夜を飲み干す

「……あれ?てるしー?」

 わぁ、綺麗な人。目の前に突然現れた女性が遊児くんに向ける視線の意味を理解するには時間が足りなくて、二人のやりとりをただ黙って聞くしかできなかった。

「なになに。彼女?てるしー彼女いたの?」
「違いますよ!デートですけどね」
「あははこの子固まってるよ〜」
「……ごめん、ちょっとトイレ行ってくるね」
「わかった!」

 少し前の美容院ぶりだった。友達と解散してからたまたま都合が合ったから、久しぶりにお茶することになって、私は正直うれしくて浮き足立っていた。
 突然現れた女性は、多分仕事関係の人だろう。どういう態度を取ることが正解なのかわからなくてトイレに逃げ込んでしまったけど、胸がチクチクする。カットモデルの方なのかな。てるしーって呼んでたな。

 遊児くんは素直で正直で嘘がつけない人だ。隠すことなく私とデートしてると口にしてくれたけれど、あんなに綺麗な人がまわりに居るんだということを改めて知ってしまった。
 そりゃそうだよね。美人な人もたくさん関わる仕事だ。いつだか友達が言っていたことを思い出し、複雑な思いが巡る。これも自分の気持ちが変わってきている証拠だ。
 あまりここに長居するのは良くない。席に戻ると、さっきの女性がちょうど話を終えて席を取ったお友達の元へ爪先を向けたところだった。遠慮がちな気持ちでゆっくりと近づく。

「おかえり。なまえちゃん」
「ただいま。今の美人さん、知り合い?」
「そ。先輩のカットモデル」
「遊児くんはあんな綺麗な人と顔見知りなのかぁ」
「お?やきもち?」
「……わかんない」
「……マジ?」

 甘いホイップが残ったフラペチーノを飲む。ズーっと音がしてストローから口を離すと、遊児くんから向けられる眼差しが眩しかった。
 この感情を味わうのは、遊児くんが美容師でもそうじゃなくても起こりうることだ。もし会社員だとしても、同期が抜群の美女だったかもしれない。そう思えば特別なことじゃない。

 そわそわしている遊児くんにかける言葉が一文字も見つからなくて、汗をかいた空の容器をなぞる。

「なまえちゃん、わかってる?」
「ん?」
「俺がかわいいと思ってんのは、一人しかいねーの」

 よく知った笑顔でそう言われると、ときめきを通り越して笑ってしまう。恥ずかしくて、面白くて、楽しくて。

「時々わかんなくなるんだよね。遊児くんがチャラいのか誠実なのか」
「いや俺すげー誠実じゃん」
「うん。そうだね、誠実だけど……でもなんだろ、なんかチャラく聞こえる」
「おっかしいな……」
「いいじゃん。それが遊児くんだもん」

 空の容器をゴミ箱に捨てて綺麗なお姉さんのいるカフェを出る。赤い自転車はお店に置いてきたらしく、遊児くんは身軽だ。

「やっぱ飲み行かない?」
「うん。前行ったとこがいいな。席空いてるかな」
「どーだろ。行ってみっか」

 実はあれから一度もあのお店には行っていなかった。これといった理由はなかったけれど、行きたいとも思わなかった。多分私は、遊児くんと行きたかったのかもしれない。

「そーいや久しぶりだわ、あそこ行くの」
「私も今日で2回目だよ」
「……常連なるとか言ってなかったっけ?」
「言ったっけ?」
「忘れてんのかよー」

 他愛もないことを話しては、また新しい話題が生まれる。時間も人も私たちを止めなければ、それはいつまでもずっと続いてしまいそうだ。
 あのビルの前。はっきり記憶に残っている階段をのぼり、扉を開けて店内を二人で見渡す。私たちが座っていたソファには先客がいて、別の空いているソファを見つけた。

「おっ」
「空いてたね」
「なまえちゃんなに頼むか決めな」
「え、どうしよ」
「いいよゆっくり考えて」

 濁りのない笑顔のあとメニューを見る横顔を私の視界に収めて、心の中でそっと思う。遊児くんといるこの時間は、私にとって大切になってきたよって。