「おはようございまーす」
「あ、山田くん」
「……な、なんですか。昨日のレジ締め何かおかしかったですか!?」
「ちゃうちゃう」

 いつもはさらりと挨拶をしてカウンターを通りすぎていく山田くんをわざわざ引き留めた治さんに、ちょっとだけ驚く。何となく、予感がしたからだ。
 まっすぐな瞳が私の顔を見て、言ってもええ?と問えば反射的に首を振る。お客さんはちょうどいないけれど、さすがについさっきの朝の出来事だというのに人に言うには早すぎるって慌ててしまって。

「え?何?めっちゃ意味深やし!気になるやないですか!」
「山田くんもこう言ってるし、どうせいつかは言うんやし」
「……治さん、絶対確信犯じゃないですか」

 ため息をつく暇もなく、私の様子を見てよしと受け取った治さんが、カウンターに手をついてなぜか勝ち誇ったような笑みで言った。

「俺となまえ、結婚することになったで」
「……」
「聞いとる?山田くん」
「ちょっ、え?結婚!?……そりゃまた随分色々とすっ飛ばしましたね!?」

 驚く山田くんの言葉に思わず声を出して笑ってから、ふと思った。なんか、山田くん色々知ってたみたいな口ぶりっていうか。

「ちょっかい出さんとってな」
「もー!わかってますって!てか俺にだって、」
「治さん」

 なんとなくわかってきた。なんとなく。やんわりだけど。

「山田くんにはお付き合いの長い彼女がいるんですよ」
「……え?この山田くん?」
「そうです」
「それは予想外やったわ」
「なんなんですか!二人して」

 肩を上げてカウンターを通りすぎて行った山田くんが、ずかずかと戻ってきて、むっとした顔をひょこっと出し、忘れてました!と興奮気味に言った。

「おめでとうございます!お幸せに!」

 山田くんが顔を引っ込めて、休憩室の扉が閉まる音がした後、楽しそうに肩を震わせる治さんと目が合って、お客さんがいないのをいいことにまたけらけらと笑った。


▽ △ ▽ △



 思い返せば気の遠くなるほどの片思いだった。今さら知ったけれど、それは私も治さんも同じ。

 治さんと2年前に決めたアパートが更新を迎え、私は治さんの部屋に引っ越すことになった。一人で住むには少し広くて、二人で住むには少し狭い部屋に。
 休みの日に少しずつ荷物を移動したお陰で、もうすぐ解約となるアパートは引き渡しの数日前には綺麗さっぱり、なにもなかった。

「コーヒーどうぞ」
「おおきに。なまえ、買い足したいもんとかあったら、どんどん言うてな」
「思い付いたら言いますね」

 どこに何があるのか少しずつ覚えてきた部屋で、テレビを見る治さんにコーヒーを渡し、よく陽の当たる窓の前に体育座りをする。お日様も暖かければ、空気も暖かい。買い足したいものかぁ。

 男の人の独り暮らしにしてはキッチンに調理器具は十分にあるし、急いで買うようなものはないかな。持ってきたお気に入りのお皿もあるし布団もある。生活するのに困るようなものはなにも思い付かなくてコーヒーの入ったカップを包んで口をつけた。

「あんまり欲ないよな、なまえは」
「うーん……それは違うかもしれないです」
「ええー、あるんや。気になる〜」

 抱えた膝に頬をつけた。カップを置きながら興味ありげに私を見る治さんと目が合う。楽しそうに見ていたテレビをそのままに私の隣にやってきて、こちらに体を向けてあぐらをかいた治さんが楽しそうに笑う。教えてって。

「治さんのおにぎりはずっと食べたいし、治さんの楽しそうに働くところも見てたいし、治さんとずっと一緒にいたいし……この3つは、絶対にずっと欲張ってたいです」

 指を3本立ててそう言うと、うって変わって急に静かになった治さんが私の3本の指をぎゅっと掴んで、そのまま私の手を大切なものみたいに包んでくれた。今まで見ていた、知っていた、お店で見るのとは違う瞳が私を捕まえて。埋もれていた私の唇を掬い上げるように見つけて唇が重なる。

「そんなん欲張りに入らんて」
「…治さんは?欲、ありますか?」
「俺はあるよ。欲なら山ほど」

 治さんの欲はなんだろう。お店のことかな。自分のことかな。私のことも入っていたらいいな。
 ゆったりとした口調のままテーブルに手を伸ばし、治さんは飲みかけのカップを持って戻ってきた。このコーヒーを飲んだら、開けていない段ボールを片付けなきゃ。あと、お昼は何にしよう。治さんはなにが食べたいかな。
 色々考えている間、治さんはずっと私を見ていて、気付いた瞬間はカップに口をつけながら楽しそうに笑って見せた。

「…なんかめっちゃ考えとる」
「やることがいっぱいあるなーって」
「あー…せやな」

 重なった段ボール見つめる治さんの横顔があまりにも不服そうで、手を伸ばしてさらりと髪を撫でる。

「あれ、急ぎなん?」
「……いいかなぁ。今日じゃなくても」

 私の手を掴んだ治さんが、やった、と嬉しそうに微笑んできゅうっとときめいた。母性本能がくすぐられるような、こっちが嬉しくなっちゃうような。
 手を繋いだままコーヒーの続きを飲みながら、雲のない空を見て思う。

 あの時。欲を出して兵庫にきて良かった。おにぎり宮に立ち寄ってよかった。治さんに出会えてよかった。

 おにぎりが治さんと私を引き合わせ、繋ぎ、出会った時には想像しえなかった幸福へと導いてくれた、って。




モドル