沈んだ標本


「日向も!みんなで写真撮ろ!」

 偶然だった。一緒に写真を撮ろうと声をかけてくれた同級生が、近くにいた日向にも声をかけただけだ。気持ちの良い返事をした日向が、自然と私の隣に立って私にニカッと歯を見せて笑って言った。

「ほら、みょうじさんも笑って!」

 後日、焼き増ししてくれた写真を私は卒業アルバムに挟んだ。クリアファイル式のアルバムにその写真を入れなかったのは、大切なのはもちろんあれど、簡単に見返す勇気がないからだと思う。


 一見、今もそのまま生きているように見える片想いの記憶は、よく考えれば昔のものだった。眠っているわけでも、生きているわけでもなく、もう昔の恋。
 これでもかなり悩んだ。もっとかわいい服を着ようかとか、髪型をちゃんとアレンジし直そうかとか、メイクをしっかりするべきかとか。結果として、着替えるのはちょっと変だし、やりすぎたアレンジは今さらに思えてくるし、ナチュラルメイクに留めることとなった。

 なんでもない休日は、初恋の相手と神社で待ち合わせという大イベントにガラッと変わり、気持ちの切り替えなんて出来たもんじゃない。
 最近買ったスニーカーを履き、昨日も着ていたコートを羽織る。だんだんと、心の準備が整っていくのがわかる。神社に向かいながら何を話そうか考えれば、こうやって返事がくるのかもと思ってみたり。あの頃とは違う私の背中をポジティブに押してあげたい。そう静かに考えた。
 神社に着いて確認した腕時計の針は、8時50分をさしていたけど、それから5分も経たないうちに日向が小走りでこっちにやってきて、慌てたように言う。

「俺、遅刻した!?」

 してないよ、と笑いながら返すと日向は安心した表情を見せた。鳥居をくぐり、階段を一段あがって振り返る。日向を見ると二段目、三段目と軽快に足を進めていった。あっけなく抜かされても、大したことない段数なことはわかっているから、自分のペースでのぼりながら日向に声をかけた。

「そういえば日向にまだ言えてなかったんだ」
「なに?」
「試合、お疲れさまでしたって」
「そうだったっけ?応援来てくれただけでスゲー嬉しかったからいいのに」
「でも、言わせてよ。良い試合だった。なんか、感動した」
「俺も!」

 私の言葉に被さるように、数段上から私を見下ろしながら嬉しそうにそう言った日向はまるで子供のようだった。

「すごいなぁ、一人でブラジルに行ったり、急にビーチバレーしたり。そういえば見たよ、ニンジャショーヨーの動画」
「向こうの人があげた動画、結構あったよな!俺もびっくりしたし」
「楽しかった?」
「ブラジル?」
「ブラジルも、ビーチバレーも、全部」
「スッゲー楽しかった!そういえばサンタナ、ニースと仲良くやってるかなぁ」
「サンタナ?」
「ビーチでペア組んでた奴!日本戻ってくる前の最後の試合後にニースがサンタナに逆プロポーズして、結婚したんだ」
「なんか映画みたいな話だね」

 さすがブラジル…!
 話したかったことを考えておいたはずなのに、全然予定通りの話ができてないけど、頭の中のシュミレーションよりも自然で、ずっとずっと楽しい。上まであがると、バッグから財布を出して小銭をチェックする。

「私、高校の時ここに時々来たなぁ」
「願い事?」
「うん。願掛け。自分のことじゃないけどね」

 5円玉を賽銭箱に入れて鈴を鳴らす。手を合わせて願う。自分のことじゃなくて、日向のこと。日向が怪我をしませんように。ずっと笑っていてくれますように。バレーを続けていられますように。

「みょうじさんってすごいな!俺は自分のことばっかりだもん」

 手を合わせ終わった日向は、頭の後ろで手を組んで伸びながらそう言った。違うよ、日向は日向とバレーのことを一番に考えていてくれればいいんだよ。またあの会場で輝く日向を見た瞬間から、新しい恋に落ちたのは気づいていた。思い出や後悔を抜きにしても。
 何年もずっと恋していた相手なのだから、きっと何度だって好きになる。

「……そういえば、この年で神社に集合ってよく考えたら変だね。都会の人はカフェとか行って話すんでしょ?」
「うん。まぁ、なんもないしなー」
「学生の子とかどこでデートするのかな」
「……わかんない!中学も高校もバレーしかしてなかったし!」
「え、えっと。彼女は?」
「いないいない!」

 聞き出そうとしていた訳じゃなかったけど、日向の言葉にびっくりせざるを得ない。今さら喜ぶわけでもなければ、もちろん悲しがるわけでもなく、ただただ驚いている。

「みょうじさんは?彼氏いた?」
「……いたらどこでデートするのか考えないよ」
「…たしかに!」

 思わず顔を見合わせて笑う。
 階段を下り始めると、日向との時間も半分以上が過ぎたことを示しているのに気づく。だけど私はほぼ満足状態だ。

「みょうじさんと、こんな話したの初めてじゃね?」
「日向は泉達といたし、私はもっちゃんといつもいたもんね」
「最美さんの気持ち、俺わかるかも!みょうじさんと話してると楽しーって思うし」

 その言葉は素直に嬉しかった。大人になってから改めて仲の良い友達になることもあるし、このまま終わるのも良いのかもしれないと甘えたことを思っているうちに階段は半分を過ぎていた。
 でも。ふと、今日の朝に気づいたことを思い出す。これが最後かもしれないということ。最後になるのならば、尚更伝えるべき事がある。


「まだ言ってないことあるんだ。でも歩いたまま前向いて聞いてくれる?振り向かないで」
「わかった」

 ビシッと日向が前を向いたのを確認すると、静かに息を吸い、下りも前を歩く日向の背中に言葉をぶつける。

「私、中学も高校も、ずっと日向が好きだった」
「……えっ!」
「まだこっち向かないで」
「ゴメン!」
「でも、今は今の日向が好き。日向が何になっても、どこに行っても、その時の日向を好きになるんだと思う」

 返事はもちろん聞きたいし、大切。だけど、沢山の達成感がやってきたと思えば、過去の自分に胴上げでもされてるような気分だ。
 ちょうど階段を下りた日向は、私のお願い通り振り向くことはしない。でもそこから先へは進まない。

「未練がましいよね。もし、可能性がないならはっきり言ってほしいんだ」

 そう言いながら日向を追い越すと、足が止まる程にぎゅっと手首を掴んで引っ張られて、結局私が振り向く形になった。涙が出そうだったから見られたくなかったのに。
 飛び込んできた日向の顔は、なんだか悔しそうな瞳にしっかり結んだ唇。

「ある。……あると思う!」
「……うそだぁ」
「俺が振るって前提の言い方、すんなよ。俺だって可能性があるかないかくらいわかるよ!」
 
 可能性がある。それが聞けただけで今は十分だ。
 目に溜まった涙が耐えきれずこぼれて、日向に慌てて顔を覗きこまれる。

「…だから見ないでって言ったのに」

 ポケットを探り、ハンカチを見つけられなくてあたふたする日向の様子が面白くて思わず泣き笑いに変わった。

 バッグに入ったハンカチを取り出そうとしたら、日向の上着の下からグイッと引っ張ったパーカーの袖で涙を拭かれる。

「袖汚れるよ!」
「へーき」

 背が伸びても、顔つきが大人になっても、前よりもずっとずっとかっこよくなっても。
 そう笑いかけた日向は大好きな日向のままだった。