神様なんて知らない 5分もしないうちに遊児くんがシャワーを終えて出てきた音がして、ドライヤーの音が数十秒。脱衣所から出てきたほかほかの遊児くんの髪が下りている。すごく新鮮だった。冷蔵庫から出した水をコップに入れて飲みながら問われる。
「シャワーは?入ってもいーよ」
「いいの?入りたい!」
「オッケー」
炭火臭い髪でソファを占領するのは気が引ける。遊児くんが見始めていたからテレビをそのままにして立ち上がると、遊児くんも立ち上り、クローゼットからTシャツと短パンを出してくれた。デジャヴだ。
「タオルはあるやつなんでも使って」
「ありがとう」
脱衣所の扉を閉めると、洗面台の鏡に私が映る。念のため浴室に入ってから服を脱ぎ、畳みながらマットの上に置いて浴室の扉を閉めた。
▽ △ ▽ △
いつもと違うシャンプー。いつもと違うボディソープ。いつもと違う柔軟剤の匂いの借り物の大きなパジャマ。緊張する要素なんて揃いすぎている。
いつも通り髪を乾かして脱衣所を出ると、遊児くんがテレビから私へと視線を移動させ、数秒間静止したあと何かに気づいた。
「……ちゃんと髪乾かした?」
「乾かしたよ、ほら」
遊児くんに近付いてしゃがみ、頭を差し出す。躊躇なくさらりと根元を触られてから、あっけなく不合格をくらった。
「お客様、毛先より根元を乾かす方が重要なんですよ」
「え!そうなんですか?」
「じゃあドライしますんでこちらへどうぞ」
小芝居を終えると、思わずふたりで笑った。遊児くんのあとをついて洗面台の前に立つと、後ろに立つ遊児くんがさっきしまったばっかりのドライヤーの電源を差してスイッチを入れる。
「なまえちゃん、色落ちしてんね」
「うん。ちょっとくすんできた」
鏡越しに見える世界は、美容院とは全く違う。鏡越しに目が合って、言葉がなくなった。やばい。おうちで髪乾かしてもらうとか付き合ってるみたいじゃん。
少しうつむいても手元に雑誌はないし、逃げ場もない。ドライヤーの音が止まってすぐ、遊児くんは黙ってソファに戻った。完璧に乾かしてもらった髪はつるつるしていて、手梳はするりと滑り落ちた。
「寝るか」
「うん、寝よう」
職場で使っている歯磨きセットを出してまた洗面台に向かう。ごめんね遊児くん。私も軽率でした。なんて口にできない謝罪を心の中でする。私と遊児くんが付き合うとしても、それは今日じゃない。というか今じゃない。成り行きで何かが起きて、それから曖昧になって。そうなる可能性を含む今、心を通わすのは間違ったタイミングなんじゃないかって思うのだ。
歯磨きを終えて部屋に戻ると、歯ブラシを咥えた遊児くんが洗面台の方へ入れ違いに向かった。ぐるぐる巡る思考のままタオルケットの置かれたソファに勝手に寝転がった。鼻の下まですっぽりタオルケットを掛けて。
先に寝よう。そしたら全てが解決する。ぎゅっと目をつぶってから力を緩めると、電気のスイッチの音がする。脱衣所の電気を消したんだと思う。
「うそ。もう寝てんの?」
耳に響く声はこれっぽっちもいつもと変わらなくて、正直ほっと胸を撫で下ろした。肩を優しくトントンされて、ゆっくり瞼を持ち上げる。
「寝てた?」
「まだ」
「俺こっちって言っただろ。ベッド使いなよ」
「私は休みだけど、遊児くん仕事でしょ。ちゃんとベッドで寝ないとだめだよ」
「……じゃあソファしんどかったら起こして」
「ありがとう。おやすみ」
「おやすみ」
部屋の電気が消えて、カーテンの隙間から月明かりが漏れる。こっそりベッドの方を見ると、遊児くんが背中を向けて寝転がっていた。
「遊児くん明日何時起き?」
「……8時」
「いつも何時にいくの?」
「んー……8時半」
それを聞いてスマホのアラームを7時半にセットする。音なしのバイブ。体の下に入れて、自分だけにわかるようにしてから目をつむった。考える力がすぐ無くなっていく。たらふく飲まされたお酒のおかげで案外すんなり眠りにつけそうだ。遊児くんは眠れるだろうか、眠れなかったら申し訳ないなぁ。明日も仕事なのに。