スタンディングオベーション デスク回りを整えていると、隣の席の先輩から視線を感じた。頬杖をついて私の頭から爪先まで見た後に口を開く。
「…なんかいつもと違う」
「変ですか?」
「そうじゃなくて。いつもより可愛いってこと」
うすうす気づいてはいたが、無意識のうちにデートという言葉が頭の中で膨らんでいたらしい。他人事のはずなのに楽しそうに「デート?」なんて聞かれたが下手くそに笑って否定するくらいしかできなかった。
それが今日の朝の話だ。
駅で待ち合わせと約束していたから、改札から見える場所で照島さんが来るのを待っている。いじっていたスマホにポップアップで「もう着いてる?」とラインのメッセージが入って、あたりを見回しても照島さんの姿はなかった。
返信をしないままキョロキョロしていると、着信音が鳴る。正直に言うとタイミング的に照島さんなのは間違いなくて、電話が来たことに妙にドキドキした今の気持ちに違和感を覚えた。なんでドキドキした、私。
「もしもし」
「もしかして、改札んとこにいる?」
「うん。改札前」
「今そっち行くわ」
あっさりと切られた電話のあと、照島さんは一体どこにいるんだと疑問になった。改札の向こうにいるっぽくないし、既に着いてるわけでもないような。
下ろした髪を耳にかけ、何気なく地上に続く階段を見ると、軽快に照島さんがおりてきた。もう着いてたのか。しかも地上の方で待ち合わせだったのね。
キョロキョロしながらおりてきた照島さんは私を見つけ、嬉しそうににっこり笑って手を振るものだから、つられて私も手を振ってしまった。危ない、なんかキュンとしている自分がいる。流すように走りながらやってくる照島さんの方に数歩進んで合流すると、また階段の方へ戻る。
「どーりで会えないわけだ」
「上で待ち合わせだったんだね」
「チャリなんだよ、俺。悪い。言えばよかったわ」
「私も聞けば良かったね」
「俺が誘ったんだからみょうじさんは気にしなくていいって」
階段をのぼりきり、笑いながらどこかへ行ったと思えば、折り畳みのおしゃれな赤い自転車を引いて照島さんが戻ってきた。
「自転車かわいいね」
「いーだろ」
白い歯を見せてニイッと笑顔を見せられる。いつの間にか照島さんのペースにのせられている事に気づいたのは、大分話し込んでからだった。
「ちょっと歩くんだけど、ごはんも美味いカフェあるからそこ行こうと思ってんだけどどう?」
「カフェ?行ってみたい!照島さんよく行くとこなの?」
「……てかさー、やめない?その照島さんっての。遊児でいいよ」
「じゃあてるしーにする」
「そーじゃなくて。皆と同じじゃ意味ねーの」
「なんで?同じでよくない?」
「みょうじさんはそれじゃだめでーす」
「そんな呼んでほしいかなぁ、名前」
「決まってんじゃん。まぁ、百歩譲って遊児くんだな」
「……わかった。遊児くんね」
さすがに急な名前呼び、しかも呼び捨てなんてありえないけど、きっと彼は引き下がらないだろう。今日はくん付けという提案を飲むことにした。
平然を装って遊児くんを見上げると、遊児くんは片手で自転車を押しながら、もう片手の肘で顔を隠して「やべー」と私の顔を見ながら言った。いやいや、まだちゃんと呼んでないよ、遊児くん。
駅から5分ちょっと歩いた所にあるカフェの外観は普通のビルといったところ。2階に看板が小さくあり、窓からはオレンジ色の光が漏れていた。赤い自転車を狭い駐輪スペースに立てかけると、ビルの中に入る。エレベーターはないらしく、上にあがるのは階段のみだ。
「隠れ家っぽくてわくわくするね」
「ここ。俺の歓迎会で連れてきてもらってから、気に入ってんだ」
扉を開けると、仕切りのないワンフロアに絶妙な距離で置かれた素材や形やデザイン、すべてバラバラのソファが沢山。こだわって集めたのがわかる照明や、カテゴリーにこだわらず集めたような本が棚に収まっている。飾りすぎていないのに、おしゃれなお店だ。落ち着ける空間なことは深く考えなくてもわかる。
「わぁー、すごい……」
「注文してから席取んだけど、どれにする?」
おしゃれな丼ものもあれば、パスタもある。早々に注文をした遊児くんに対し、私は散々悩んだ挙げ句、結局一番人気と書かれてたメニューを指差した。
「んで?何飲む?」
「せっかくだからお酒飲みたいな。……でも遊児くん、自転車だったね」
「俺?歩けばいいし、一緒に飲むべ」
「お言葉に甘えて。じゃあ、えーっと。ファジーネーブルで」
「お会計はどうされますか?」
「一緒でお願いしまーす」
自分の分を暗算し始めたところで、遊児くんが当たり前みたいにお会計を済ませようとしている。支払いについて特に考えていなかったけど、おごってもらうつもりはもちろん無かった。遊児くんの服の裾をくいっと引っ張る。
「あとで渡すね」
「いーの、いらない」
はっきり断られ、食い下がることはできなくなる。もしもこれがデートなら、もう一度言うのは無粋にも思えた。自然ともう一度申し出なかった私は、これをデートと認めているんだろうか。
「好きな席選んで座っといて」
そう言われて空いてるソファを探すと、それほど席は空いていない。本棚の近くにテーブルを挟んで1人掛けのソファと2人掛けのソファが向かい合っている席を見つけて、2人掛けの方に座った。
近くのお客さんを見て、はっとする。カップルらしき2人は2人掛けのソファでぴったりくっついて座り、家みたいに寛いでる。てことは。
遊児くんがこっちにやって来るのが見えて、近くの本棚から適当に本を取ると、1人掛けのソファに何食わぬ顔で座った。つい数秒前まで私が座っていたソファに遊児くんが座ると、先に支払いのお礼を告げて手元の本をノールックでぱらぱらめくる。
「スゲー、そんなん読めんの?」
キラキラした遊児くんの眼差しの先には、私の膝の上に乗った翻訳なしの英語で書かれた本があった。