昼神幸郎とご挨拶


 有名な老舗の季節限定栗羊羮の入った黒い紙袋を持った幸郎は、珍しく緊張していた。何度かなまえの家に行ったことはあったものの、今日はご飯をごちそうになるとか遊びにいくとか、そういうんじゃない。結婚の挨拶へ行くのだ。きちんと専門知識を身につけ、研修期間も終わり、それから一年ほど。幸郎が晴れてきちんと職に就いたといえるほど一人前になった。緊張の面持ちの幸郎を見たのはなまえはこれがはじめてだったため、自分の実家へ行くというのになまえも密かに緊張している。

「……うちのお父さんが、お前なんぞに娘はやらん!って言ったらどうする?」
「え〜〜どうしよう」
「あはは、うそうそ。ないない。今時そんな。むしろすごい喜ぶね、だって幸郎が息子だよ?」

 率先してなまえがインターフォンを押すと、はーい、と聞こえた母の声に安堵し、幸郎と目を見合わせる。なまえの母にはすっかり慣れていた幸郎は、鍵が開けっぱなしの扉に入っていくなまえに着いて入り、にかっと笑った。

「こんにちは〜」
「ただいま〜」
「幸郎くんいらっしゃい!上がって上がって」
「お邪魔します。……あ、あとこれ。召し上がってください」
「わぁ、ありがとう。ここの羊羹美味しいのよね!」

 たしか去年。デパートに一緒に行った母がここの栗羊羹が買えなくて残念がっていたのをなまえはふと思い出した。幸郎の気づかいには本当に脱帽だ。
 それと、いつもよりも若干テンションのおかしな母に対し思った。母がいつもよりも綺麗な格好をしている、と。

 結婚の挨拶という大イベント。恐らく最初で最後の。
 今回に関しては勘づかせないのはまず無理だと思う。特段サプライズご挨拶をする気など元々なかったが、話があるから一緒に行くね、なんて言われたら、結婚か、妊娠か。だいたいその2択じゃないかと思うに決まってる。

「お父さーん、ふたり来たよ〜」
「おお。い、いらっしゃい」
「ご無沙汰してます」

 リビングに入ると、いつもは寡黙でもなんでもないなまえの父が新聞を読み、わざとらしく幸郎となまえに気づいたふりをした。もう全員が無駄な緊張をしているといっても過言ではない。

「幸郎くん、どうぞ座って」
「ありがとうございます」
「お仕事で忙しいのに来てくれてありがとね」
「いえ」
「もうすっかり慣れたかい?」
「そうですね。どうにかって感じです」

 4人掛のテーブルセットは満員だ。歓談の時間はぎこちなくて、早々に会話が途切れてしまう。ちゃんと言うから、となまえの実家に向かう途中に言っていた幸郎は、なまえにじっと見つめられながら口を開く。

「あの」
「…………」
「…………」
「…………」
「今日はなまえさんのお父さんとお母さんにお願いがあって来ました」

 幸郎も、なまえも、なまえの両親も。みんな一斉に緊張しだして。続きの言葉も、なまえの両親は言い出しの言葉で二択からひとつになんとなく絞られていく。

「娘さんと。……なまえさんと、結婚させてください」
「…………」
「……ねぇ、幸郎くん」
「はい」
「うちの子で本当にいいの?」
「なまえさんがいいんです」

 うるうるとした目でなまえの母は父を見て、ねぇ、と不可解な相づちを求める。プロポーズをされた時は、私でいいんだろうかと思った事もあったなまえだったが、親に言われるにはなかなか複雑なセリフなことを実感した瞬間だった。

「お父さんは?なにか言ってあげたら?」
「なまえと幸郎くんの人生だしな。二人で決めたことに何も反対はしないよ。なまえをよろしく」
「そうよ!幸郎くんみたいな立派な息子ができるなんて思わないじゃない。本当、なまえは幸せ者だわ。……どうしよう、ケーキでも買っておけば良かったかしら」

 頂いた羊羹があったわ、とルンルンに席をたとうとしたなまえの母と、寡黙ぶるのをやめて嬉しそうに口角を上げるなまえの父。二人を交互に見た幸郎が深々と頭を下げ、顔をあげた。

「ありがとうございます。改めて、これからよろしくお願いします」

 幸郎の言葉に、目尻を赤くしてなまえの両親は喜んだ。こんな立派な人が大切に育てた娘の結婚相手になるなんて、こちらの方がよろしくお願いしますだよ、なんて思って。みんなでよろしくよろしくとお辞儀をし合い、和んだ空気に纏わり笑い合う。

「幸郎ありがと〜、大好きだよ〜…!」

 思わずなまえはそう言い、幸郎の肩をさする。お疲れ様でしたと労うように。幸郎は自分の肩をさする手に大きな手を重ね、なまえを優しい瞳で見た。

「なまえも。これからもずっと、よろしくね」
「幸郎ぉ…」

 栗羊羹を待つなまえの父は、微笑ましい目の前の光景をちらっと見ただけで新聞を開く。いかにも自分は二人を見ていないとでも言いたげな表情をし、それは帰ってからやってくれと思ったのだった。


ネタBOX ▷ 昼神幸郎 / 実家へ結婚の挨拶に行く


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