ゆるやかな一撃を

「遊真せんぱーい!」

 駆け寄ってそう呼べば、白くて少し癖のある髪が揺れる。今日も昨日と変わらずに。そして今日もかっこいい。遊真先輩って大きな口をあけて笑うことはしないけど、いつもちょっとだけ微笑んでいて、ずっと見ていられると思う。
 身長が他の男子よりも小さいことなんて気にならないくらい、どこか大人みたいなのだ。近所に住む大学生のお兄さんよりも、何倍も。

「おお、みょうじちゃん」
「こんにちは!」
「こんにちは」

 両手をきちんと下ろしてお辞儀をすると、遊真先輩も丁寧に両手を下ろしてお辞儀を返してくれる。先輩だからそんなきちんとしてくれる必要ないのにと思ったけれど、とがった唇をみて思わず笑った。だってちょっとふざけてるって、わかるもん。

「今日はひとりなんだ」
「え〜私だけじゃ不満なんですか?」
「いやいや滅相もない」

 なんだその口ぶりはと思ったけれど、先輩なので、あとかっこいいので、口を紡いだのは私の中に秘める。遊真先輩との出会いは出穂ちゃんと教室移動している時にたまたま先輩が通りがかったことなのだけど、私はそれそれよりも前から先輩のことを知っていた。

 だって転校早々クラスの中で色んなことがあったというのは友達のお兄ちゃん経由で色々聞いていたし、程なくしてボーダーに入ったというのはたちまち広がったし、言うなれば三門中にやってきてからずっと有名人だったのだから。

「先輩もう帰るんですか?」
「うん、帰る」
「私も途中まで一緒に帰ってもいいですか?」
「いいよ。ここで待ってればいい?」

 そう言われて目を輝かせたあと、遊真先輩の視線を辿ってから気づく。そうだ!職員室に日誌出しにいくところだったんだ!と。

「ごめんなさい。このあと用事あるの忘れてたのでやっぱり先に帰ってください」

 さすがに先輩を待たせるわけにいかないしなぁ、なんて思って落ちていく気持ちを押し込めながらふと思い付いた嘘を言えば、先輩は口の端を上げた。

「みょうじちゃん、珍しくつまんないウソつくね」

 ぎくりと胸が鳴る。先輩はどうしてわかったんだろう。私が嘘をついたって。先輩はもしかしたら、超能力者かなにかなのかな。それかただ単に私が嘘をつくのが下手くそだったのかもしれないけれど。
 知られたくなくて、知ってほしい。矛盾した気持ちを含んだ嘘がすぐにばれて、ゆらゆらと自分の瞳が揺れるのがわかる。そして思う、その笑みが悪を見るものでないということを。

「気を使うでない、後輩よ」

 手をひらひらしながらそう言う先輩に思わず笑って、日誌を胸に抱えた。すぐに行ってきます、と。



 にやにやと笑う出穂ちゃんの表情は、昨日の出来事を話したあとから出来上がったものである。

 私が先生に怒られるのを恐れずに廊下を走っていってすぐ、決して大きくない手が少し上がって、静かに笑ったのがかっこよかったことも。ちょうど風が吹いて髪が揺れた姿にときめいたこととか、ぎゅっと口を結んでなんともいえない表情をすれば、表情はくるりと一転してきょとんとした表情に変わって胸がぎゅっとなったこととか。

 いいじゃんいいじゃん、なんて軽口で言うけれど、その声に熱が籠っているのはひしひしと伝わり、賑やかな教室の中、ランチタイムのざわめきは止まなかったが、出穂ちゃんへの報告会は静かに熱を帯びていた。

「てことはウチは恋のキューピットっつーことか!」
「そうだね!でもここからはキューピットさんの手助けは無用よ。自分の手で掴み取ってみせるので!」

 お互いにガッツポーズをして閉会の空気が漂いだすと、見慣れない影が近づいた。

「みょうじ、ちょっといい?」

 顔を上げれば、最近よく話しかけてくる隣のクラスの男子がわざわざ早々に昼をすませてやってきたようで、ちょうどお昼を終えていた私は見当もつかないまま後ろを歩き、渡り廊下の影まで行くこととなった。

 それがなんとなく告白かもしれないと思ったのは、あと数歩で足を止める寸前のことだったが、答えはひとつしかないので結局いつ気づくかなんてどうでもよかった。

「みょうじのこと好きなんだけど、俺と付き合ってくれないかな」
「ごめん。私好きな人いるんだ」

 間髪いれずに返事をした。気持ちは嬉しいけどなんて見え透いた嘘を言うのはなんだか失礼な気がして。バッサリと。すると、もしかして、と思い付く人がいるらしい瞳をまっすぐ向けられ、私は頷いて言う。

「うん、空閑遊真先輩」
「…だよな。いっつもべったりだもんな」
「べったりは言い過ぎじゃない?」
「そんなことないだろ。どんだけ好きなんだよって思ってたし」

 先輩が有名人なのに加え、飼い犬のように先輩を追いかける私も有名人だったのだろうか。私と好きだと言ってくれた男子にとって私が有名人だったのだろうか。その正解はわからないけど、細くなった瞳に真摯に素直に言った。

「うん。大好きだよ」

 その瞬間、スローモーションになったような気がした。男子の後ろ、廊下を通ったのが遊真先輩で、私としっかりと目が合ったことも、一瞬黒目が大きくなって、見えなかったふりをするように通りすぎて行ったことも。すべてスローモーションになった。

「……どうした?」
「ごめん!じゃあこれで!」

 爪先が前へ前へと進む。角を曲がって、息を切らして、いつも通りの歩幅でいつも通りに歩く遊真先輩を追いかけるだけなのに、胸がぎゅっと苦しくてたまらなかった。

「遊真先輩!」

 先輩の名前を呼べば、白くて少し癖のある髪が揺れる。今日も昨日と変わらずに。そして今日もかっこいい。なのに、苦しくて堪らない。

「よかったじゃん、みょうじちゃん」

 先輩はきっと勘違いしてる。遊真先輩は先輩だけど、何がよかったんですかって、言い返してやりたいけど、息が切れてまっすぐに言葉が出ない。

「大好きか〜〜いやぁおアツいこと」
「……違うんです」

 私の呟きに、先輩は至極納得のいかない表情をした。どれを試してもぴったりとくっつくかないパズルのピースを手に持つような、そんな表情。

「ふむ……さっきのも、今のも、ウソじゃない」
「遊真先輩は、超能力者のはずなのに。どうしてわからないんですか」

 口を尖らす遊真先輩は、変わらない表情のまま。私はちょっと、むっとした表情をしているかもしれない。

「恥ずかしくもなんともないから説明しますけど!私さっき告白されたんです。それで断って、それはどうでもいいとして!好きな人いるって言ったんです。遊真先輩が好きだって。大好きだって。だからさっきのはそ、……その大好きですよ!」

 私がマシンガンのように言い放ったそれを聞き、先輩は頭の中で数秒噛み砕く。口に出した瞬間は恥ずかしくもなんともなかったけれど、時間が経つごとに恥ずかしさが込み上げて。もう、穴があったら入りたい。
 熟考の終わりを告げるように左手のひらにグーにした右手をぽん、と乗せると遊真先輩はすっきりしたような表情で言った。

「そうか!みょうじちゃんは正直でよろしい。オレは安心したぞ」
「……それはつまり、」
「どういうことだと思う?」

 体の中をどくどくと血が巡る。それを私は、どう解釈したら。私に都合の良い方に?それとも単純に、友達として?そう思って回りを見れば、通りすがりのギャラリーは足を進める速度を緩め、遊真先輩と私を見てひそひそと話す。じわじわと冷静になっていくにつれ、遅ればせながら私はだんだん気付き始めたのだった。明日から私も有名人かもしれない、と。