トワイライト・シンフォニー
高校生になってからだ。朝早くに日向が自転車を漕ぎ、山の方向へ向かっていくのを何度か見たのは。
近年の烏野は目覚ましいものがある。強豪校を倒したり、全国大会に出場するようになったくらいだから、間違いなく日向は朝練に向かってるはずだ。おはよう、そう一言だけでも声をかければいい、そうは思っても彼のキラキラした瞳の先にあるものに対抗するつもりもなかった。
それに日向は気にも留めないかもしれないけど、私としては大きな問題がもうひとつ。
「なまえ、新聞取ってきて」
そう親に頼まれて、私はこんな早く玄関を開けた。もちろん寝癖のついた髪だし、格好はパジャマ。言うまでもなく、好きな人に見せられるもんじゃない。
懐かしい夢だ。夢っていうか昔の話。
時計を見ると時刻は6時。昨日は久々に濃厚な1日だった。もっちゃんに牛タンをごちそうしてもらったお店で日向にメッセージを送り、帰宅。眠気マックスの中お風呂とクレンジングと歯磨きをして、すぐにベッドに潜ったんだよね。
うとうとしながら記憶をたどり、自分を誉めた。偉いぞ!昨日は今までで一番頑張った!と盛大に。
窓から外を覗く。お隣さんの庭にまっすぐ立つ常緑樹の葉はつまらなそうに止まっていた。クローゼットから出した服に着替えをして、リビングに行けば、母がまだパジャマ姿でコーヒーを入れていた。テーブルの上はティッシュの箱以外何も置いていない。
「新聞は?」
「あ。忘れてた」
「持ってくるよ」
家族共用のサンダルを履くと、玄関を開けて外にある郵便受けから新聞を引っ張った。カタン、と受け口の閉じる音がして私は玄関に爪先を向ける。
「おはよ!」
まだ新鮮に耳に残る声に、慌てて振り返ると、ランニングウェアの日向が顔中にびっしり汗をかいて立っていた。
「お、おはよう」
「みょうじさん早起きだなー!」
「日向だって早起きだよ。だって、その格好。ランニングしてきたの?」
「そーそー、今クールダウン中」
話ながらも汗がじわじわと出続ける日向は、なんだか色気を漂っている。大人の色気ってやつなの?私そんなの出てないよ?日向のポテンシャルが計り知れないのは知っていたけど、これは反則だ。
「じゃあ俺そろそろ行くわ!」
「……日向っ」
大阪に帰ってしまえば、日向とはきっともう会えない。会えてもただの観客と選手だ。この先を考えないまま日向を呼び止めると大きな目をこちらに向けて続きを待っている。
「今日って、高校の友達とかと会うの?」
「会うよ!夕方バレー部の奴らと飯食いに行く!」
「少しだけ時間作れないかな」
「なんで?」
昨日から、いや昔から思っていたけど、やっぱり日向って直球だ。会話に変化球とかは存在しないんじゃないか。思い付く返事なんて何パターンかしかない。
「ブラジルの話、聞きたいなって思って」
「へー!みょうじさんブラジル好きなの?」
「えっ、あー、うん!そう!」
ひねり出したところで、たいした理由じゃないことに気づいたけど、日向が納得してくれればいい。確かにブラジルに興味はあるものの、私は日向とちゃんと向き合って話したかったから、とりあえずいい。
「朝飯食った?」
「ううん、まだ」
「じゃあ朝飯食って、9時に神社集合ってことで!」
「わかった!」
変に気合いが入ってしまったと思いながら、日向の後ろ姿を見届けた。うう〜っと身震いするほどに嬉しくて、新聞をぎゅっと握ってようやく家の中に入ると、母が不思議そうな表情で待っている。
「どこまで新聞取りに行ってたの?」
その問いに首をかしげてごまかし、テーブルに置いた新聞を見ると、全開の笑顔を見せる日向がVサインをしていた。