの話戻るけど」
「どれや」
「結婚。俺、思ってん。サムは居るやろ。ええ子が近くに」
「……」
「なまえちゃん、奥さんにもろたらええやん。めっちゃ気い合うみたいやし」

 侑さんの提案に、私は完全に店内に入るタイミングを失くしてしまって、そのままどうにもならない感情をどこにも出せず立ち尽くすしかなかった。

「……そんなん、ツムに言われんでもわかっとる」
「ていうかまだ付き合うてへんの?あーもしかして、フラれたんや、そーかそーか」
「ちゃうわ、言ってないだけやし」

 はっきりとした単語のでない会話の意味にびっくりして、引き戸に手をかけたままの手が震えた。

「なんか音した?」
「したな」

 中の会話が途絶えた。大きな影が近づいて、思う。私がここにいて、治さんはどう思うんだろう。治さんは私を好きなんだろうか。治さんは冗談だって困ったように笑うんだろうか。治さんは、治さんはって。

「もう閉店しましたよー……って。噂をすれば、なまえちゃんや」
「え、」
「あの、スマホを忘れて」
「スマホか!それは困るよな〜、もう暗いから取って早う帰り」

 ぱたぱたとカウンターを通りすぎて、休憩室に入って、ロッカーを開ける。よくもまぁ忘れたなと思うほどよく見える所にあったスマホをポケットに入れ、お疲れさまでした、と治さんに挨拶をした。
 治さんは、笑ってもいなくて、でも冷静にも見えなくて、ぼんやりしたような表情をしていた。

 足早に表に出て大きく深呼吸をする。今日は飲まれそうな夜だった。明日の早番が治さんと一緒だから、眠れない夜を過ごしたらまた治さんに会う。私はどうすればいいの。
 知ってしまった。気づいてしまった。どう足掻いたって、このまま一生同じなんてありえない。




モドル