自転車で逃避行

 オレンジの照明に照らされて、遊児くんの綺麗な金髪が優しい色味に変わって見える。私がなにか喋る度に嬉しそうに笑う姿を見ると、第一印象がどうだったかなんてすっかりどうでもよく思えた。

「ん。あのさ。安斉さんから聞いたけど、高校の時バレー部だったって本当?」
「そーそー」
「想像つかないな〜、髪型とか厳しそうなイメージだし」
「全然。そーいや高校ん時もだったな。ツーブロ。髪色も明るかったし」
「…そりゃナンパもするわ」
「今はしてねーし。つーか、なまえちゃんにしたのってナンパになんの?」
「紛れもなくナンパだよ。しかも名前呼びしてるし」
「じゃー俺、久しぶりじゃん、ナンパしたの」

 もう名前呼びのことは置いといて、あれをナンパカウントするなら久しぶりってことは、友達の言っていた他のお客さんにも聞いてる説が消えることになる。まぁ普通なら本人談なんて信憑性ないけど、息をするように嘘をつくタイプともやっぱり思えない。グイグイなのにグイグイに感じさせないのが遊児くんの不思議なところだ。それに美容師という職業柄の部分は大きいだろうけど、不思議と会話が途切れないのも、結構心地いいもの。
 色つきのグラスに入ったファジーネーブルを飲みながら向かいに座る遊児くんをじーっと見ると、聞いたことない名前のカクテルを飲んでいる。なんだっけ。なんとかかんとか。うーん、忘れた。

「ふー、おなかいっぱい。ご馳走さまでした」
「俺もう一杯飲もっかなー、なまえちゃんは?」
「飲む。次、私が払うよ」
「いーのに」
「じゃあ、ここ教えてくれたお礼。また来たいくらい気に入ったし」
「マジ?誰と来んの?」
「友達かな。あと1人でのんびりしたい時とか」
「ちぇー期待して損したな」

 財布とスマホを持ち、遊児くんとレジの方に向かう。楽しくて終わりがないやり取りは誰とでもあるものじゃない。
 店員さんに海外の小瓶のビールが二種類あると勧められると、オススメされるままに二種類のビールをカウンターで受け取って荷物が置きっぱなしのソファに戻った。途中で本棚から懐かしい絵本を引っ張って。

 話の間に小さく乾杯をまたすると、コップに注がず小瓶にそのまま口をつける。なんだかお洒落な大人になった気分。ビールが喉を通り、控えめな苦味が口に残った。背もたれに寄りかかって空いた手で膝に乗せた絵本のページをめくると、所々の記憶が合致してくる。
 感じた視線に自由に楽しみすぎたかと思って顔を上げると、遊児くんがまたビールを一口飲んだ。明日、遊児くんは安斉さんに今日の話を嬉しそうにするんだろうか。

「やっぱり不思議な感じ。通ってる美容院の人と美容院以外で会うなんて」
「だよな〜」

 もう信用してるのに、探るような視線をわざと遊児くんに送ると楽しそうに笑ってチーズを口に放り込み、からっとした表情で言う。

「今までお客さんに連絡先なんか聞いたことねーもん」
「うん、私もそうだろうなって思ってる。遊児くんのことだんだんわかってきたから」
「明日ぜってー安斉さんに自慢しよ」
「次カラーしに行くとき、質問攻めされるかなぁ」
「なまえちゃんカラーすんの?どんな感じ?」
「まだ悩み中だけど、ちょっと明るめにしようとは思ってるよ」
「俺、カラー剤塗るの得意だから安斉さんにヘルプ呼んでもらってよ」
「あはは、わざわざ指名しませーん」

 しばらく絶え間ない会話は続き、小瓶の中もすっかり空っぽだ。「そろそろ帰るか〜」なんて遊児くんの一言をきっかけにバッグを手に持つと、先に席を立った遊児くんが私の前を歩いてお店を出る。
 ポケットに両手を突っ込んで狭い階段を下りた遊児くんは振り返って「チャリ持ってくんね」と一言。薄暗かった空はすっかり色濃くなっていて、腕時計の針は10時半を指していた。

「何時?」
「10時半すぎだよ」
「二件目誘いてーけど、ビミョーな時間だな」
「うん、確かに微妙だね」
「駅いくか」
「……また今度誘ってくれる?」

 二件目、正直行きたかったかも。そんな風に思いながら遊児くんを見てつい口にしたのは、かなりグイグイなセリフだった。もうこれで遊児くんのことをグイグイと言えなくなる。だって、すごく楽しかったんだもん。

「マジ!?誘っていーの?いつにする?どこいく?」

 あまりの勢いに、思わず声を出して笑う。またラインで話そう、そう気軽に提案すると、ゆっくりだった速度が普通に戻った。
 だけど、それでも会話は途絶えないまま。

「そーだ。安斉さん言ってたでしょ、一目惚れのこと」
「…遊児くん何で知ってるの?」
「気付いたら送っちゃったって。スゲー謝られてさー」
「そっか。じゃあ、違うんだ」
「ホントホント。安斉さんの言う通り」

 今日よく話してみて実感した。遊児くんは女の子に困るタイプではないだろう。なんならお客さんの方が一目惚れして連絡先を聞かれることもありそうな気もする。
彼は私のどこを見て一目惚れしてくれたんだろう。気になって仕方ないけれど、そんなことを聞くのはやっぱり無理で、駅ももう目前。だんだん速度が落ちて、立ち止まる。

「なまえちゃん、家着いたら一応連絡して」
「うん。遊児くんはちゃんと歩いて帰ってよ?」
「わかってるって」

 赤い自転車の向きを変えた遊児くんに「またね」と小さく手を振って言うと、何か思い出したように数歩進んだ先で遊児くんが振り返る。

「そーゆーことで、覚悟しといて」

 ……ん?どーゆーこと?
 ついさっきまでの話の内容を思い出したら、自ずとそれはわかることだった。これ以上何を覚悟すればいいのか今の私には整理できないけれど。
 固まったみたいに動かないでいた私を見た遊児くんは、駅の上の方を見てから自分の手首を指差して合図する。
 あ。そろそろ電車の時間か。
 帰らないで待ってくれている遊児くんと改めて手を振りあって、様々な余韻を残したまま階段を下った。