だるまさんがこ、

 出番終わりのその足でバイトへ向かう福永は、挨拶もそこそこに関係者出入口の扉を開け、近くで出待ちをする先輩芸人の女性ファンを黙って見渡し、その中の一人を見て思った。今日も来てる、と。

「福永くん!お疲れさまです!」

 そう言ったのは毎回必ず福永に声をかける女性ファンだ。目が合って、満面の笑みを向けられるのは福永にとってはいつも通り。彼女が誰を待っているのかはわからないが、認識をされているというだけで、福永は嬉しかった。

 またいつも通り、とっさに出る言葉はなく、軽く頭を下げて早速バイトへ向かうしかできない福永に、あの、と呼び止めた彼女は、緊張の面持ちでなんだか恥ずかしそうに封筒を福永に差し出した。いつも応援してます!と。

 福永くんへ、と書かれた封筒と彼女を何往復かすると福永は数秒たってからようやくぎゅっと口を結んだ。これはファン第1号と認定しても良いのだろうか。ファンレターをもらうのはこれが初めてで、福永は無意味に裏を確認し、また表に返して自分宛か確認をして、絞り出すように言う。

「ありがとうございます……」
「あの、福永くん!」
「……」
「芸人さんの中で福永くんが一番面白いです。いちばん好きです!ネタも、福永くんも!」

 地面から立ち上るようにぐわっと襲ったなにかは、今しがた彼女の口にした『好き』という強烈なフレーズのせいなのはわかりきっていた。まっすぐ注がれる視線に思わず黒目をゆーっくり別の方へ移動し、彼女を見ずに軽く頭を下げて歩きだすと、その態度とは裏腹に福永の心は次第に踊りだした。




 ファン第1号の子の名は、みょうじなまえというらしい。手紙に書かれた少ない情報は頭の中にしっかりインプットされ、それからはなまえを見かける度にほんの少しだけ福永の表情が変わるようになった。
 出待ちスペースになまえがいると、福永はさりげなく近くを歩き、1ターンしかなかった会話が2ターンに増えていく。それは福永にとっては大きな変化でもあり、無意識にそうしていることは自分でも不思議で仕方がなかったが、出待ちファンに弾かれたなまえがひとり離れたところにいたある日、その瞬間はやってきた。

「福永くんって彼女いますか?」
「……」
「あ、あと好きな人とか、実は公表してないけど若くして結婚してるとか」
「……ふふっ」

 突然の質問はさておき、必死に相手の有無を確認をするなまえに福永は思わず笑い、真剣な表情のなまえに向かって首を振った。

「……じゃあ、もし気が向いたら連絡してください。あ、でも嫌だったら捨ててください」

 目の前に差し出された小さく畳まれた紙を受け取ると、なまえはくるりとかかとをひるがえして足早に小道へと消えていく。追いかけるでもなく紙を開くと、そこに書かれていたのはなまえの連絡先だけ。
 コンパクトで入りくんだこの町で消えていったその背中を追うことはもう不可能だったが、追いかけたところで福永は口にする言葉はなにひとつ浮かばない。

 福永の手のひらに収まる小さな紙が表すものは、自分に向けられた好意の意味がひとつ増えたということ。これまた不思議なことに、これっぽっちも福永は嫌ではなかった。




 連絡先を渡してから数日後のこと。メッセージの通知音が鳴り、画面を見たなまえはベッドの上で飛び跳ねそうな勢いだった。

『気が向きました。』

 たった一行のそのメッセージに目を輝かせ、その何度も眺める。ダメ元で出した勇気は無駄じゃなかったと、ひたすらに思った。フリートークでの福永の無口ながらに雰囲気を和ませる様子や、シュールなネタや、垣間見える小さな笑い方。薄い眉さえもなまえにとっては可愛く見えて仕方がなくなってしまったのだ。誰がなんと言おうと、間違いなく恋だ。

『嬉しいです。気が向いてくれてありがとうございます。時々メッセージしてもいいですか?』
『大丈夫です。』

 それから週に一度、なまえは福永にメッセージを送った。このメッセージ上だけは、ファンとしてではなく。

 意外なことに福永は文字のやり取りは嫌いじゃないらしく、なんならちょっとフレンドリーな印象に変わり。やり取りが始まれば、ワンターンで終わることなく何度か続き、なんとなく福永のことをなまえも知り初めていった。しかもパエリアを作って焦がしたとか、そんな報告にも返事をくれるものだから嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。




『今度二人でどこか遊びに行きませんか?』

 恐らく勇気を出して送られてきたメッセージ。好意は素直に嬉しかったが、踏み込むか否かの瀬戸際で福永は悩んでいた。なぜならなまえがファンだということは今も変わらないから。

 週1度、なまえから連絡が来るのは福永にとって楽しみになっていたが、今回のメッセージは返信に時間を要した。
 ゆっくり時間をかけて、少しずつ少しずつ気付かぬ間に近くにいたなまえは、だるまさんが転んだで例えるなら福永の背中となまえの指先に拳1個分の隙間があるだけのようなもの。あと一度福永が『だるまさんが転んだ』と言えば、簡単にタッチされる距離だった。

 返事を出来ないまま、夜がきて、朝がきて、また夜がきて。それが何度か繰り返されると、しばらく連絡を取らないうちに出番の日が来てしまっていた。

 連絡先を渡されたあの日のように離れたところで出待ちをしていたなまえを見て、福永は何を言うかも考えずに近づく。

「この間はごめんなさい。迷惑だったみたいで」
「迷惑では……」
「ない?」

 こくこくと頷き、なまえの申し訳なさそうな顔を盗み見る。福永は思う。自分はなまえと全く同じ気持ちではないが、こういう顔を見たいわけじゃない。消去法で考えれば、今見たいのは一番初めに言われた『好き』のあの顔だった。

「遊び……行きたい」
「えっ」
「サカマキガイ」
「ん…サカマ…マキガイ?……ぷ、」

 理解が追い付かないまま笑うなまえと、緊張をごまかすために普通に返事できない福永。サブカルな町のどこか、傍目の雰囲気はほのぼので行われていたのは、ちぐはぐなやりとり。