やさしく煮詰める
水切りかごの中でお揃いのマグカップが仲良く留守番をしている。足を伸ばしていつもよりひとつ遠くのデパートまで向かう車中はいつもより空気が軽やかだった。幸郎の好きな曲はいつの間にか私の好きな曲にもなっていて、口ずさむことなんて簡単だ。
「今日はなまえ狙ってるものあるの?」
「あるよ〜!この間ボーナスもらったからね」
「なになに〜てことは高いものかな?」
時折こちらに視線を寄越す幸郎に、いつもの笑顔を真似するようににいっと笑えば「気になるなぁ〜」なんて静かな視線は興味津々のまま前方へ視線を戻った。サプライズのつもりはないけれど、言わなくて済むのならギリギリまで黙っておこうかななんて思って、私はまた歌を口ずさんだ。
高速を使ったおかげで思ったよりも早く到着し、発券機から抜いた駐車券をサンバイザーに差さずに「持ってて」と幸郎が私に渡す。そしてこっそりと嬉しくなった。ほんの些細な何気ないこと。じっくりと考えると、ただ当たり前のように通りすぎる全てのことが実は特別だったんじゃないか、そう漠然と思えてくる。
「あ、いいとこ空いてるよ」
「ナイスなまえ〜」
店内入り口近くに駐車をし、助手席の私は早々にシートベルトを外す。エンジンを切るとミラーが閉じ、バッグのサイドポケットに駐車券を差して車を降りた。鍵を締めた幸郎の隣を歩き、隙間の空けられた脇にルンルンで腕を差し込めば、上から楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
「何買うのか気になるな〜」
「まだ内緒だよー」
「てことは俺が喜ぶ何かだな?」
「……推理能力高すぎなんだけど!」
一度手を抜いて距離をとって驚いていると、近付いてきた幸郎の大きな手が私にじりじりと近付いてまた脇に隙間を空けた。
「はい」
「あはは、はい」
また幸郎の腕と自分がゆるりと絡み、にいっと笑う。今回のボーナスはそれなりにあったし、自分のことだけじゃなくて幸郎にもどうしてもあげたかったのだ。新しい腕時計を。
職業柄、幸郎に時計は必ずいる。でも皮ベルトの時計なんてどうぞ壊してくださいと犬や猫たちにお願いしているようなものだとも幸郎は言っていた。その彼が愛用していた腕時計が最近調子が悪いらしい。
逞しい腕に馴染んでいる腕時計のメーカーは、ピンキリがある。安価なものは高校生がペアでしているのを見かけるし。獣医としてはド定番ではあるが、間違いないというのはとても重要だと思ったから、私は幸郎とこのデパートへやって来た。
さりげなく絡めた腕を引き、私よりも大きな体を誘導する。エスカレーターのフロアマップをじいっと眺めておいたからきっとすぐにたどり着く。お目当ての看板が見え、目指すお店を察した幸郎はやっぱり不思議そうな顔をしていた。
「なまえ、時計買うの?」
「それもいいね、良いのがあったら私のもぱーっと買っちゃおうかな」
「えーと……私のも?」
「うん。のも、だよ?」
足が止まり、目を見合わせる。幸郎と私の薬指で馴染んだ指輪を見た人は、身長の高い旦那さんだなぁと幸郎に自然に注目するんだろうな。ようやく全てを理解したらしい幸郎が驚いたように目を真ん丸にし、え〜〜、とよーく伸びた声を出した。
「いいよ、なまえがもらったボーナスなんだから。自分で買うつもりだったしさ。だって記念日でも何でもないよ?」
「とりあえず見ようよ、ね?折角ここまで来たんだし」
店員さんと目が合うと、諦めた様子の幸郎が店内に入り、私は絡めていた腕をほどく。等間隔にレイアウトされた時計を順々に見ていく幸郎を一歩下がって眺めながら『折角』というワードが効いているような気がする、なんて思いつつ。
「色はやっぱり黒かな?」
「定番だよね、シルバーとかもあるんだ。私もやっぱり黒が好きだなぁ」
カラフルなものや白は幸郎向きではないと思う。たとえば初めて見るような海外の食品まで置いている雑貨屋さんのレジ横のショーケースにも置いていたりするくらい安いものもあるのだけど、高額なものは私のボーナスを全部使っても到底足りそうもない。スタイリッシュなデザインもあるんだ〜なんて何気なくショーケースを覗き込んだ私が値段を見て驚く顔を見た幸郎が可笑しそうに笑ったのは2人だけの秘密だ。
「これとこれだったらなまえ的にどっちがいいと思う?」
「んー、迷うなぁ。両方試してみたら?」
「そうだね」
近くにいた店員さんに幸郎が視線を送ると、ささっとこちらまで静かにやってきて準備を始める。機能の差とか、文字の見やすさとか、細かな説明をしながら一本目を試着する。スーツをぴしっと着てシルバーの腕時計をする幸郎も間違いなくかっこいいけれど、私は今の幸郎が好きだ。ごつごつした腕時計が太い手首によく似合う。
フィット感を確かめながら手首を振ったあと、伺うように私の顔をみた幸郎にぐっと親指を立てて返せば「え〜」と本気で迷うように着けていた腕時計を外した。もう一本の腕時計を着け、またフィット感や機能の説明を受けながらボタンを押したりする姿を私は楽しく見つめている。
「じっくり考えていいからね」
「どっちも似てるから余計迷うんだよ〜、なまえ決めてよ」
「……ちなみに」
タイミングを伺うように声を発した店員さんが準備していたらしい小ぶりな白い腕時計を幸郎に差し出して、素晴らしい笑顔でそのまま私にも見せてくれる。
「今お客様がご試着されているものならレディースラインもありますよ」
「ほんとだ!」
「なまえ着けてみてよ」
「是非」
あれよあれよと腕にはめた時計を眺める。ちらっと幸郎の手首を見て、私の手首を見て。明らかなペアウォッチじゃないのがまたいいかもしれない。2本合わせても想定内の値段だったし、思いきって買っちゃおうかな。幸郎の様子を伺えば、私の手首を見て今度は幸郎に親指を立ててにいっと笑い返されて堪らず笑ってしまった。
「如何ですか?」
「これにしようかな、いい?」
「うん、いいよ」
「じゃあこれとこれ、2本ともお願いします」
「えっ」
「なまえのは俺が買うよ」
私が答えを出す前に幸郎が答えを出し、驚いている間に店員さんがお会計の準備を始める。私が満足気な顔をしていたのを見て幸郎は全て決めていたんだろうと思うと、策にはまったような気持ちになりながらも嬉しかった。バッグのサイドポケットに差した駐車券を出して、私はそれを受け取って。あと、お会計は別々にした。
腕時計の入った箱が2つ、小さな紙袋に入った。私がプレゼントしたいという気持ちを主張しつつ、幸郎も私にプレゼントを贈ってくれる。幸郎曰く、ボーナスが入ったからだって。ありがとうを言い合って、もう少し買い物をしようと思う。家で留守番をしているマグカップの出番はきっと夜になるかもしれない。
揃ってただいまを言ったら、ゆっくりこの時計を幸郎と眺めよう。そっと幸郎の腕に私の腕を絡めながらゆるりと思った。
企画サイト「connect」に参加させていただいたお話