もう何年か前のことだ。
何でもいいから口にいれたくてたまたま入ったおにぎり屋さんの店員さんがイケメンで、つやっつやのお米が光る塩むすびに感動して。お腹が満たされて、どうにか就活疲れやプレッシャーから解放されたその瞬間にスマホの着信音が鳴った。もう大して期待もしていなかったけれど、一応メールを開くと、つらつらと書かれた前置きをすっとばし、最後の文を読む。
『お祈り申し上げます』
落とす肩ももうない。リクルートスーツに新鮮味がなくなったのだって、全然嬉しくない。もう、どこにも必要とされていない気がした。
「はぁー……」
「……ん?」
「あ。いや、すみません」
まだ温かいお茶を飲むと、もう一個塩むすびが食べたくなって、イケメンの店員さんに声をかける。
「すみません。塩むすびもう1つ下さい」
「はい、お待ちください」
すぐに出てきたつやつやのおにぎりの絶妙な塩梅にはじめて食べたかのように舌鼓をうつ。出汁のきいたお味噌汁との組み合わせって本当に最強だと思う。よくコンビニの塩むすびは好きで買っていたけど、段違いだ。むしろ比べちゃいけないレベル。何気なく店員さんを見ると、私の食べる姿を楽しそうに見ているようだった。お米でも付いてるだろうかと顔を触るも何もついていない。私なんか変…?ていうか普通おかわりしないのかな…?食べ過ぎ…?
「な、何か…?」
「いや。気持ちええ食べ方やなぁと思て。好きなんですか?おにぎり」
「お米好きなんです」
「見てたらわかりますよ」
「…しかもこれ、人生の中でダントツの塩むすびです」
「ほんま?おおきに」
「お米もすっごく美味しいし」
「せやろ?」
「もう毎日食べたいくらい、最高です。……店員さんが羨ましいです。こんなおいしいおにぎりに囲まれて働けて」
店員さんは、なんだかキラキラした目で私を見て、新しいお茶を出してくれた。長居してもいいという風にとっていいんだろうか。おしぼりで手を拭くと、出されたばかりの熱いお茶に手を伸ばす。
関東を飛び出し、なんとなく就活の候補に入れた1社に兵庫の会社があってよかった。こんな幸せになれるおにぎり専門店に出会えたんだから。仕事に就いたら旅行でまた兵庫に来て、絶対ここに来よう。
「お客さん、聞いてもええ?」
さっきのキラキラした目で私を見て店員さんがカウンターに手をつきながらそう言うと、首を傾げた。
「就活中?」
「あー…はい」
「内定決まっとるんですか?」
「あはは……それが全然決まらないんですよね」
「そうなんや」
人の不幸を笑うなと誰かが言ったが、この店員さんは私の不幸エピソードを可哀想なんて顔を一切せず、なんならワクワクしてるかのように聞き出した。なにやら私をじーっと見ながら考えている。未だに意図がつかめなくてお茶を飲んで店員さんが考え終わるのを待っていると、俺ここの店主やねんけど、と切り出された。
予想外な事実に、えっ、と思わず声を漏らす。若いから普通に店員さんかと思ってたし。店主と言われると、無駄にあわあわとしてなぜか膝の上に手を置いた。
「就活してるくらいやし、やっぱ正社員がええの?」
当たり前に、みんながそうするように、そういうものだと思っていた。今そう言われるまで。何かになりたい、そういう思いがあるわけでもない私は、就職をして固定のお給料をもらって、普通に暮らしていくものだと思っていた。
「人生って割とそういう流れありますよね」
「せやなぁ、それはあるかもしれん」
「あの。これって何の話ですか?」
「あー……もう単刀直入に言うわ。お客さんうちで働かん?」
「……へ?」
「そろそろバイト募集しようか思ててん」
状況の把握をしようと整理している間に、なんのためらいもなく口にされたそれに、私は素直に納得してしまった。うっかりすぐに頷きそうになったくらいには。
「おにぎり好きなんやろ?」
▽ △ ▽ △
「……うん。まぁそういうわけで何年もお世話になってるんだよね」
「みょうじさんが一番長いのは知ってましたけど、その裏にそんなええ話があったとは思わんかったです…!」
感受性豊かな山田くんは、話し甲斐のある表情で私を見ながらそう言った。ええ話……かはわかんないけど、人にそう言われるなら、そうなのかもしれない。
「治さんにはほんと感謝してるんだよ。誘ってくれなかったらやっと入った会社で普通に暮らしてたのかなって思うと、絶対今の方が楽しいと思うし」
「あ、あとこの際なんで聞きますけど」
「うん」
「治さんとみょうじさんって名前で呼びあってますよね?きっかけとかあるんですか?」
「すごい突っ込むね、山田くん」
「めっちゃ気になってたんで……ヤッバ!俺もう行かんと」
「ほんとだ!急げ急げ〜」
ペットボトルのお茶をかばんに突っ込んだ山田くんが休憩室を出ていくと、山田くん時間過ぎとるで、とふざけるような治さんの声が聞こえ、簡単に想像のつく治さんの表情に密かに笑ってしまった。多分だけど、また山田くんで遊んでるんだと思う。治さんのことだから。