角名倫太郎とノースリーブ
寝室まで香るパンの匂いにも負けず、倫太郎は目を覚まさない。なまえは高校時代の友達とランチに行く約束があるらしく、早起きをして朝ごはんを食べる。昨晩ゆでた卵と、冷蔵庫にあったレタスとミニトマトをいつだかのパン祭りでもらったお皿にのせて、トースターが「できたよ!」と音をならすのを待つ。今日はジャムにしよう。ちょっと前に開けたブルーベリージャムがあったような。冷蔵庫からジャムを出して、なまえはトースターを見つめながらパンが焼けるだけを待っている。
チン!
待ってましたと指先でつまんで出したトーストにジャムを塗って、ダイニングテーブルへ持っていく。パンは焼きたてに限る。トーストして時間の経ったパンほど悲しいものはない。なまえのマグカップには冷たい牛乳が入っていて、一口飲んでから早速サクサクと音をたてながらトーストを食べ始めた。
お皿をシンクへ片して、しばらく付けっぱなしだったテレビを見る。さわやかな朝を知らせるように、さわやかな笑顔でアナウンサーが今日の話題を言う。
「……コーヒー飲みたいな」
誰も聞いてない独り言を呟くと、ソファから立ち上がって寝室へ向かう。時刻は8時。朝ごはんを済ませてから結構時間が経ったけれど、一向に起きてこない倫太郎になまえはしびれを切らした。扉を開けると、すやすやと小さな寝息をたてて眠る倫太郎に近づいて、肩の辺りに手を置き、小さくゆすった。
「倫」
「……」
「りーん」
「……」
「りんりーん」
「ん〜〜なに〜〜」
「もうコーヒー淹れてええの?」
「いいよ。なまえ何時に起きた?」
「んー7時くらい?」
ふうん、とつまんなそうに言った倫太郎は、目線を変えてなまえの腕を触る。するすると指先から肩の方へ向かって。この服持ってたっけ、そう付け加えながら。今日、なまえは数日前に一目惚れして買ったノースリーブのブラウスを着ていた。
「ちょ、その触り方ゾワゾワするわ」
「腕出す方が悪い」
「なに、焼きもち?友達とランチ行くだけやって。折角ならお洒落したいやん」
「次の休み、それ着てよ。可愛い」
「……おん。ええよ。暑かったら着るわ」
二の腕を触っていた手を下げて、倫太郎の小指となまえの小指が絡んだ。なまえはそのまま倫太郎の両手をぎゅっと掴み、すかさず引っ張った。約束するから起きて、と。倫太郎となまえは、高校からの付き合いだった。喧嘩をしたり、勘違いをしたり、やけにラブラブだったり、やきもちを焼いたり。いろんなことを経て二人はここに一緒に暮らしている。
とにかくコーヒーが飲みたいなまえは、先を歩く。倫太郎がなまえの肩を掴み、滑らすように前にクロスして下ろすと、その手をなまえが掴む。
「歩きづらいんやけど」
「なまえ」
「なに?」
「パンの匂いする」
頭のてっぺんに鼻を寄せた倫太郎の言葉に顔を上げたなまえは、楽しそうに笑った。倫太郎はまた思った。可愛い、って。洗濯が終わった音が鳴り、倫太郎の腕から抜け出したなまえが脱衣所へ向かう。仕方ない、コーヒーは後で淹れよう。今日はすごく天気がよかったから、倫太郎のベッド回りのもの以外はすべて回した。重たい洗濯かごを持ってベランダに出ると、倫太郎もベランダに出る。
「今日いっぱいあるね」
「倫、手伝ってくれるん?」
「うん、手伝う」
「ありがとう」
パジャマのままの倫太郎が、ハンガーのものを干して、なまえがタオルや靴下をピンチに挟んでいく。なまえは時間が経つにつれ、気付き始めていた。倫太郎が脇のあたりをこっそりみていることに。ハンガーに服をかけて、物干し竿にかけながら。私の腕が上がっているときに。
腕を下げたなまえは、倫太郎を怒ったように見る。
「あんま見んといて」
恥ずかしがるのも当たり前だ、脇はまじまじと観察されるものじゃない。下げた腕の隙間から、ちょこっと見えるキャミソールをつまんだ倫太郎が楽しそうに言った。
「これがちらっと見えるのも、なんか好き」
「……ほーん」
なまえは気づいていない。うっかり、満更でもない表情をしてることを。あと、倫太郎が思っていることを。
モドル