変態という名のヒーロー 走らなければいけないのに、足がのろのろとしか動かない。時計を見れば、最終電車は今まさに行ってしまったのを知らせるように針が進んだ。
私は酔っぱらっても顔に出ないタイプなのは自分でもわかっていたし、前に日本酒を飲んだら気持ち悪くなったのも覚えていた。今日の飲み会はいつもとメンバーが違って、ちょっと苦手な他部署の上司も来ていた。昔ながらというか、ちょっと強引というか。まぁたまたま空いていた席が近くて、お相手しなければならなかったのだから仕方ないけれど、控えてもいつもより多く、さらに言えば日本酒を飲んだのが悪かったらしい。
まだまだ駅が遠く見えて、とりあえず水でも買おうかと角を曲がった。少し進むと当たり前にコンビニの照明は明るくて、今の私には眩しく感じた。
少し先、コンビニとは反対側の美容院を見ると電気は消えている。さすがに居残るにしても遅すぎる時間だ。なんの違和感もないけれど、一瞬遊児くんがいるのを期待した自分に恥ずかしくなった。美容師さんから友達になり、友達を越えて明らかに彼を意識し始めているのはうすうすわかっていた。
コンビニの自動ドアが開くと、入店時のチャイムが鳴り、店員さんが流れるようにあいさつをする。ちょっとだけ頭がぼんやりとしていたのが冴えてきたものの、ここから3駅。ヒールで歩いて帰るには距離がある。タクシー代はたいした額にならないけれど、気持ち悪さが残っているまま乗るのはよくない。明日は休みだしネットカフェでも行けばいいかな。色々考えながら冷蔵庫からお水を取ると、冷蔵庫のガラス越しに知った姿がうっすら映った。同時に扉を閉める時、バタンと大きめの音が鳴って、様子を伺うように振り返ると、私よりも目立つアッシュの髪がきらきらと揺れた。
「……あれ!?なまえちゃんこんな時間に何してんの?」
「飲み会だったんだけど、終電なくなっちゃって」
「マジか。どうやって帰んの?」
「もう色々考えた結果帰るのは諦めた。ネカフェ行こうかなって思って。駅前の大きい看板のところ」
「あそこ女の子が泊まれるようなネカフェじゃねーけど。行ったことない?」
「そうなの?」
「ネカフェなー…てかさー……いや、あー」
「遊児くんのそういうの珍しいね。言いづらいこと?」
「……うち泊まる?手出さないようにするから」
カップラーメンを持ったまま口にされたまっすぐなお誘いは、かっこでくくるような言葉もくっついていた。なんとゆう正直者なんだろうか。色々思うことはあるけれど、健全なのか健全じゃないのかが私の脳みそでは判断がつかない。遊児くんの言葉を信じればあのネットカフェは安全ではなさそうだし、タクシーにはまだ乗れないし、その辺のコンクリートで野宿するわけにもいかない。そう思うとたまたま会えた遊児くんの申し出は、とても有り難いものだ。
「ほんとにいいの?泊まらせてもらって。なんか余計なことまで言われた気がするけど」
「なまえちゃんは大歓迎。あ、手出していーてこと?」
「……だめに決まってるじゃん」
「……やっぱり?あ。でも寝るとこ、俺のベッドしかないんだけど」
「ソファは?なんなら床でも泊まらせてくれるだけ有り難いし」
「じゃあ俺ソファで寝るから。とりあえずそれ買って行くべ」
私の方が小さいんだしソファで寝るには適してるはずだけど、今は帰路につくことが優先だ。私は明日休みだけど、遊児くんは忙しい土曜日。というかもうすっかり日付は変わってる。
お互いに物を買って外に出ると、コンビニの外にある赤い自転車に気づく。全然気づかなかったなぁ。
小さなビニール袋をハンドルにかけると、私の歩く速度に合わせて遊児くんも自転車をひく。
「いつもこんな遅くまで残ってるの?」
「違う違う。俺も友達に飲み誘われたからちょっと合流してきただけ」
「そっか。家近いもんね」
「そーゆーこと。でもなまえちゃんに会えてよかった」
「なんで?」
「なまえちゃんになんかあったら嫌だろ」
飲み込まれそうな夜道を歩く。静かに話をしながら。夜風にあたっていたら気持ち悪さはほとんどなくなっていて、今からタクシーを捕まえて帰ることは簡単になっていた。ここまできてやっぱり帰るなんて善意を踏みにじるようなことはしないけれど。
15分か、もしかしたらもうちょっと。遊児くんが速度をゆるめて、ここ、と言いながらアパートを見た。駐輪場に自転車を停めると、しっかり鍵を掛けてから私の前を歩き始めた遊児くんの足取りは慣れたものだ。鍵を開け、扉を開けると振り返って私を見た。
「ドーゾ。入って」
「お邪魔します」
ヒールを脱いで揃えると、遠慮がちに先へ進む。6畳ほどの部屋に黒を基調にした家具が置いてある。テーブルとベッドとラック。あとは合皮の小さな裂け目の入った黒いソファ。今日の寝床はここになるんだろうか。ちょっと緊張するのはきっと、久しぶりに男の子の部屋に入るからだ。遊児くんは手を出さない宣言したし、私も単純に寝床を貸してもらうためにきたのだから緊張するのはむしろいけないのに。テーブルに広がった雑誌をまとめてから、遊児くんはクローゼットからTシャツと短パンを出して言った。
「シャワー浴びてくる。適当に寛いでて」
「テレビ見てていい?」
「いいよ」
さっきまで雑誌に隠れていたリモコンでテレビをつけて、深夜のバラエティ番組を見る。時刻はもう深夜1時をとっくに過ぎていた。敷かれたラグの上に座ると、コンビニで買った水を一口飲んで鞄にしまった。何気なく髪を匂うと、うっすら炭火の臭い。焼き鳥屋さんの匂い。かがなきゃよかった。一回気になるとだめなんだ、こういうのは。