人はそれを恋とは呼ばない 周りから聞こえるキーボードを打つ音が少なくなってきて、壁に掛けられた時計を見た。もうすぐ。あの長針が真上にくれば定時だ。ノートパソコンを閉じると、集中で強張っていた肩の力を抜く。今日までの仕事は終られたしキリもいい。無駄な残業はするなよと上司から念を押されているからか、周りを見渡せば案の定みんな終わりのような雰囲気を出している。他の会社がどんなだかは知らないが、すんなり帰れる雰囲気というのは本当にありがたいなぁと思う。
挨拶をして退勤を済まし、会社を出た。駅までの道のりは、就職以前から通いなれたものだった。少し歩き、一本道を逸れて遠回りをしたら、ずっと通っている美容院がある。
カットをした日以来、あっちの道への用事はなかったけれど、そういえばコンビニはできたんだろうか。立ち寄るでもなく美容院の前を通るのは気が引けるけど、通りすぎるだけ。そう思って十字路を曲がった。
なんか電気ついてるっぽいけど、もうオープンしてるのかな。それともまだ内装中?
歩きながら色々推測していると、店の前のお祝いの花に目がいった。なんだ、いつのまにオープンしてたんだ。
吸い込まれるように店内に入ると、何もかもが新しい。たとえコンビニでも新しいだけでワクワクしてしまう。よくよく見れば品揃えは知っているものばかりだというのに。
せっかく定時に上がったにもかかわらず、コンビニの新店が幸か不幸かオープンしているために夕食を自炊する気など湧くわけもない。
奥の冷蔵コーナーに行き、一旦眺めてみることにして、順番に視線を動かす。お弁当やおにぎり、サンドイッチ。パスタ。…あ。いつだか買ったちょっとリッチなお値段のパスタソースが家にあるんだった。
そう思い出すと、急に吹っ切れてサラダ達を凝視する。家で作れないようなサラダなら家に帰って変な罪悪感を感じることもない気がする、と。
支払いを済ませてお店を出ようと思った時、本棚に目が止まる。前に初めて美容院で読んだ雑誌。結構面白かったんだよね。
しっかりビニール紐でくくってあるため、立ち読みはできない。手にとって、購入か否か考えながら少し眺めてみていると、なんか見られているような、目の前で何かが動いてる感じがする。顔を上げると、照島さんが眉を寄せて私を見ていた。これが知らない人だったりしたら軽くホラーだ。
目が合った照島さんがパーっと明るく笑い、軽く手を振っている。私のこと覚えてたってことか。まだ二回目、むしろこれを二回目にしていいかも悩むくらいなのに。
店内に入ってきた照島さんは、一直線にこちらへやって来て、こんばんは!と挨拶をしてくれた。それもこんばんはにしてはものすごく元気に。
「みょうじさんだ!」
「こんばんは。よく覚えてましたね」
「覚えますよータメだし、常連さんだし」
常連さんだし。その言葉になんて正直なんだと思いつつ。変にお世辞を言われるよりこっちの方が断然良いとも思う。
「休憩ですか?」
「そうそう、腹減っちゃって」
「そうなんですね」
「みょうじさんは帰るとこ?」
「うん、帰るとこです」
「あ。ちょっと待ってて欲しいんすけど。みょうじさんとライン交換したいんだった!」
そう言って照島さんは別の棚に向かっていったけど、言い逃げにも程がある。そして、急展開すぎる。
照島さんと話していると自分でも気付かないうちにタメ口が混ざっちゃうんだよなぁとか思っていた数秒前ののほほんとした雰囲気はどこ行った。
ていうか私、なんで素直に待ってるんだ?
「お待たせしました〜」
「……あのー、照島さん?」
「ん?」
謎の状況に照島さんに呼び掛ける。コンビニの袋からは、ウインナーの挟まったパンが顔を出していた。これ、私も好き。最近買ってなかったけど。いや、そんなことは今はどうでもいい。
「……確かこの間は昔の俺ならナンパしてた〜みたいなこと、言ってた気がするんですけど」
「あーあれは。だって、店でお客さんにはっきり可愛いとは言えないッスよ」
「かわっ…!私が後から安斉さんに言うかもしれないでしょ」
「それは別に全然いいんだけどね」
なんか可愛いとか言われたような。しかも安斉さんに告げ口アリってなんなの。やっぱり意味がわからなすぎる。
「え〜チャラい」
「だから今はチャラくないって。言っとくけど、本気だよ?本気!」
「……」
「安斉さんに聞いてみてよ、今度」
「……とりあえず交換だけなら」
「マジで!?」
QRコードを読み取って嬉しそうな表情の照島さんを疑うような目で見ながら、絶対あとで安斉さんにLINEしてみようと決めた。
ていうかこの人、連絡先聞くの慣れすぎなんだけど。