「すき焼きやて、珍しい〜」
「絶対うまいやつやん」
大変可愛らしいカップルに微笑ましさを覚えながら、注文が決まるのを待っている。ショーケースはもうスカスカだったものの、一応まんべんなくひとつやふたつずつは残っていた。本日の最後のお客さんはこのカップル。今日は北さんがくるって治さんが意気込んで奥へ入っていったから、何やら準備とかがあるんだと思う。
「お姉さん!決まりました!」
楽しそうにそう言った彼女さんは、すき焼きと焼きたらこ、彼氏さんはすき焼きと味噌と塩。一つずつ注文されたものを出してビニール袋にいれると、さらりと彼の方がお金を払う。ありがとうございました、と頭を下げて見送りをした後、暖簾を下げ、足元の看板をしまった。休憩室のドアをノックし、返事が聞こえたのを確認してからゆっくりドアを開ける。
「治さーん、レジ締めして大丈夫ですか?」
「おん、頼むわ」
なにやら書類を確認している治さんの邪魔をしないようにドアを静かに閉めて、レジ締めに取りかかった。もうすぐ働いて2年ほどになるというのに、レジ締めという作業はやっぱり緊張する。金額が合わなかったらどうしようとか、毎回ドキドキするのはいい加減にやめたいけど、それもそれで慣れが出そうで怖い。そう思うとこのままでいいのかな、ビビリだと治さんに笑われるかもしれないけど。
問題なくレジ締めを終え、お金の入ったバッグを持って休憩室のドアをまたノックした。返事を聞いて中に入ると、大丈夫やったー?と明るい声と共に信用しきった笑顔が見えて、合ってました、と返事をする。いつもはこのまま、上がってもええよと言われるのだけど、今日はそれがない。書類から顔を上げた治さんは、ゆるりと口角を上げて瞬きを一度してから口を開いた。
「なまえ、これから予定ある?」
「いや……どうかしました?」
「北さんが来たら店で飲もうかって話しててんけど、なまえも平気やったら飲も」
「それは、さすがになぁ。お二人の話もあるでしょうし、私は遠慮しておきます」
「そりゃ俺は北さんとも飲みたいけど、なまえとも飲みたいんやけど」
「……そんな言い方されたら断れないじゃないですか」
「断れないように言うてんの」
「……じゃあ少しだけ」
エプロンを外して、帽子を脱ぐ。ぺたんとなった髪をふわふわと触って鏡で直していると、治さんが私を見て小さく笑った。数日前に来たOLさんが言っていたことがずっとひっかかっているものの、私がどうこうする話ではない。
「北さんに会うの、久しぶりだからちょっと楽しみです」
「なまえと北さん、何気に仲ええよな」
「うーん……なんか。波長が一緒なのかな」
「それはわかるわ」
「あはは、ほんとですか?嬉しいな」
北さんのいないところで北さんの話をしていると、タイミングよく治さんのスマホが鳴った。きた、と嬉しそうに言った治さんは完全に後輩の顔で、私の後輩じゃないのになんだか可愛く思えてしまう。長く働いているからか、治さんのいろんな顔を誰よりも見てきている気がする。北さんや、侑さんにはもちろん負けるけど。
鍵を締めないでおいても、いつも北さんは連絡をしてくる。勝手に開けるのはよくないと思っているみたい。最初の頃は治さんも再三勝手に入ってもいいと言っていたらしいけど、もうそんな会話もしばらく交わされていないような気がする。
引き戸を開けた治さんが出迎え、北さんが穏やかな表情で入ってくる。こんばんは、とお辞儀をすれば、みょうじさん久しぶりやな、とゆるやかな口調で言われ、手に持っていたお酒を流れるように受け取ってカウンターに置く。
グラスの準備しなきゃ。
湯飲みばかりが活躍するこのお店は、あまりグラスが活躍することがなくて、背伸びしないと届かないところにグラスが入っている。北さんに仕入れに関する書類を見せているから今は治さんを頼れない。
落として割ってしまわないよう、一度手前何列かの湯飲みを下ろしていると、どうしたん、と可笑しそうに言った治さんが私の後ろに立ったままでグラスを3つ、簡単に取って、下ろした湯飲みを手際良く扉の中にしまった。
頭の上で響いた声があまりにも優しくて、湯飲みを取ったときの顔があまりにも近くにあって。私の憧れと好意の割合は確実に変化していると思った。もう、素直に。好きだなぁって、叶わないからこそ素直に思った。伝えるつもりもないけれど。
「なまえもこっち座り」
「はい」
「みょうじさん元気やった?」
「元気ですよ!この通り」
「あ。ビールしかないんやけど、飲める?」
「最近ようやく美味しいと思うようになってきました」
「じゃあ良かった」
とくとくとグラスにビールを注ぎ合って、乾杯をした。おつまみは具の余り。
「治の相手も大変やろ。迷惑かけて悪いな」
「迷惑なんて一個もないですよ。治さんには本当にお世話になってて、」
「なんなんその嫁と義父みたいなやりとりは」
とんでもない例えに、びっくりして治さんの目を見れば、それはもうリラックスした表情で笑っている。それにしたってとんでもない例えだ。私は嫁の方……?いや、もしかしたら義父の方……?